97.奴隷のふたり


   97



 アメとクモ――というのは正確には本名ではなく偽名だった。それは誰にでも分かることだった。アサシンをしているのならば偽名を使うのは当然だからだ。けれど誰もが一つだけあった。


 阿吽の呼吸と揃った動き――銀髪の短髪と長髪という容姿からして誰もがアメとクモを双子だと思っていた。名前を偽名だと疑われたことはあっても双子であることを疑われたことはなかった。みんなが「息の合った双子だ」「両親に見捨てられたのだろう」「双子でアサシンなんて可哀想に」と同情の目を向けてきた。でも違った。


 アメとクモの生まれは違う。


 二人はだった。


 物心ついたときに両親は存在していなかった。両親の顔も名前も知らなかった。腹の中のぬくもりと母の心臓の鼓動だけはかすかに覚えていた。その胎児の記憶に存在する温もりと鼓動だけが二人にとっての救いだった。


 二人とも「いつか戻ろう」と思っていた。「いつか顔も名前も分からぬ母の腹の中に戻ろう」と。その希望を思えば奴隷としての生活は乗り越えられるものだった。……乗り越えようとすればなんとか乗り越えられるものだった。


 鉄の檻の中。


 仲間がいた。同じ奴隷という名の仲間が。……地下牢だった。うめき声が絶えることはなかった。すすり泣く声が途絶えることはなかった。いつでもどこでも誰かが泣いていた。誰かが苦しんでいた。


 凄まじい環境だった。


 昼も夜もあったものではなかった。人間と獣人は区別されずに同じ場所に放り込まれていた。飯の時間も不規則だった。忘れた頃に飯が鉄柱の隙間から放り投げられるなど普通のことだった。昨日出すのを忘れていた飯を次の日にまとめて出される。残せば罵詈雑言を浴びせられ人格を否定された上で殴られる。


 地獄だった。


 しかし、一条の光は射し込んでいた。


 二人は出会った。地下牢という地獄の中で出会った。それはまるで思春期の異性が訳も分からず引き寄せられて互いに特別を意識するような一目惚れの感覚にも似ていた。あるいは互いに互いを光として認識し縋るように寄ってしまう羽虫の感覚にも似ているかもしれない。


 なににしても二人は出会ったのだ。



「なあ。おまえさ」

「……なにかしら」

「似てるな。うちと」

「そうかしら」



 銀髪の少女は同じく銀髪の少女に声を掛ける。


 片一方は地獄においての太陽の役割を担っていた。同じ人間はもちろんのこと獣人であろうと仲良くなるために声を掛けていた。食べる気力すらなくなって死を待つばかりの奴隷に甲斐甲斐しく世話を焼いて自分の飯を食わせてやったことすらあった。その奴隷が介抱の甲斐なく亡くなったとしても涙一つ見せなかった。


 片一方は地獄においての月だった。地獄に落とされて時間が経とうとも自分を崩すことがなかった。看守からどんな仕打ちを受けようとも動じることがなかった。周りで同じ子供達が死んでいったとしても表情一つ変えずに平然と奴隷としての日常を進めていた。淡々と淡々と。平然と平然と。



「ほら。髪とかさ」

「そうね」

「なあ」

「なに」

「似てるな、うちら」

「そうね」

「一緒にさ」

「ええ」

「買われような」

「そうなればいいわね」



 奴隷同士の会話は禁止されていた。それでも劣悪な環境ゆえに見張り人などが立っているわけでもなかった。たまに様子を覗きに来るくらいである。そして環境に耐えられずに死んでいる者がいれば引きずられて連れて行かれる。ああ。地獄だ地獄。


 地獄の中でも話せる仲間がいれば救われる。


 奴隷市は月に一度開かれる。何らかの優れた部分のある奴隷は商品として展示される。しかし二人のようになんの技能も持たないただの子供は裏側――闇市にて売られる。それは展示ではない。


 たとえば醜く太った豚のような男が貴金属を見せびらかしながらやってきては顔の良い子供を連れて行く。たとえばじゃらじゃらと宝石を身につけてやけに朱い口紅を塗った中年の女がやってきては少年を見繕って腕を引っ張っていく。たとえば全身から錆びた鉄のにおいを放っている尋常ならざる痩せ細った男がやってきては身体の不自由な子供を連れて厭らしく嗤いながら去って行く。


 ああ。


 奴隷市の裏側。闇市。


 二人は地獄にいた。地下の檻。収容されている子供達。劣悪な環境。糞便の悪臭。明日になれば誰かが死んでいる。死が軽い。魂が薄い。地獄。


 ――しかしそれは本当の地獄ではなかったのだ。

 ――闇市が開かれる前日だった。


 二人は見張りの人間によって唐突に呼び出された。檻を出た。檻の外には凍えるような灰色の道があった。両手を縛られ両足に重しを付けられた状態で付いていく。自分達の背後で重しがざりざりと灰色を削っているのが分かった。


 道の先には鉄扉がある。

 鉄扉の向こう側には部屋がる。

 部屋の中には男がいた。

 身ぎれいな男が。


 白髪の短髪に眼鏡。浮かべられている表情は柔和だった。思わず毒気を抜かれてしまうほどに。そして男に気を取られている間に背後で鉄扉が閉まった。


 見張りの男も消えていた。


 白髪の男は笑みのままに言う。



「――ようこそ、奴隷さん。耐久テストのお時間ですヨ」



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