けらいのひとりもいない女王

 チュンチュンと小鳥さえずる朝靄の中、何本もの巨大な柱に支えられ、その遥か上空にいただく「天照宮殿」には、眼下に広がる太陽系連邦の中心都市、ヤマトポリスの都の不夜城の様を見下ろしている、つややかな長い黒髪の、容姿端麗な乙女の黒い大きな瞳があった。月に何度かの、市民絶対参加である「総裁参拝の儀」の度に、老若男女、はては障害を問わず、徒歩を義務付けている宮殿までの途方もなく長い距離の巨大な階段には、幾重にも、鳥居のデザインをしたアーチが設けられていて、まるで日時計のようにして、時の進みを告げていく。


 男系の総裁が続いた時代は、首都である星というのに、一時は、もはや生物が暮らしていく事自体が困難であるほど、地球の環境汚染は危機レベルに達した事もあったが、ここ何代かの女性総裁による政治手腕で環境問題は一掃され、ヤマトポリスも生い茂る森並みと、未来都市の姿がバランスよく共存し、巨大な都の彼方に広がる海の蒼さも、今や宇宙一といっていい美しさを日の光の元にたたえていた。そんな絶景を望める場所にありながら、

「…………」

 乙女は今日も不安げな顔つきのままに、それらをじぃっと眺めているのみだったのだ。やがて、白い小袖に緋袴の、巫女装束のようなデザインの官服を着込んだ女官の一人が、音もなく部屋に入ってくれば、彼女の背後で、

「イヨ様……」

 と、先代からの踏襲の言い回しで声をかけ、

「は、はいっ!」

 少しギョッとでもするように、自らの名を呼ばれた乙女は振りむき応じるのであった。未だうら若き彼女こそが、太陽系連邦現総裁、イヨである。


 総裁と呼ばれるまでの地位であるというのに、彼女のたたずむ室内は随分とせまく、物も少ない質素な間取りとなっている。

 元々、宮殿の女官の一人にしか過ぎなかったイヨは、就任後間もなくして、女官の時代の寮にあった自らの部屋で使用していたベットを、先代まで空き部屋となっていたその一室に持ち込み、周辺にある家具一式なども全て、その時代のもので統一すると、総裁の新たな寝室とした自らの部屋への女官たちの出入りを、必要最低限以外、一切禁じる事とした。


 就任前の一時期、まるで囚われの身となっていた、複雑な思い出の遺る先代が使用していた巨大な寝室なぞ、決して踏襲しなかったし、衣服の着替えすら自らで行う事を堅持した。ただ、晴天の霹靂で新総裁となったイヨが、権限を以て自分の意思を貫けたのは、せいぜいここくらいまでが限界だったのだ。


 鏡台の前でうすく化粧をし、十二単調をした煌びやかな衣装の着替えと、額に太陽のシンボルが位置するようにデザリングされた輪っか状の冠すら自らでかぶると、イヨは自動ドアの扉を開ける。そこから自らの執務を行う一室までの宮殿内は、かつての自分がそうであったように、巫女装束を纏った女官だらけの女の園だ。

「…………」

 総裁という立場は絶対的である。その誰もが、彼女の存在を確かめれば、自らの仕事をやめて頭をたれ続けている。周りに従者の女官たちを従えて、せめて、もっともらしくと移動を続けるイヨであったが、まさかの今の自分の地位に狼狽を続ける内心は、その周囲の姿たちに、やはりかつての自分の姿を重ねあわせてしまうものであった。とうとう執務室に辿りつき、巨大な液晶端末も兼ねている透明色の机上の前に座ると、早速、各自に政策データーの情報の入ったパネルを手にした、痩せぎすであったり、ぶくぶくと肥えているばかりの、老獪の雰囲気惜しみない大臣や官僚たちがでたり入ったりを繰り返す、憂鬱な一日のはじまりである。


 彼らは、イヨがいつ決定されたのかも知らない政策の決定事項を液晶画面に映し出しては、「認証」を促していく。イヨは言われるがままに、先ずはその書面に目を通す。ただ、聡明な心を失っていない少女には、時に、目を疑うような内容であり、差し出した本人に問いただしたくなる時もあったのだが、

「…………」

 読み終えれば、思うところもあり、ためらう気持ちは尚あるままに、彼女が「認証」という意思を示すだけで、画面に搭載された人工知能が感知し、彼女の瞳に一筋の光をあててきてDNAを読み取り、政策は「最終決定事項」として総裁イヨの意思とされていってしまう。満足げに一人の大臣が去れば、今度はまた別の男たちがすれ違うように部屋に現れる。


 先代に「後継者」と宣言されたイヨの総裁としての価値は、今や、これのみのために存在していた。


 今日もイヨは、この言い知れぬ激務に追われていく。ましてや、相手は銀河系全体に及ばんとする規模の政治内容である。

「…………」

 彼女はふとした合間にこめかみをおさえ、徒労をおさえようとした、その時だった。

「あら、イヨ様、御加減がすぐれませんか?」

 執務室で従うように直立している女官の一人が語りかけてきたのだ。

(…………!)

 イヨがその一声に一瞬身震いし、振り向く間もなく女は彼女に近づいてきていて、

「いけません。私たちが、癒してさしあげましょうか……?」

 耳元で妖しげな口調で語りかけてきた瞬間、イヨはかつてのトラウマを思い起こし、

「いやーーーーー!」

 と、気づけば絶叫していた。


「どうなされました!! 総裁閣下!」

 絶叫にすぐさま踊りこんできたのは、政治家クラス以外、ほぼ男子禁制となっている宮殿内で、男性の入室許可が唯一許されていると言ってもいい皇宮警察隊に就いている者であった。その体勢は、既に腰に帯刀したレーザーサーベルの柄を握った抜刀寸前の構えである。無論、レーザー銃も装備しているのだが、いつの代かの総裁の一声により、宮殿内での発砲は禁止となって随分と長い歴史を編んでいた。有事の際の懸念も残る因習であるが、総裁の命令は絶大である。新たな主の発令がない限り、それは何千年経とうと覆る事はなく、遺り続けるのだ。警察隊隊長でもある髭もじゃなその男は、制服の上からでも鍛え抜かれた体である事がよく解る壮年の男で、震えるイヨの元に一目散に駆け寄ると事態を察し、周囲にいる女官たちに対し睨みつけるように無言で問いただしていた。どこか面影がタケルとよく似通っている厳しい視線を前に、やがて言い寄った女官は、

「……ふんっ!」

 と、不満げに鼻を鳴らした後、

「私たちより若いってだけで……あの方の寵愛を受けてたくせに……図にのるんじゃないわよ!」

 捨て台詞をはくと、他の女官たちと共に執務室を出ていってしまった。


ガラーンとした執務室で未だイヨは震え、皇宮警察隊隊長は、そんな彼女の姿を複雑な視線で見つめていた。今、彼女の脳裏には、総裁即位前までの、悪夢のようでいて、自分でも言い知れぬ感情に戸惑う日々の事が浮かんでいたのであった。






 元々、イヨは先代の総裁として長い事政権に君臨していたヒミコに仕える女官たちの中でも、その末端の地位にいる者にしかすぎなかった。それでも天照宮殿の女官の報酬は、故郷で貧乏な暮らしをしている親姉妹たちに充分な潤いを与えてあまりあるほどの高給で、帰宅した寮内の自室で、仕送りの度に謝意を述べる家族たちとの映像通話を楽しみながら、思い切って上京した甲斐があったとかみしめる日々を過ごす、素朴な心持の少女であった。


 多くの女官たちが働く宮殿内で、皆と同じように頭をたれつつ、年老いた総裁の姿はいつも遠巻きにしか確認できなかったのだが、悪戯な運命は、ある日、突然、彼女の前に訪れる事となる。


 その日も太陽の光まぶしい、陽気な気温の時の事だった。総裁は古典的な仕様を好むとの事で、イヨは大昔の人間がそうしていたように、蛇口にホースをつけると、緑生い茂る庭に水まきをしていたのだ。青空はどこまでも澄み渡り、鼻歌の一つですら口ずさみたくなるほどである。と、そこで、なんの拍子か手元が滑り、イヨは水浸しとなってしまった。そして、なんと、そのタイミングで、執務中であるはずのヒミコは、おしのびで突然庭先に現れたのだ。


「………………!!」

 最早、長期政権の主であるヒミコに逆らえる者など誰一人いないのが現状であった。加えて、総裁の前での立礼は絶対である。慌てふためきながらも、イヨが頭を下げ続けていると、小柄で年老いた女総裁は、数人の女官と共によろよろと彼女の元に近づいてくるではないか。


「………………!!」

 事態に更に困惑し、恐縮し続けていた時だった。ヒミコ自身の口から立礼を解いてよい事と名を聞かれ、イヨが恐る恐る顔を上げつつ自らの名を告げると、目の前にいる老婆は、水に濡れたせいで衣越しでも露となったイヨの抜群のプロポーションと、若さもあって尚更際立つ美貌を、上から下まで何度も食い入るように眺めては、年甲斐もない上気な顔をしているように見え、周囲の女官たちからはやたら忌々し気な視線が突き刺ったようにも感じたが、この時のイヨには、その理由が何一つわからなかった。


 やがてヒミコたちは立ち去り、その後は何事もなく勤めあげたイヨが寮に帰る頃には、地球と同じように海をたたえた青く光る月もあがった宵の頃だった。仲間たちと共に食堂で食事をとり、共同風呂で一風呂あびてから部屋に戻ると、窓の外の青い月をぼんやりと見上げつつ、彼女はベットに腰かけ、今日の仕事の疲れにまどろんでいた。と、そこに、誰かしらの来訪を告げるインターフォンが鳴り響くのであった。室内に設けられたモニター画面を確かめると、自動ドアの向こう側には一人の女官の姿が映し出されている。そして無表情な表情は、自らをヒミコからの使いであると名乗った。


「…………?」

 イヨはとるもとりあえず、室内に、いつでも着用しやすいように、浮遊させ、固定していた巫女装束調の女官の官服を慌てて着込むと、部屋に取り付けられたAIに、自動ドアのロックをオープンにするように指示をだした。


 普段なら未だ賑やかでもおかしくない寮の廊下は、今日に限って静まり返っていた。すっかり消灯時間も過ぎた暗闇の中を、先導する女官の灯りを頼りに、イヨも付き従っていく。やがて、宮殿内でも普段は入った事のない区画へと進むにつれ、イヨの心にも多少のさざ波が起きた。ただ、まだ、この時は、見慣れない光景への緊張感でしかなかった事は言うまでもない。


 とうとう先導の女官が辿り着いた場所は、人ひとり分が使うにはあまりある、大理石調に設えられた脱衣所で、女官はイヨに振り向くと、今から湯浴みをするようにと無表情に言い放ち、去っていくのであった。

「…………?」

 風呂は入ったばかりだが、とは思いつつも、言われるままに服を脱ぎ、イヨは眼前で濛々としているガラス張りの自動ドアを開ける。途端に外気で煙は逃げていくと、そこは巨大な大浴場で、湯舟の中にそそり立つ白いライオンの像の口からも、何やら薬用の盛り込まれた清々しい香りの湯が、懇々と湧き出ているのであった。

「わぁ……っ」

 この瞬間ですら、イヨにとっては、たとえひと時の事であったとしても、素敵な景観の浴場を独り占めできる乙女心の方が勝り、歓喜の一声すらあげたのだ。


 湯の加減は抜群に素晴らしかったのは言うまでもない。ただ、満足気に脱衣所に戻ったところで、先刻まで自分が着用していた女官の官服も、そして下着すらをも消え去っている事に気づいた。変わりに置かれていたのは、まるで天女の羽衣のように透明色の衣一着だけである。漸く嫌な予感を感じ取りはじめたイヨが、それを広げ、訝し気に見ていると、どこから監視しているのか、先ほどまで先導役だった女官の声が、マイク越しの音質で室内に鳴り響き、その羽衣の着用を終えたら、こちらから「入室」するようにと言い終えるや否や、脱衣所の大理石の壁面の一角は、機械的な音を立て、正方形の暗闇の彼方を指し示すのであった。

 着用と言っても、どのみち裸体同然の姿のまま、イヨは恐る恐る暗闇の中へと一歩ずつ踏みこんでいく。そして、目が慣れてきた時には、そこが巨大な寝室で、後に黄金色と解る天蓋すらついた巨大なベットの上には、不釣り合いなほど小柄でしわくちゃなヒミコが腰をおろしており、今や、自らの体を舌なめずるように眺める妖怪と化した姿が確認できたところで、とうとうイヨは理解不能な恐怖にゾッとしたのだった。だが、時は既に遅く、戻るべき道は暗闇にとっくに閉ざされてしまっていた。


 それからというもの、イヨはヒミコの寝室から外にでる事は許されず、全裸か、せいぜい透明な羽衣を着る事以外叶わないような日々が続き、時に、ヒミコは、総裁の責務の息抜きに、そして、夜の褥に、イヨの体を都合のいい人形のように求めてくるのであった。その皺しか刻まれていない小刻みに震える指先は、滑らかな肌のあらゆる箇所をまさぐり、歪んだ欲望にまみれた舌は蛇のように這いずり、イヨは、あまりの仕打ちに涙した。

 もうここ何代か続く女性総裁の地位の移行は、こういう過程を経て受け継がれてきていた。代々の総裁の歴史というのなら言わずもがな、ヘテロも男色も含め大なり小なり似たようなもので、全銀河系を手中にせんとする太陽系連邦の中心にある地球人類は、どれだけ幾年すぎようとも、支配欲と性欲という点において、他の種を圧倒的に凌駕する民族であったのだ。


まるで奴隷のように性を搾取されるだけの日々であったとするなら、イヨはとっくに気がふれていた事だろう。ただ、食事は豪勢なほど充分に与えられたし、スタイル維持という厳命の要素も多分にあるとは言え、様々にあるヒミコの寝室の隠し部屋の一つはスポーツジムとなっていて気晴らしに汗も流せた。そして何より彼女をそこに留めおいた理由は、田舎の家族に送られる法外な「報酬」であった。「極秘」さえ厳守すれば外部との連絡も自由で、「総裁お付き」となった事を素直に喜ぶ家族たちと、映像電話で何度も会話した。映像上はトリックを用いて官服姿で映えるが、実の所は主にいつ弄られてもいいように裸体のままに過ごすのだ。


 そんな生かさず殺さずの日々の中、時に、我が物のように、自らの豊かな乳房をしわくちゃな手が触れるのを許しながら、膝枕に寝転ぶ老婆が独裁の孤独を、ふと淋し気に口にもらせば、少しずつ、少しずつ、心は動かされるほど親密になり、もし、後、何年か続いたとするなら、そうした性的指向をイヨも植え付けられていたかもしれない、既に百をとうに超えた年齢差である二人の関係は、束の間の蜜月のひと時も過ごしたものだが、それもヒミコの崩御によって終了した。無論、イヨにいれ込んでいたヒミコは、息を引き取る寸前に「後継者」としてイヨを指定し、貧乏な両親に親孝行したいがためだけに上京し女官となっただけの、田舎出の素朴な美少女は、ヒミコの持つ孤独に哀れみすら感じていたところだったので、素直に心から涙したのである。ただ、そんな慈愛の心の持ち主に、権謀術数が待つ突然の総裁の座なぞ、当然、重責でしかあり得なかった。






 この天照宮殿という建物自体、連邦設立当初とどれだけ変貌を遂げてしまったか、ホログラムで解る事はあっても、実際に目で知る者がいなくなり、随分と久しい。奇妙な出会いの場となってしまった花園では、今日も穏やかな陽の光の下、小鳥たちがさえずり、何も知らない女官たちがせっせと働いている。


「………………!」

 執務室では、未だ、複雑な顔を向けた警官の目の前で、少女が震えていた。ただ、この日を境に、宮殿から女官という姿は一切消え去る事となる。この少女が総裁としての強権を発動する事ができた、細やかなる三度目の改革であった。







 

























 

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