82.カミーリン
82
眩しい光はまるで大きな水球のように僕をすっぽりと包み込んでいた。僕は本当に薄く細く目を開けて光の膜の裏側を見つめていた。光は白いけれどそれ以上に熱かった。でも不快感のある熱さではなかった。さながら夏の手前に見せる春の最後の輝きのような熱だった。
光が途絶えれば次の瞬間には知らない部屋に立っている。
暗い……と思ってしまうのは光の中に居たからだろう。次第に目は慣れていく。天井のシャンデリアは部屋を過不足なく明るくしていた。……シャンデリア? と僕はまた天井に視線を戻す。大きなシャンデリアが鎖によって天井と繋がれていた。
僕は視線を転じる。……そこは広い部屋だった。広すぎる部屋だった。まるでラズリーがよく泊まっている王都の高級ホテルのスイートルームみたいだった。寝室があってリビングがあって応接間があってキッチンもある。ガラス張りに囲まれているのは浴室である。
アメとクモが子供相応に目を輝かせているのが分かった。
僕達を連れてきたカミーリンさんはそんなふたりの様子を得意げな表情で眺めていた。でもすぐに表情を消してソファに腰掛ける。ふかふかとしていて眠るのにも最適だろうソファに。
「よいっしょっとぉ。ほら。君も座ればいいさ。空いてるよーん」
言いながらにカミーリンさんが叩くのは自分の隣だった。ソファが彼女の手を受け入れて沈んでは跳ねる。沈んでは跳ねる。その反発感覚を見ているだけでもソファがどのような代物であるのかが理解出来るというものだった。
当然ながら僕は座らない。立ったままに言う。
「なんですか、いきなり」
「なんですか? ってなんですかー。んふ。ふふふ。いやぁ、ごめんごめん。ちょっとばかし泳がせてたんだけどさぁ、これ以上はさすがにどうかなって私も判断してねぇ。いやなに。面白ければそれでいいんだよ? 本当だよん。面白ければ私としてはどうでもいいし放置してよーって感じなんだけど……サブローくん、君、面白くはしてくれなさそうだからさあ」
「……もうすこし分かるように話してほしいんですけど」
「あはは! あははははは! 分かるだろうに本当に。君はなんだい。馬鹿のふりをして自分の他者評価を下げてどうするんだい。ふふ。ただでさえ自己評価が低いっていうのにさぁ」
「……」
明らかな嘲笑を浮かべながらカミーリンさんは言う。なんだかその対応というのは僕としても久しぶりで同時に新鮮なものだった。すくなくとも冒険者になってすぐに勇者になってしまった僕は相手から「圧倒的に下に見られる」ということが少ないのだ。魔族ならばまだしも、人間ならば
そうして気がつけばアメとクモの二人がカミーリンさんの両隣に腰掛けていた。大きなソファに体重を落としてぽよんぽよんと跳ねる。クモはやはり年齢相応に笑って、アメもまた露骨に笑ったり喜んだりはしないものの嬉しそうな気配を醸していた。
僕は考える。
泳がせていたというのはなにか。……いや。分かっている。僕は理解している。でも理解したくないから変に誤魔化しの言葉を投げたのだ。それを馬鹿のふりとして受け取られてしまったけれど……。
僕は言う。
「性格が悪いんですね、学園長というのは」
「あはは! いやだなぁ、そんな言い方だと他の学園の長に悪いじゃないかぁ。あくまでも性格が悪いのは私の特性だよ。ふふ。性格の悪さを特性と呼ぶのはすこし違和感があるけどねぇ」
「いや。カミーリンさんに限っては特性と呼んでも違和感ないですよ」
「あはは! あはははは! いやあ。いいねー。そういう感じ。私好きだよー」
「泳がせていたってことは、気がついていたってことですよね」
僕は話を戻す。
しかしカミーリンさんは答えない。答えずにニヤニヤと口元に笑みを浮かべながら両隣に座っているアメとクモの頭に手を置いた。そのまま髪の毛を
機械的に。無機質に。まるで地下に湧くスライムを退治する依頼を渋々引き受けた冒険者のように。ただの義務的な流れ作業として撫でていく。
僕はさらに二の句を継ぐ。
「どうなんですか?」
「さあ。どうなんだろうね?」
「……性格が悪いですね」
「そうさぁ。私は性格が悪いよ? なにをいまさら」
カミーリンさんは鼻で笑うようにする。ふたりの頭に置いていた手を胸の前で組む。そして僕は気がついている。カミーリンさんは自分から言う気がないと。あくまでも僕の口から決定的に言わせたいのだと。そしてそれこそが彼女の性格の悪いところだった。
僕はすこし考える。漏らしても問題ないのかを考える。実はすべてブラフであるという線を思い浮かべる。つまりカミーリンさんは意味深長の台詞でもって僕に鎌を掛けているのではないか。本当はなにも知らないのではないか。なにも知らないにも関わらず僕から秘密が漏れることを期待しているのでは……。
僕は、眼光を、強めた。
カミーリンさんを、
瞬間、カミーリンさんがはじめて動揺するように、表情を硬直させた。……しかしそれは一瞬だった。ああ。でも僕にとっては一瞬であっても関係はなかった。というか動揺などは関係がなかった。
僕は見抜いた上で言う。
「やっぱり把握していたんですね、極秘任務の件を」
「……私を誰だと思っているんだい? と言いたいところだね、その言葉に関してはさあ。でも、びっくりしたなあ。きみ、良い武器を持ってるじゃないか。うん。魂だけかと思ってたけど、さすがS級勇者ってところだねぇ。へえ。ふうん。ふふ」
カミーリンさんは言いながらにソファを立って僕に身体を寄せてくる。そのまま遠慮なくじろじろと視線を這わせてきた。僕の身体なんぞ観察しても得るものなどなにもないと思うのだけれど……。
僕は僕でため息を吐きたかった。いつから知っていたのだろう? いつから把握していたのだろう? いや。そんなことは気にしても仕方がないか。なにせ今日は初日である。初日の時点でカミーリンさんは把握していたのである。それが答えだろう。
誰かから漏れた……という線は考えられないか。泳がせていた。という言葉の裏を僕はくみ取る。くみ取って声を掛ける。
「カミーリンさん」
「ん? なんだい。君って意外と筋肉あるんだねぇ。ひ弱な感じだと思ってたんだけど。さすがに冒険をこなしてるわけじゃないよねえ。ふうん」
「泳がせていたってことは、知っていたってことでもありますよね?」
「ん? なにがだい。さっきの質問と同じじゃないかい。ん? ふむふむ。やっぱり太ももの筋肉がしなやかだねぇ。サブローくん。回避行動とか得意だろう?」
「悪魔教の幹部が学園内に存在していることを、もっと前から、知っていましたよね?」
「ん? ああ。うん。知っていたけど、なんだい? それよりほら、服を脱いでくれないかな。すこし触らせてくれ」
「嫌です。ていうか」
僕の身体をまさぐってくる手から距離を取り、僕は言う。
「なぜ排除しようと思わないんですか」
「……? 排除する必要があるのかい?」
は? という僕の言葉は虚空に溶けた。
「いいかい。私はねぇ、ここの生徒達が優秀に魔術という学問を修めてくれるのならば、たとえ相手が魔人だろうと魔神であろうと悪魔教の幹部であろうと、構わないと思っているんだよ」
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