98.ただのサブロー


   98



「サブロー。安心しろ。これはお主じゃない。男だ」



 さて。


 ララウェイちゃんの言葉は傍から聞いてみると意味不明である。それでも僕は胸を撫で下ろす。……いや。撫で下ろしている場合ではないことは理解しているのだけれど。


 場所は寮だった。自分たちに割り振られた部屋の……外。


 寮の廊下である。


 もう二日前になる。アメとクモの、の解呪は。……強烈な殺気を漲らせて起き上がったアメとクモ。二人はすぐにララウェイちゃんに制圧されて事なきを得たわけだが。


 再び起きてからは酷かった。別の意味で。


 ――暴れることはなかった。殺気もなかった。けれど怯えていた。震えていた。明らかな恐怖を露骨にしながら僕とは視線すら合わせなかった。そして呆然と立ち尽くす僕に対して何度も何度も何度も何度も呟いていた。


 か細く痙攣するような声で。



「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい………………」



 アメとクモの身になにが起きているのか。


 不可思議だったのはララウェイちゃんに対してのアメとクモは人間不信の気はあったものの程度としては低いものだった。僕に向けるほどの強烈なものではなかった。そうだ。あくまでも僕という人間に対して向けられていたのだ。恐怖と怯えは。


 同時にその裏側に眠っている――確実な嫌悪感と敵愾心は。


 これは新しい呪いの影響なのか。その呪いの影響によって心を操られているのか。しかしそんな呪いは存在するのか? 呪いは念だ。念という名の思いだ。そして思いは単純であればあるほどに強くなる。原始的であれば原始的であるほどに効果を増す。


 可能なのか? 呪いによって誰かを恐怖させるということが。誰かに嫌悪感を抱かせるということが。可能なのか?


 不可能だ。


 二日が経っていた。


 この二日間で僕がアメとクモに近づくことは出来なかった。しかしすくなくとも学園の校舎内においては一緒にいなければいけない。学園長であるカミーリンさんに忠告された制約。にも関わらず一緒にはいられない。さらに問題はアメとクモの二人がまったくもって行動不能という点だった。


 それこそ普遍的な生存行動すら不能だった。自分でご飯を食べる事が出来なかった。水を飲む事が出来なかった。排泄も不能だった。睡眠すら困難だった。放っておけばいくら鍛えているといっても十日で命を落としかねない状態だった。


 ゆえにララウェイちゃんに継続的に血を与えることで召喚を伸ばし――僕の代わりに双子を見て貰っていたのがこの二日間だった。同時に僕がすべきことは変わらず襲いかかってくる召喚獣の退治と、犯人捜しだった。しかして後者に関して成果はない。前者にしても日常のルーティンをこなすようなものだ。


 進展はまるでなかった。


 さて。


 僕とララウェイちゃんは寮の廊下にて向かい合っている。


 部屋の中に僕が入ることは出来ない。二日という時間が経っても二人の様子は変わらない。僕に対する態度はさながら凶悪な魔物の殺気を浴びた新米冒険者といったところだろうか。ゆえに僕は気配すらも消さなければならなかった。でなければアメとクモはパニックを起こしてしまうから。



「……男ね」

「ああ。男だ。サブローという一個人に対しての感情ではない。男全体に対する恐怖心と嫌悪感。同時に敵愾心だろうな」

?」

「……」



 そこでララウェイちゃんはすこし沈黙する。形の良い唇を閉じたままなにかを思案するように視線を左に向ける。また右に向けた。その仕草で僕は大体のことを察知する。


 ララウェイちゃんはこの二日間でアメとクモの記憶を覗くために動いていた。



「これは我の推測だが」

「うん」

「恐らくは、封印されていたはずの記憶の蓋が空いたのだ」

「……記憶の蓋がね」

「ああ。鉄よりも重い蓋だ。埃が降り積もっている蓋だ。その蓋が――呪いによって開け放たれた。と考えるのが最も真実に近いだろう」



 想起するのは火山だった。火山の噴火だった。空を朱く染め上がる大地の炎と黒煙だった。もう長いことずっと沈黙を誇ってきた火山が外部からの力によって蘇り――噴火した。その現象に似ているのではないだろうか。


 アメとクモに起こっている現象というのは。



「過去になにがあったの? あの二人に」

「凌辱だ」

「……」

「二人は奴隷だった。正確には双子ではなかった。アサシンとして作られた双子だ。この意味が分かるか? サブロー」

「分かりたくはないけど、ね」

「アサシンの駒として必要だったのだろう。徹底的に心を砕くことが。……奴隷として既に酷い目に遭わされているというのにな。その奴隷としての生活で培われた人格さえも、粉々に破壊されていたよ」

「……」

「同情しすぎるなよ、サブロー。心を近づけすぎるな」

「分かってる」

「アサシンとして活動していたときのあの双子は……いまとは比べものにならないくらい冷酷で感情がなかった。そうなるように心を壊され、操られていた。……しかしどこかのタイミングで思い出したのだろう。凌辱を封印したまま、元の人格を取り戻したんだ。そしてだからこそ、いまサブローと行動を共にできている」



 ああ。僕はかつてのアメとクモとの会話を思い出す。ふたりはどうして闇ギルドから排斥されたのか。どうして逃げることになったのか。


 ふたりは思い出したのか。元の人格というものを。幸いなことに悲惨な過去を避けるようにして。しかし……呪いによって強制的に思い出させられた。凌辱という過去を。


 凌辱に関しての詳しいことをララウェイちゃんは語らない。語ることではないと考えているのかもしれない。それでも僕は訊かなければならなかった。心を殺してでも。そうでなければアメとクモにちゃんと向き合うことが出来ないと理解していたから。



「二人を傷つけたのは、誰?」

「……白髪の男と、多数の男達だ」

「名前は?」

「分からぬ。そこまでは思い出せていないらしい」

「他に分かることは?」

「……訊きたいのか?」

「訊かないと理解できない。理解できないと寄り添えない。寄り添えなければ、そんなの仲間じゃない」

「……そうか」



 そして視線を下げるララウェイちゃんを見て僕も自覚する。僕は僕自身の言葉を耳に入れて自覚する。もう仲間なのだと。アメとクモは僕にとってかけがえのない仲間に入っているのだと。そしてだからこそ救わなければならないのだと。


 ララウェイちゃんは言葉に詰まりながらも、言う。



「――客観的に見て、時間の経過を操られているな。それが体感なのかどうかは不明だが……すくなくとも十日。十日は凌辱されている。生々しく語るつもりはないが……常人であれば三時間で心を失うだろう。暇は一時いっときたりとも与えられていないな。気丈に耐えていたが……七日目で完全に心を壊されている。しかし、凌辱はその後も三日は続いた。悪趣味だな。完全に愉悦だろう」

「……再三悪いけど、分からないだよね? 容姿しか」

「ああ」

「分かった」

「……どうする?」



 僕は首を傾げる。どこか不安そうにララウェイちゃんは僕を窺っている。僕の……顔色を窺っている。そしてそれを理解して僕も自分の表情というものを認識する。


 だから意図的に表情をやわらかくした。そして訊いた。



「どうする、っていうのは?」

「……サブローにはやるべきことがあるのであろう? あの二人に関しては……呪い手をどうにかして見つけなければ救われない。だが見つけるのは至難だ。ゆえに本来の任務に」

「ふたりの介抱と、呪い手探し。それが僕のいまやるべきことだよ」

「いいのか?」

「それ意外にやるべきことなんて存在しない」

「魔神に関わっている任務と依頼なのだろう?」

「いいんだよ。いまの僕は……ただのサブローだ」



 僕は笑って言う。うまく笑えているかは分からない。でもたぶんそれなりにうまくは笑えているんじゃないだろうか? それなりに正しく笑えているんじゃないだろうか。



「S級勇者でもない。この学園に来たときから、僕はただの弱っちいサブローなんだよ」


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