85.魔人エイプリル
85
屍人がまた裏の世界へと帰還していく。
主人とサブロー。どちらの方が比重が重いのか。エイプリルはスーツの襟を正すようにしながら言う。そしてその選択を迫られてしまえばサダレは肩の力を抜くことしか出来なかった。胸に去来するのは妙な寂しさと苛立ちである。
「なにが聞きたいわけ? サブローに関して」
「いろいろですよ。すこし場所を移しましょうか」
「移さない。面倒くさいし。ここでいいよ」
「私としてはにおいがキツくて耐えられないのですが……」
自分が腐肉を貪って腐臭を撒き散らしたであろうになにを言っているのだこいつは……という心の声をサダレはセーブする。言ったところでエイプリルは淡々と反論を述べてくるだけなのだ。真面目そうな雰囲気をしているのに性根は腐っている。それがエイプリルという魔人の正体だ。
エイプリルは屍人達に片付けさせた床と机に視線を這わせる。それからまた椅子を引いて腰掛けた。スーツに包まれた細長い腕を差し出すようにして対面に腰掛けるように促してくる。もちろんサダレは応じない。
エイプリルが屍人達を操ったときのように骨張った指を動かす。とん、と机を叩いた。
――朱い水滴が垂れた。
顔をしかめてしまうほどの酒精が薫った。サダレは鼻を鳴らすようにしながら頭上を見上げる。……黒ずんだ天井からぽたぽたと朱い液体が滴っていた。ワインだ。サダレはまたエイプリルへと視線を戻す。
エイプリルはやはり食事に関しては下品だ。長い舌を突き出すようにしながら垂れる水滴を浴びていた。まったくもって気持ち悪いの一言に尽きる!
そしてサダレは言う。
「てか逆に聞きたいんだけど、サブローとどこで出会ったわけ?」
「……ぁー。ぁあああ」
「ワイン舐めるのやめてくんない?」
「……失礼。私は出会っていませんよ。私の配下が出会ったのです」
「どこで?」
「とある魔術学園とのこと」
魔術学園? サブローは学園生なのか? いや。対峙した感じは学生ではなかった。しっかりとした大人であったし勇者であったはずだ。であるならばどうして魔術学園に? なにかしらの用があったのか。
エイプリルがまた机を指先で叩いた。同時にげぇえええっぷと大きく胸から息を吐き出した。その時点でサダレは感情を閉ざすことに決める。やはりエイプリルは好きになれない。魔人の人間関係にも相性のようなものは存在するのである。
サダレは平板な声音で続ける。
「で。なにがあったわけ? サダレにも教えてよ」
「ふむ。サダレ。私はあなたがなにをしでかすか分からない存在だとも思っております」
「それはこっちの台詞だけどね? 普通にね? なんかムカつくから本当にやめてほしんだけど?」
「ゆえに説明は必要最低限を徹底いたしますので。詳しいことはお話できません。あくまでも舞台はとある学園。困っているのは私の配下。相手はあなたが敗北したS級勇者――サブローという人間とのこと。そして私の配下のためにもあなたの情報が欲しいのですよ」
「……分かった分かった。まあいいよべつに。はいはい。なに訊きたいわけ?」
「てきとうな回答は困りますね。あくまでも主人のためということをお忘れなく」
「分かってるって言ってんじゃん。マジではやく訊きたいことあるならはやくして。普通に殺したくなる」
「ふむ。私はどちらかというと良好な魔人間でのコミュニケーションというのを……」
「はやくしてっ!」
「仕方がありませんね。まあ。訊きたいことというのは些細なものです。特徴などですとも」
嘘をつくな。
サダレは突っ込みたくなる。それはエイプリルという魔人のことをよく知っているからだ。些細なこと? 特徴など? それだけで質問が終わるはずがない。外見や口調や会話の内容まで事細やかに訊いてくるのは目に見えている。またサダレがどういう印象を持ったかまで……さながら思春期の他人の恋心を執拗に訊いてくる学生のように。
さらにエイプリルはサダレから引き出せない情報は時間を掛けてでもゆっくりゆっくりと屍人や他の亡者などを操って調べていくだろう。
それこそ、サブローのすべてを。
サブローが何時に起きてまずなにをするのか。水を飲むのか果実を囓るのか。さらに尿意や便意はどのタイミングで催すのか。布団はすぐに直すタイプは放っておくタイプなのか。晴れの日と雨の日の違い。好きなものと苦手なものはなにか。飲み物を飲むときにコップはどの位置を持つのか。食べるときのスプーンやフォークの使い方。本当に些細な、それこそ誰も気がつかないような微妙な仕草まで。
なにもかもをエイプリルは調べるだろう。
身の毛がよだつほど詳しく詳しく粘着質に執拗に、偏執狂という言葉が適切なほどに。
――エイプリルはにこやかに白い歯を見せる。清潔感を醸しているオールバックの下に浮かぶのは爽やかな表情だ。そしてエイプリルは心持ち高らかに声を響かせて質問を飛ばしてくる。だがすべてを見抜いているサダレからしてみれば胡散臭いにも程がある。付き合っていられないほどだ。
それでも答える。
主人とサブロー。
どちらの比重が重いのか。
エイプリルの言葉はサダレの心にクリティカルにヒットしていた。気にくわないのはそれがたぶん狙ったクリティカルだということだ。エイプリルは言葉を操るのがうまい。屍人や地獄の亡者達を操っているのはひとえに言葉の巧みさゆえである。
そして。
サダレが話せるすべての情報を渡したときにはエイプリルは無表情に戻っていた。感情が消えていた。それこそ滅ぼした惑星でかつて栄えていたロボットにも似ているとサダレは思った。
「ありがとうございました。サダレ。あとの細かいところは私が独自に調べて配下に報せておきましょう。主人の障害になり得る存在は早めに手を打っておいた方がよろしいですからね」
「……そーだね」
「ありがとうございました」
「……ちなみに、エイプリルは出るの?」
「はい?」
「エイプリルは出るの? サブローを、殺しに。配下ってのに任せるんじゃなくてさ」
「どうでしょう。出る幕があるとも思えませんが。とはいえサダレを負かした御方だ。万全の準備を整えるというのも悪くはないでしょうね」
「ふぅん」
「ええ。まあ。しかし可能性の話です。私は裏から指示を出している方が得意ですから」
「だろうね。屍人使いも荒いしね」
「ええ。私が出る前に如何に消耗させるかが鍵となりそうですが。その前に」
そのときにエイプリルが浮かべた表情というのは――魔人に相応しい醜悪さに満ちていた。
「――家族や友人、恋人などの交友関係を洗い出し、心を折るのも一つの手でしょう」
魔人エイプリルは、性格が悪い。
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