111.めちゃくちゃ


   111



 さて。


 勘違いされることには慣れている。そもそも僕はS級勇者という重すぎる肩書きに相応しいだけの実力者であると勘違いされながら毎日を過ごしている。そうだ。毎日が勘違いの継続でもあるのだ。だから勘違いされることには慣れている。


 勘違いされることによって被害をこうむる場合は多い。というか大体の僕に訪れる修羅場というのは誰かの勘違いが生み出すものではないだろうか? 僕という人間を過大評価しての修羅場だ。まあ。それに関しては頼れる仲間達である【原初の家族ファースト・ファミリア】に頼ることで切り抜けているのだけれど……。


 のどかな公園に、スピカと契約している精霊の、きゃっきゃと遊ぶ声が響いている。


 ナイリーは、に任せて学園の校舎に帰していた。


 自分を裏切った存在とはいえ――かつてナイリーが僕に語ったレインドルに対する想いというのは本物だった。本心だった。ナイリーはレインドルを確かに慕っていたのだ。ひとりの先生として尊敬していたのだ。


 だから。


 ――無邪気な精霊によって精神を破壊されている姿を、ナイリーには見せられない。


 公園のブックスタンド。そこに固定されていた闇魔術の本は既に僕が回収していた。後でラズリーにでも手渡せばいいだろう。。ラズリーならうまい具合に処理してくれるはずだ。あるいはラズリーはそこに記されている闇魔術を習得してしまうかもしれないが……まあ僕にはどんな系統の闇魔術なのかも皆目見当もつかない。ただラズリーが悪用しないことだけは確かだ。そこは信頼している。


 ところで精霊の姿は見えなかった。


 ただレインドルが頭を掻きむしりながら藻掻き苦しんでいる姿だけが存在していた。口から涎を撒き散らしながら、まるで死にかけの芋虫のようにのたくり回って草原に暴れている。下草を手で掴んでは引き抜き、この世のありとあらゆる苦しみを享受してしまったかのように、時折その口から放たれるのは咆哮だった。



「アアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」



 きゃっきゃ。きゃっきゃ。


 精霊の姿は見えない。それでも声は聞こえる。はしゃいでいるような声だ。それはまるで真夏に川遊びに興じている子供達のような声だ。とても幸せでとても快適でとても楽しそうな、聞いているだけでこちらの気分も良くなってしまうような声だ。


 レインドルがまた嘆き苦しむような咆哮を上げた。髪の毛をむしっていた手が自分の顔面に伸びる。そしてまるで巨大な蚊にでも刺されたかのように顔面全体をレインドルは引っ掻いていく。赤の線が滲む。血がぷつぷつと湧いてくる。それでもレインドルは顔を掻くことをやめない。泣きながらにレインドルはかきむしる。苦しみながらにレインドルは自分を傷つける。


 まるで自傷行為だと僕は思った。思いながらに言った。



「スピカ」

「ん。なに?」

「……いや」

「うん? どうかした?」

「やっぱりなんでもない」

「うん。大丈夫。あともうすこしだから、ちょっと待ってね? サブローくん」

「そうだね。うん。待つ待つ。待つさ」



 違うとは言えなかった。僕が訊きたかったのは別に時間ではない。でも隣で、手を合わせながら微笑むスピカに聞き直すことは出来ない。


 レインドルが苦しんでいる。精霊が喜んだような声を上げている。


 なにが起きているのかを、僕は知らない。


 ただ僕の横に立つスピカは知っている。当たり前だ。スピカが契約している精霊なのだ。スピカには精霊の行動というのが見えているはずだ。……果たしてなにが行われているのだろう? なにが行われ、それによってどうしてレインドルは苦しんでいるのだろう?


 まあ、べつに、僕としては構わない。


 やはり僕は勘違いされがちなのだけれど――べつに僕は誰に対しても優しくて誰に対しても良い人間というわけではないのだ。



「それにしても、今回ははっちゃけたよね。サブローくん」

「うーん。そうかな。まあ。そうかもしれないな」

「でも、事情を知ったら当然だよね。関係ないもんね。いろいろなルールとか」

「関係ないね。魔神が関わっているんだとしたら、なにも」

「そうだよね」

「それに僕、そこそこ怒ってるしね。魔神とか関係なく」

「だよね。分かってる分かってる。サブローくん怒ってるなーって、最初は思ってたし」

「いまはどう?」

「いまは絶妙なとこだなーって思うよ。私は」

「そっか。分かりやすいかな? 僕」

「ううん。分かりづらい。他の人には悟られてないんじゃないかな? でも私は分かるよ」

「分かるか」

「幼馴染みだもん」

「だよな」



 たぶん僕も逆の立場だったら分かるはずだ。スピカも僕と同じで、あまり感情というものを表に出すタイプではない。それでもやっぱり長く一緒にいるからこそ分かる感情の機微というものが存在する。僕だってスピカがなにかに怒っていたとしたならば簡単に気がつくことができるだろう。


 ああ。


 さて。


 藻掻き苦しんでいたレインドルが次第に呼吸を落ち着かせていく。激しく上下していた胸が緩やかに速度を落とし、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと、酸素の粒、一つ一つを大切にするかのように呼吸していく。


 同時に精霊の声が、途絶えた。


 突然の沈黙が、耳鳴りを甦らせる。


 自分の耳を流れている血流の音が、よく聞こえる。


 七秒。


 僕の正確な体内時計が七秒を告げる。そのとき隣に立っていたスピカが動き出した。歩幅は狭く、歩調は遅い。レインドルの呼吸に合わせるかのようにスピカは歩いて行く。レインドルに向かって。……そしてスピカはレインドルの頭上で指を振った。


 それがなにを意味しているのか。どんな効果があるのか。僕は知らない。ただ、また沈黙が下から積もっていくのは分かった。その沈黙が長く続くであろうことも僕は察知していた。


 スピカは目を瞑っている。


 レインドルも眠っている。


 そして僕は穏やかな時間の流れを感じながら振り返る。これまでの軌跡を。そもそもなぜスピカがここにいるのか。そしてシラユキが学園内にいるのか。いや。それを言うならばドラゴン以外のみんながそうだ。【王立リムリラ魔術学園】に集合している。


 ドラゴンはドラゴンで、レインドルが在籍していた闇ギルドに顔を出しているはずだ。そして暴れているはずだ。ああ。いや。暴れるのはいつものことか。いつも通りだ。


 なにが起きたのか。なにがあったのか。


 ところで今回のMVPである――ララウェイちゃんは今頃、アメとクモと一緒にいるはずである。

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