25.S級勇者の神業的回避術


   25



 避けるのが上手いからなんだっていうんだ?


 ……なんて。


 僕はスケルトンが「なんだこいつ」みたいな感じで振った剣先を首筋すれすれで躱しながら思う。「……は?」みたいな気配をスケルトンは醸した。けれどすぐにスケルトンは僕から興味を失う。「どうせ後続に飲み込まれるだろ」みたいに思っているのかもしれない。


 それは正しい。どうせ飲み込まれる。


 空は見えない。木立も見えない。自分の立ち位置すら見失ってしまいそうになる。息も出来ないくらいの圧迫感。魔物の軍勢。先頭のスケルトンを躱したとしても――剣を振り上げながら襲いかかってくるのは色違いスケルトン達の大軍だった。


 思わず笑ってしまいそうになる。というか実際に僕は笑みすら浮かべていたかもしれない。本来であれば真剣な表情をするべきだろうに。真面目な表情を作るべきだろうに。


 これもすべてはキサラギ師匠が悪い。


 責任転嫁しながら僕はスケルトン達の体を見る。骨を見る。骨によって構成されたすべてを見る。――関節が剥き出しだから分かりやすいな。なめるんじゃねーよ。なんて柄にもなく強気に思いながら僕は一歩前に出た。それが避けるためのすべての土台だということを知っていたから。


 走りながらに剣が振り下ろされる。あるいは袈裟懸けに振るわれる。横薙ぎに振るわれる。はたまた下から振り上げられる。骨の剣。そのすべての軌跡を僕は捉えている。かつ自分の体の正確無比な大きさと位置というものを把握している。


 であるならば――その剣の軌跡が決して当たらない位置に自分を配置すればいい。


 もちろんどうやっても当たってしまう場合がある。タイミングの問題だってある。その場合は


 激しい雨にも似た骨剣の嵐に、僕はまた一歩進んだり引いたりする。そして振り下ろされる剣のタイミングをずらす。あるいは、あえて、当たる。――斬られるわけではない。


 真横で剣を振り上げたスケルトンにあえて身体を当てて――スペースを作る。そこが安全圏内だと僕は知っているから。


 避けていく。


 僕は避けていく。


 微笑みながら避けていく。


 避けるということの本質はそれだ。動線から外れた位置に自分の体を配置する。それだけでいい。


 「なぜ当たらない?」という声が聞こえてきそうになる。スケルトン達は喋らないけれど。でも気配でなんとなく分かるのだ。分かってしまうのだ。実際に――魔物の軍勢が僕たちを目的にしていないことをも分かったしね。


 スケルトン達が通り過ぎても後続は続く。ゴブリンにオーク。彼らもまた恐ろしい強敵であり恐ろしい得物えものを持っている。だがやる事は変わらない。ゴブリンのなまくらは簡単にいなせる。オークの棍棒だって軌跡さえ読んでしまえばなんの問題もない。


 そして余裕が生まれて僕は振り返る。


 みんなはそこにいる。魔物達の津波にも似た勢いにまだ飲まれていない。ちゃんと立ち上がっている。ちゃんと【虹色の定理ラスト・パズル】と【竜虎の流星ダブルスター・ダスト】は支え合って協力している。さすがだ。


 もちろん僕と同じ芸当がみんなに出来るわけではない。けれど――大抵の魔物は僕に攻撃を仕掛けながら進軍を進める。つまりは攻撃の後の隙――僕に攻撃を仕掛けたあとには当然ながら隙が生まれるのだ。その間隙かんげきを縫うようにしてみんなは避けているのだ。


 素晴らしい!


 ちょっと僕も焦っていて言葉が足りなかったのだ。合わせて、しか言えなかったのだ。でもちゃんと僕の意図を汲んでくれている。こんな素晴らしいことってない。なんて思いながら僕はまた反転する。


 ――ミノタウルスにデビル。それにインプ。


 うわ面倒くせえな。とか思いながらも僕は目を集中させる。――この際もう眼力をセーブするなんてことはない。血涙が出ても構わない。翌日に眼精疲労でひどいめまいと頭痛に苛まれたとしても構わない。一日ばかり目が開かない日が出来たって構わない。


 僕は――避ける。


 正面から突進してくるミノタウルスを軽やかに横を向いて躱す。さらにデビルが仕掛けてくる意地悪なフェイントを見抜いて屈む。その裏側で魔術を発動させようとしているインプに砂を投げて妨害する。発動したとしても魔法陣の位置を見切って身体をずらす。そしてずらしながらにデビルに身体を当てる。ミノタウルスにタッチする。インプを引っぱたく。


 そしてすべてのタイミングを操る。



『きみは馬鹿なのかな、少年。いくら目が良いからといって、雨を避けることは出来ないんだよ』



 ――ふいに脳裏に甦るのはキサラギ師匠との修行の光景だった。


 そこは酸素の薄い高山だった。そして僕はまだ高山に適応してすらいなかった。つまり頭がガンガンに痛かったし意識も朦朧としていたし嘔吐もひどかった。ただ歩くだけで息が上がる状態だった。でもキサラギ師匠に容赦の二文字はなかった。


 紫煙のにおいがかおる。


 キサラギ師匠はいつも煙草くさい白衣を羽織っている。


 目元のくまは酷い。肌は病的に白い。身体も痩せこけている。くすんだ髪の毛は整っていない。どこからどう見ても入院患者にしか見えない。でも――二十代前半のときにキサラギ師匠はDouble・S級に上り詰めた伝説の冒険者だった。


 そして僕は高山においてキサラギ師匠に打ちのめされていた。何度も何度も何度も何度も打ちのめされていた。それこそまだ子供だった僕は泣いていた。号泣していた。そのたびにキサラギ師匠は意地悪に言ってくるのだ。



『うん。やはりきみに才能はないよ、少年。冒険者になるのは諦めるべきだ。勇者なんて目指すべきじゃない。諦めなさい。これはきみのためを思って言っているんだよ』



 と。


 諦められるわけがない。なにせ僕は勘違いしていたからね。それに当時はスピカとドラゴン、ラズリーと約束していたのだ。必ず勇者になると。必ず僕が勇者になるからみんな僕に付いてきてほしいと。約束していた。ならば諦められるはずがなかったのだ。僕だってちゃんとひとりの男の子だったのだ。熱い男子だったのだ。……ちなみにシラユキとはまだ出会っていなかった。



『いいかい少年。目が良いというのはあくまでもに過ぎないんだよ』



 ――キサラギ師匠に師事していたのは僕だけではない。僕以外にもたくさんのお弟子さんがいた。僕が弟子入りしたときにも兄弟子や姉弟子が八人くらいはいた。でも一ヶ月でその数は半数になっていた。三ヶ月もすれば僕が一番長い弟子になっていた。それくらいキサラギ師匠っていうのは厳しい人だった。スパルタな人だった。


 でも、僕はキサラギ師匠の優しさというものを知っている。


 キサラギ師匠はいつも修行のあとには僕たちに諦めることを促す。もう辞めた方がいいと優しく諭す。もっと幸せに生きるべきなのだと普遍的な言葉をもたらす。あるいは他の師匠を紹介さえしてくれる。そして大体の弟子はそれで諦める。優しさに甘える。普遍的な言葉に影響される。あるいは別の、もっと穏やかな師匠のもとに旅立つ。


 でも諦めなければ必ず身になるアドバイスをくれる人でもあったのだ。



『きみは目が良いという素材を用いて料理を作らなければならない。……いつまで寝ているのかな。起きなさい。構えて。そう……、それでいい。良い子だね』



 キサラギ師匠は眠たげな目元だけで笑顔を作る。そして僕に懇切丁寧に教えてくれる。なにもかもを。僕がどういう立ち回りをすべきなのかを。どうすれば僕の目が良いのかを。ときには一から百まで与えてくれる。でもゼロだけを教えて一を生み出せと難題を出すこともある。


 そして僕は教えられ、あるいは自分で思考し、学んでいく。



『簡単なことだよ。雨が避けられないなら、傘を立てればいい』



 ――傘。


 傘とはなにか。


 ――僕はワーウルフとケンタウロスを目前にする。ワーウルフは高速で移動して飛びつき噛みついてくる強敵だ。ケンタウロスは馬の下半身で大地を疾走し、さらに大きな斧を軽々と扱ってくる難敵だ。でもすべては雨と同じなのだ。どうしても避けられないのであれば傘を立てればいい。


 膝を屈めて飛びかかってくる準備中のワーウルフに目線を配る。その未来の動線を読む。読みながらに、疾走してくるケンタウロスの速さから自分に斧が振り下ろされる時間を計測する。すべてを読む。そして良いタイミングで身体をワーウルフに寄せて誘導――わざと飛びかからせる。


 瞬間、ケンタウロスの斧はワーウルフの頭部を破壊する。


 血飛沫が舞う。それはチャンスに他ならない。魔物達が唖然としつつも走り去っていく中で僕は素早くワーウルフの死体の下に入った。そして持ち上げる。盾のように扱って後続の攻撃を避けていく。


 ラミアの毒液を避ける。


 トロルの山のような巨体を避ける。


 すべてを避ける。


 避けた先に待ち受けているのは、たった一体の魔物。


 凶悪な――魔族。


 それでも僕は師匠に教わった通りに微笑んでいる。



『――笑いなさい、少年。笑顔というのは、いついかなるときでも、少年の味方をするから』



 ……師匠こそ笑えよな。そんな仏頂面していないで。だから他の弟子に怖がられるのだ。弟弟子や妹弟子がすぐにいなくなっちゃうのだ。


 僕は笑う。



 【大罪の悪魔デーモン・ロード】を、前にして。



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