4.問題発生


   4



 忙しいのか。ならばたぶん僕の退職届けがいますぐに受理されるってわけにもいかないだろう。


 しかし一体なにが起きているのだろうか。


 僕はひそかに手に持っていた『退職願い』と書かれた封筒をサバイバルポーチに戻す。そして引き返そうかときびすを返すのだが……犬耳族の職員さんに袖を掴まれてしまう。


 職員さんはくりくりの瞳を向けて懇願するように言った。



「助けに来てくれたんですよね? サブロー様は。私、知っています。先輩達にいつも教えてもらっていたので」

「……聞きたくないけど、なにをかな?」

「いつもサブロー様は、ピンチの時に現れるって。みんなが困っているときに、助けに来てくれるって」

「なるほど。それはまるで絵本に出てくる勇者みたいだね? 恐ろしいまでに事実と乖離かいりしているよ」

「実はいま、すごく困ったことになっていまして」

「おっと。僕は僕ですごく参った状況にあるんだけどなぁ」

「あ! もうすぐマミヤさんが出勤してくるって連絡がありました! マミヤさんとサブロー様はお知り合いの仲ですよね?」

「……知り合いというか、一方的にお世話になっているというか、そうだね。そんな感じだ」



 服の袖はいつまでも離される気配がない。しかもさすが犬耳族とあって声がよく通る。だから協会の端っこにいた冒険者達も僕の存在に気がついたような節があった。そしてどんどん居心地が悪くなっていく。


 やがて僕は諦めることにする。


 諦めることは得意だからだ。


 いままで何回も何十回も僕は勇者を辞めようと考えていた。それとなく【原初の家族ファースト・ファミリア】の仲間達にも辞める旨を伝えたこともあった。しかし「はあ? じゃあ私達も辞めるわね」なんて言われて「冗談だよ」と返すくだりは恒例行事じみていた。いつも折れるのは僕だ。いつも諦めるのは僕だ。


 ということで僕は犬耳族の職員さんに言う。



「じゃあ、マミヤさんが到着するまで奥の部屋に案内してくれないかな? ちょっと居心地が悪いしね、ここだと人気ひとけがあって」

「わぁ。やっぱりなんだかんだで助けてくれるっていうのは本当だったんですね!」

「うん。君は話を聞かないタイプの子なんだね。よく分かったよ」

「さすがです! 噂の通りなんですね!」

「分かった分かった……」



 ああ、胃が痛い……。


 犬耳族の職員さんは身軽にカウンターを飛び越えてくる。そして袖を掴んだまま僕を引っ張って奥の方にある階段へ連れて行く。中々の力強さである。「獣人の発情期には気をつけろ!」と学生時代に教わった理由が分かるというものだ。


 そして僕は冒険者協会の二階奥にある応接間に案内された。


 ちなみに職員さんの胸元にある名札は彼女の名前を『ペンシル』だと示していた。今後はペンシルさんと呼ぶことにしよう。歳は恐らく僕よりも一つか二つ下。つまりダークちゃんと同い年くらいか?


 犬耳に生えている毛は赤い。艶もある。よく手入れされているのだろう。



「マミヤさんが到着したらこちらに連れてきますので、お待ちください!」

「うん。ありがとう。……ちなみになんだけど、簡潔で構わないかなら、なにがどういう状況なのかっていうのは教えてもらってもいいかな?」

「あ、もちろんです!」



 僕はペンシルさんに導かれるまま奥にある革張りのソファに腰掛ける。ペンシルさんは僕の対面にいそいそと腰掛けた。


 どこか緊張した様子なのは彼女の仕草――指をもじもじとさせたりスカートから出ている尻尾が不規則に揺れているところから察することが出来る。そしてこれはに過去に言われていたことだから自覚しているのだけれど――


 だからある程度は彼女がなにを感じてなにを思っているのか察することが出来る。


 やがて彼女はゆっくりと話し始める。



「ええと、事件が発生したのはつい三十分ほど前です。場所は王国東部の【ヨイマイ森林】にあるダンジョン――【トトツーダンジョン】です」

「【トトツーダンジョン】か。別名、ダンジョンXだよね。もはや死んでいるといっても過言ではないダンジョン」

「あっ、そうです。既に魔物も発生することがないし、マナも薄いし、中には宝具もないし、なんなら一階層だけしかなくて……。なにもないはずで、だからダンジョンXって呼ばれてるはずなんですけど」

「うん」

「三十分前に、高密度のマナが噴出したと、【王国魔術団】から連絡がありました」



 ……なんじゃそりゃ?


 と僕は思わず顔をしかめてしまいそうになる。しかしペンシルさんの前ということもあって自重しておく。代わりに頭の中で考えた。


 そもそもダンジョンXというのは既にダンジョンとしての機能を失ったところを総称する言葉である。



 ①魔物が発生しない。

 ②マナが基準値よりも薄い。

 ③精霊が住み着いていない。

 ④宝具が誕生しない。

 ⑤一階層のみ。



 このすべてが揃うとダンジョンはXエックスと呼ばれるようになる。管轄の冒険者協会からも情報が抹消される。以後更新されることもない。


 そして過去何百年の歴史や文献をさかのぼって考えてみてもダンジョンXが急に復活したなんていう状況は発生していないはずだ。すくなくとも僕の記憶上では。なるほど。一階で騒然としていた冒険者達や職員達の理由が分かるというものだ。



「それでいま、協会にいる冒険者で調査隊を組んで探索に向かおうと考えていたのですが」

「うーん。なるほど。まあ僕の詳しい動きに関しては、マミヤさんの到着を待ちたいっていう感じなんだけど」

「あっ。やっぱりそうですよね。噂には聞いています。【原初の家族ファースト・ファミリア】の立ち上げ当初から、担当受付員としてマミヤさんが関わっていたって」

「そうだね。マミヤさんには本当にお世話になっているんだ」



「――まあ。あのときのサブローさんは、ひよっこでしたからね」



 突然のクールな声は、ドアの向こう側から響いた。


 瞬間に犬耳族らしい反射神経でペンシルさんが立ち上がる。そしてすぐさまドアの手前に立ってノブをひねった。……まるで重役の登場シーンみたいだな。


 ドアを開けられて姿を現したのは、懐かしいマミヤさんである。


 一目で怜悧れいりだと分かる賢いクールな顔つきに、耳たぶから垂れるナイフのピアスがあまりにも似合いすぎている。


 自然と僕もソファから立ち上がっている。そして笑顔を浮かべていた。



「お久しぶりです、サブローさん。さて、仕事の話をしましょうか」




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