日常のはじまり

「要するにーキミのママはさー。オタカラコーポレーションって会社の名誉会長兼大博士の娘の、ものすごいお嬢様ってことさ!」

「だから、へんなこと、覚えさせるなっ! いいのよー。テトー。わたしの名前は、マーブル。マーブルって呼んでー」

「マー……ブル……マ……マ……」

「ほらーもーう」

「クックック……」


 今や、マーブルもクッションに座り、母親が差し入れてきたジュースのあるちゃぶ台を前にして、悪友のテトへのからかいに、頬を膨らませている頃合だった。

 そんな飲み物は、座り込むテトの前にも置かれている。大きな巨体であるというのに、丸まるように体育座りなどをしている人造人間は、眼前のその物体をしげしげと眺めていたりしたのだが、

「それは、ジュースっていうのよー。ほら、こうやって飲むの」

「オ……オー……」


 そして、わざわざマーブルが喉を鳴らすようにして、飲み方を教えれば、いたく感動したのはテトであったりもしたのだが、彼の大きな手のひらがゆっくりとグラスの方向に動きだせば、「え、飲むの?」などとマガネが真顔になるところに、「そりゃ、そうよ」などと、あっけらかんとしてマーブルが答える。


 ただ、ゴク……ゴク……と、裂けた口からは、少々、首筋に滴らせながらも、主の物まねをした刹那、


「オオ……!」

 テトはその初めての味覚に興奮したと思えば、思わず、手にしたグラスを木っ端微塵にしてしまうではないか。

 ギャッハッハと、そんな光景に大笑いしたのはマガネである。


「キミー、ロボットなのに、めっちゃ美味そうにするねー」

「あちゃ~。だから、マガネっ! そうじゃないって言ってるでしょ?!」

 そして、マーブルはなにやら一声かけると、途端に、部屋の隅で眠るようにしていた、掃除専用のロボットは起動し、テトの周囲に散らばるグラスの破片を速やかに、その機体のなかに吸い込みはじめ、彼女は、まるで我が子にそうするように、テトの顔付近でこぼれおちている、ジュースのあとを拭いてやったりするのだった。


 いつの世でも、乙女同士の談笑というのも、話はポンポンと飛び交い、そんなハイペースなキャッチボールの波にさらされていれば、テトの語彙力も少しずつとはいえ、伸びていく。


 部屋に差し込む窓の光も、未来都市の影がたそがれ、それに合わすかのように、マーブルの部屋の灯りも徐々に明るくなっていく頃、

「今日も、うちで、食べてくのー?」

 などと、マーブルが話しかければ、「まあね……」と、天井などを見上げているマガネの表情は、先程までと打って変わってまるで無表情だ。


「もーう。いい加減、お母さんと、仲直りしたらいいのにー」

「オカアサン……」

「そうそう! テトもだんだんわかってきたよねー。マガネの家、長南家はすごいのよー。大昔から、なんか、政府のお抱えなんだからー」

「オオ……ソレハ、スゴイ?!」


 さっきのお返しとばかりにマーブルは話し始め、大分カタコトもとれたテトが返しているなか、マガネは黙って天井を見つめるのみである。そして、テトがつい、マガネの方を向いて、

「マガネ、家、カエル。オカアサンガ、マッテル」

 などと言い、それに他意はなかったにせよ、途端に舌打ちをして不機嫌を露にしたのはマガネであった。

「あのさー。テトくん、それは私が決めること」

 立膝すらついて、ギョロリと睨みつつも、尚、不気味な半月の笑みが頬に浮かべば、底知れぬ凄みに、テトはこの日、一番の狼狽を見せたかもしれなかった。


 予定通り、良好な情操を身につけていることに安心していたとはいえ、思わぬところで自立した思考ももちはじめていることには、興味をそそられつつも、子供の頃から知っている、マガネの家の空気の冷たさをも知っているからこそ、マーブルは、そんな二人の間で、八の字の眉を作るしかなく、一度、スンと鼻から息を通しては、

「はーい。二人とも、ストップー! かあさんたち、もう作りはじめてるわよ」

 などと、部屋の空気を入れ替えるようにするのだった。


 広々とした居間にある、大理石でできたテーブルの上には、マーブルの母親とロボットたちが作った、食べきれないようなご馳走が並んでいる。高原家の各自が着席するなか、

「オオ……!」

 などと、そんな手料理を前にしてテオが口にした呟きは、感嘆符であったことは間違いないだろう。そして、金髪の美魔女が、

「さぁ、みなさーん、召し上がれー」

 などと口にした瞬間、テオはガツガツとそれらを食い始めたではないか。そして今宵もちゃっかり、ご相伴にあずかったマガネがぼそりと、

「……よく食うねー」

 などとマーブルに話しかけると、

「まあ。食べないなら食べなくてもいいんだけどね。家族団欒とかでさ、こんな子がいても楽しいじゃない」

 と、けろりとマーブルは答えるのだった。


 近所に住むマガネは、今宵もなかなか帰ろうとはしない。そして、相変わらず、テトを犬だか猫だかをからかうようにしては、ギャッハッハと、三日月の笑みも全開にして笑い転げる頃、「わたし、お風呂、入ってくるー」などと自室の自動ドアを閉めたのは、マーブルであった。

 泡のわくバスタブに裸体をうずませながら、自らの手がけた起動実験の成功にとりあえず一安心とすると、少し気のゆるみも手伝ってか、マーブルはウトウトしたかもしれない。


「ほーら、キミのママは、食べちゃいたいほど、ナイスバディだろー」

「ア……ガ……!!」

「…………!!」


 乙女がハッと気づいたときには、バスルームの仕切られたカーテンはとっくに外されていて、そこには、黒服のセーラーと、はるかな巨人が、二人並んでこちらに視線を送っているではないか。

 刹那、湯舟のなかとはいえ、開けっ広げな体勢にすらなっていたマーブルは、「キャー!」などと慌てて取り繕うと、ギャハハと笑うクラスメートには、流石にキッと睨みつければ、

「いいかげん帰れ! このエロボケ!」

「そんなーつれないこと、言わないでよー」

「それに、こんなとこに、テトを入れるな! わかってるでしょ?! この子は男の子設定なの!」

「オ……オ……オト、コ?」

「あーん! もーう! テトは知らんでいい!!」


 いつもの日常とはいえ、悪友次第では、今日から新たな刺客を自ら作り出してしまったことにもなりかねない。浴槽にはマーブルの怒鳴り声と、尚もケラケラ笑う悪友と、視線を釘付けにしまっている人造人間が錯綜している。

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