88.ふたりの眠り姫


   88



 アメとクモが眠りから覚めない。頬をすこし強めに叩いても反応がない。肩を揺すっても反応がない。水を掛けても反応がない。なにをどうしても反応がない。それでも生きている。寝息は立っている。心臓も搏動している。


 寮は朝を迎えて次第に騒がしさを強めていった。それでも僕とふたりの部屋だけは静かだった。静かに過ぎた。なにをどうしたって動かないふたり。そしてなにも出来ない僕。


 ああ。


 僕は無力な人間だ。まあそんなことはずっと前から理解している。ほとほと無力である。自衛の手段には事欠かないけれど誰かを助けるという点においてはなんの技術も持ち合わせてはいない。前のように間接的に、それでいて強引にフーディくんとププムルちゃんを助けるということは出来ても……直接的には不可能なのだ。


 なにがふたりに起きているのか。


 たとえばこれがラズリーであれば魔術によって原因を突き止めることが出来るだろう。スピカであるならば精霊の力を借りて治療すら行えるかもしれない。ドラゴンにしても裏社会のギャングに顔が通じているから何らかの手がかりが掴めるかもしれない。シラユキはシラユキで気の流れなどを操って二人を目覚めさせることが可能かもしれない。


 ならば僕に出来ることはなんなのか?


 考える。考えようとする。しかし思考は鈍化している。ここ五日間の眠れない夜と仮眠の日々が僕の思考の邪魔をしている。頭にかすみが掛かっている。どう考えても危機感を抱くべき場面だというのに僕は適度な緊張すら抱けてはいない。


 動くしかない。


 それは思考によっての結論ではなく本能にも近い部分による結論だった。しかし直感的にそれが正しいことを僕は理解していた。ゆえに僕はふたりを置いて……置いてはいけない。そうだ。


 カミーリンさんの言葉を思い出す。さらに黒魔術による召喚獣を……。僕が離れたところを襲ってくるかもしれない。そうなれば眠りこけているふたりは犬に喉元を食いちぎられて死ぬ。猿に腹を引き裂かれて死ぬ。蛙に毒液に消化されて死ぬ。蛇に頭を丸呑みにされて死ぬ。


 僕は考えない。ただ動く。自前のサバイバルポーチから紐を取り出して結び目を作っていく。幼い頃に師匠に教わった技術は考えずとも僕の手を動かしてくれる。さらにいままでの経験――足を怪我したスピカを背負ったことが過去にある――が思考を排除して僕を助けてくれる。


 僕の腰と肩に紐を巻き付けて固定する。作った輪っかにアメの手足を通して僕の背中にくっつける。絶対に落ちないようにして……完了。


 さらに逆の要領で身体の前にクモを貼り付けるように固定する。さらにマナをすこしだけ流しておく。絶対に落ちてしまわないように。繊細なマナの操作というのは得意だった。これもまた師匠との修行で培った技術だ。


 おんぶと、だっこ。


 ふたりの身体が小さくて良かった。


 A級アサシンの双子。マミヤさんから聞かされたときは屈強な男の二人がやってくると思っていたのだけれど……いま僕の背中と胸で呼吸するふたりは小さい。小さくて幼い。……闇ギルドを追い出されたふたり。一体過去になにがあった? 分からない。


 いまは、いい。


 とりあえず、眠っている状態から起きてくれればいい。


 そうして僕はふたりを身体にくっつけたまま寮を出た。すれ違う人達の視線は凄かった。当たり前だ。奇妙に思われるのは理解していた。それはふたりを身体にくっつけている状態というのも影響しているだろうけれど……なにより僕自身が酷い顔をしているからかもしれない。


 寮を出て学園に向かう。


 陽射しは痛い。


 心地よさは微塵も感じない。


 風が鬱陶しかった。


 心がささくれ立っているのを激しく感じる。


 周囲の視線に突き刺されながら校舎に入る。僕が足を運ばなければならないのは学園長室だった。もちろんカミーリンさんが手を貸してくれるかは分からない。分からないけれど人になにかを頼むのは得意だ。それこそ【精霊の里】において世界樹の蜜を一滴だけ持ち帰ったのだって、あれはリリカルに頼んだからなのだ。無理難題を押しつけられたけれど。



「なにをされているの?」



 と。


 無意識にすたすたと廊下を歩いていたところに声が投げられた。と認識しても僕は反応が出来なかった。三歩ほど進んでからやっと振り返る。鈍い動きで。


 そのときの声を掛けてきた女子生徒の表情というのはひどかった。驚いたあと、あからさまに顔をしかめて怪訝になっており――オレンジの髪が採光の良い窓から射し込む陽に当てられて輝いていた。それですこしだけ僕は目を覚ます。


 見覚えがあった。


 というか初日――図書室に入ることを止めてくれた女子生徒本人だった。


 名前は……名前は聞いていないのだったか。



「ちょっと。あなた大丈夫? ひどくやつれているわよ。顔色も悪いし。それに……大丈夫なの? その二人は。なにがあったのかは分からないけれど」

「……いろいろあってね。ところでなんだけど、学園長室ってどこかな?」



 などと質問を飛ばして僕はようやく気がつく。学園長室の位置に関して僕は詳しく知らないのだ。学園の案内図にも学園長室は記されていないのだ。それでも一度は部屋に入って、そして出た。……いまは学園長室を出たあとのかすかな記憶を辿って歩いている状態に過ぎないのだ。


 オレンジ髪の女子生徒は――そして不思議そうに小首を傾げた。



「あなた、招待状はお持ちなのかしら?」

「……招待状っていうのは?」

「? 学園長室に入るためには、招待状が必要なのよ? ご存じでないの?」

「……なるほど。ただ、あれだ。僕はすこし個人的に付き合いがあるから。直接に言えばなんとか」

「……そういえば、あなた新米の職員さんでしたものね。であるなばら知らないのも無理はないと思いますが……?」

「?」

「招待状がなければ、学園長室にはたどり着けません。特殊な秘匿魔術によって隠蔽されておりますから。ですので……学園長には会えませんわよ?」



 さて。


 そのときの僕の感情というのは自分でもよく分からない。ただ良い色でなかったのは確かだろう。なんだか一気に力の抜ける感覚もあった。しかし前と後ろに背負っているものの重さに気がついて足を突っ張る。それに……なんだ。


 確かに睡眠をしていないダメージは大きいだろう。けれど死ぬわけではないのだ。なにか大きく怪我を負っているわけでもないのだ。と考えてみれば僕は自分自身を奮い立たせることも可能だった。というか――こんなときにずるずると底なし沼に引きずり込まれるようでは本当に腐ってしまう。


 腐りかけた勇者のままでキープしているのが、僕という人間なのだ。


 ゆえに僕は気持ちを一気に切り替えて言った。



「お名前教えてもらってもいいかな」

「……あ。わたくしのですの?」

「うん」

「メリーモと申しますわ」


「ちょっと僕が抱えてるふたりに問題が起きちゃってね。……すこし診てもらいたいんだ。メリーモさんに。恐らく魔術によるものだと思う。あるいは診てもらえる人を紹介してもらうだけでも良いんだ。……頼めないかな?」



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