ひと夏の過ち

 マーブルにしてみれば、突然のことにマガネにむけて瞬きを繰り返すのみだ。そして、

「えー。どうしたのよー。アスナさんとケンカでもしたのー?」

 などと、少し茶化してみたものの、カーテンの隙間越しに見える夜の街などをじっと見つめたマガネは、「うんにゃ」などと答えるのである。


「なら、どうして……」

「私さ、はじめて、撫でられたんだ」

「えっ?」

「こっちが、めっちゃがっついてんのにさー……あんなふうに振り向かれて、頭、撫でられんの、はじめてだったよ」


 どんな状況なのかは計り知れないが、暗い話ではないようではないか。


「えー? よ、よかったじゃなーい」

「マーブル、私、言ったよね?」

「ふぇ?」

「はじめて略奪した、ってさー」

「あー……」

 しかも、それは古くからの友として知る限り過去最速であったことも、マーブルはよく覚えている。やがて、マガネは内股にした自らの腿の上に両肘をのせ、その手のひらの上に頭すら乗っけると、「そりゃ、ほんとは男の子好きな女の子を、私好きには、いくらでも変えたよ?」などと語りはじめ、

「だから、今回なんて尚更、さ。男なんて忘れてさせてやんよ、ってな感じ、結構、燃えたし、バリバリ抱いてやったわけだけどさー」

「う、うん……」


 なにか、これまでのアスナとの日々を思い返すようにすらはじめたマガネの語り口に、友としてできることといえば、頷くくらいだろう。


「……もともと男とデキてたからか、年上の余裕ってやつなのか、ただ単に、アスナってコが、いい女だったからかは、わかんにゃい……嬉しかったよ? けどさ……あー、きっと彼ピーにもこうしてあげたんだろうなあ、なーんて、気づいたらよぎっちゃっちゃう自分がいてさー。やー、NTRって、リアルに後味わるいんだなー、なんちてっ」

 ただ、おどけるようにしてマガネが舌もペロリとすれば、マーブルは言葉を選ぶようにしつつも、


「で、でもっ、アスナさんが、マガネにそうしてあげたい、って気持ちは本心なんだから、いいじゃない」

「どうだかねー……」

「真心に決まってるでしょー? マガネ、あんたも女の子なんだから、わかるようなもんでしょー」

「それが、そうとも言えないんだなー……私の、単なる悪い虫さ……」

「なによー。それー」


 すっかりニヒルに意味不明となった友に、マーブルは軽く頬も膨らましてみせると、「そんなわけでっ!」などと、黒手袋の両手をパチンと合わせたマガネは口調を変えるようにし、


「善は急げだ! 明朝、発とう! できるだけはっやーく! そう、それがいい! そうしよーっ」

「えー」

「ガウア……アガ……マガネ?」


 とうとう、マガネの大声に、人造人間も起こされてしまった。すると、間髪入れずといったふうなマガネは、テトの元まで駆け寄り、「少年、新しい星にレッツゴー! するぞっ!」と話を進めれば、何も知らないテトは、「オオッ!」などと素直に喜んでしまう始末である。


 こうして、夜も明けきらないうちに、宿の地下に何層にも分かれて設置されている宇宙船の地下駐車場の一角にて、コックピットに座ったマーブルはあくびをしながら、出航の準備をすることになってしまった。

「ねぇ、アスナさんには、いいのー?」

「いいのーいいのー。もう、話はついてるのー」


 マーブルは念を押したが、隣に座る黒い制服姿はすっかり鼻歌まじりとなっている。そして、「やれやれ……」などと、もう一度、マーブルが思いっきりあくびをした、そのとき、『ママ』と、機体を通したテトの声など響き、

「なにー?」

『アスナダ』

 コックピットの一角には、気づいたテトが、わざわざ、拡大画面の映像にして、白と赤のハンターの乙女の姿が、こちらをせつなく見上げている姿を映し出すではないか。


「……マーブル、ちょっと待ってて」

「……んー」

 そして、友の声音がいつになく低いトーンならば、マーブルもそれ以上の詮索もしない。


(やれやれ……)

 マーブルは、拡大画面となっている映像に、やがて映りこむマガネの後ろ姿などに視線をやっては、ため息のひとつもつく。


 宇宙船ならぶ一角で、声なき声なれど、アスナはいつになく感情を露にして、その頬には涙もきらめき、首を振り続けているではないか。


『アスナ、カワイソウ』

「そうねー」


 相手がこんなに好意をしめしているなら、なにも問題ないではないか、などと、マーブルは、もう一度、ため息をつく。

(……なんだかんだで風光明媚だしさー。ここ、いいのにー)

 ただ、ぼんやりと見つめる先で、マガネが一際に、アスナの顔に寄れば、それは仲直りのキスか程度にマーブルは思ったのだが、その友の後ろ姿は、しばし経つとそのまま離れ、すると、そこには、ただただ呆然としているだけのような、アスナの姿があるのみだったのだ。


(……?)

「さぁ、いこう」

 さっきまでの表情が嘘みたいな変化で、思わずマーブルが瞬きを繰り返していると、やがてマガネは戻ってくる。


「ちょ、ほんとにいいの?」

「いいの。これで終わりー」


 アスナは尚、呆然としている。八の字眉のマーブルは、せめて笑みをつくり、船窓越しに手を振ってみせたりしたが、やがて地上に向け、ベルトコンベアーのように、船が移動しはじめる間際となっても、女剣士の優等生は、なにも答えることなく立ち尽くしているだけだった。


 こうして、宇宙空間へと、またもや飛び出したマーブル一行だったわけなのだが、あてもなくハンドルを握るすぐ隣の席では、足を組んで、手に顎をのせた黒いセーラー服も押し黙り、遠いところを見つめたままなら、船内の空気はなんとなく重いものになるのも仕方がない。


(…………)

 とりあえずマーブルは、船内に「タケルの歌」を流す。こういうとき、音楽にはなかなかな効用があるというものだ。やがて、マガネは、気を取り直すようにすると、

「……ま、『ひと夏の過ち』ってやつさー。充分、気持ちよくさせてやったしー? むしろ、ハマっちゃったりしてーっ」

 などと、いつもの調子でクックックと笑いはじめる。いまいちピンとこないマーブルは、八の字眉のままに、それでも笑みをたたえ、

「なーに、言ってんのよー」

 と、アクセルを踏み込むだけだった。

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