歪んだ闇

  アスカがハイデリヤは大オノゴロ国の首都、オンサルに辿り着き、カムイの宮殿に囲われる頃には、既に多くの妃がいたというのは既出の通りである。とっくにカムイに心も傾きはじめていたアスカは、にこやかにしていながらも突き刺さってくる数々の視線に、青き瞳で負けじとやり返したものだった。だが、その後、カムイが褥の共にするのはアスカばかりで、それは、最早、盲目的ですらあり、正直、アスカ自体もしばしの優越に浸ったりしたものだったが、気持ちに優しさもある乙女故、やがては、その腕の中で抱かれながらも、今も、王宮のどこかで耐え忍んでいるのであろう、幾多の他の女たちの存在には、時に、複雑な心境ももたげる夜もあったのだ。そんなある日のことだった。謁見や宴会に使われているという広大な一室の、石造りの上に毛皮などでもって飾られた玉座は、それまで、カムイのみが一人、そこに座るためにあったらしいのだが、その日のそれは、もう一席、似たような座が設えられていたのであった。


「…………」

 カムイに連れられやってきたアスカが、それを訝しげに見つめていると、黒い王は瞳も黒のままに、アスカに振り向き、

「これはな、アスカのだ」

 などと、とても、満面の笑みでもって語りかけてくるではないか。

「座れ……」

「…………」

 とりあえず言われるままに、アスカは座り、周囲を見渡すと、そこには、彼が「兄弟」と呼ぶ、ハイデリヤ各地の族長たちと共に、カムイの妃も皆、揃い、共に平伏している。やがて、カムイが、

「楽にしていいぞ……兄弟」

 などと言うと、族長たちは、あぐらをかいてその場に座りはじめたのだが、妃とされた者たちは未だに平伏をしたままに其処にある。

「そうだな……お前たちは酒をもってこい。兄弟たちをもてなせ。確か、踊りの得意な者がいたな。そいつらは踊れ。喜ばせろ。『神に繋がれし者』はいるかー!」


 玉座に座ったカムイは一介のカリスマであった。矢継ぎ早な命令に、誰も逆らう者などいない。また誰もが、その一人の者の一声、一声全てに迅速な対応をみせるところに、この星の、たった一つの巨大大陸を全て統一した国の在り方が垣間見えるような縮図であった。やがてギターのような楽器などを手にした鬼たちが、奏で、歌いはじめると、女たちは踊り、また、各地から集った族長たちの盃に酒をも足していく。ただ、妃であるはずというのに、それは随分とぞんざいな扱いだ。既に玉座の上に足を立て、王らしい行儀も何もなく飲み始めていたカムイは、盃をアスカに勧めたりもしてみせたが、なんだか光景に異様さも感じれば、まるで嗅いだことのない強烈な臭みもあるその酒に、乙女は首を振って断るのみであった。それをたまたま目にした何処かの族長が、

「おお……皆、見たか?! 王の勧めを断ったぞ! こりゃあ、明日の雨は、大きな斧だ!」

 などと笑うと、下品た笑いが一斉にそれに続く。

(…………っ)

 とりあえず、アスカは、同じ妃であるはずの者たちを、今一度、見渡してみるのであった。ほとんどをカムイと共に過ごしていたので、彼女たちとは会話らしい会話すらできぬ日々であったが、その顔のどれもどこかに、憂いを耐え忍んでいる複雑な感情を窺い知ることができるではないか。


 やがて暫くし、少し、瞳も呆けはじめていたカムイは、

「聞け、兄弟たちよ」

 などと、すっかり姿勢を崩しきったままに、呟くように口にしただけで、それまで宴に楽しんで者たちですら、表情を変え、一斉にかしこまり、そちらを振り向いたりするのだから、物の見事な絶対主義を眼前に、いつの時代かと、アスカは困惑するのみであったりした。最中、その王であるカムイは、

「強き長兄は、この宇宙狩りのはて、とうとう女神を見つけだしたことをここに告げる!」

 などと、語りだし、その盃を手にしたままの手で、隣に座す金髪碧眼の乙女を指さすと、

「名はアスカだ!この者こそが、オレの真の妃だ!そうだな。呼称は……『光の妃』、がいいだろう……今後は、神の子であるオレと同じく、この『光の妃』を女神として、崇め、恐れ、奉れ!」


 最早、言葉にも酔っているかのようなカムイは、体すら揺れながら語り続けている。途端に、

「ハハァー!!」

 と、族長たちは一斉に、その場で平伏して答えたものだが、ふと、その中の一人が、

「王よ……偉大なる神の子の長兄よ。では、この者どもはどうするつもりだ? これからも妃ではあるのか?」

 などと、カムイの言葉に狼狽え、こわばらせた表情も、なんとか耐えようとしている、民族ゆえに姿かたちの多少な差異こそあれど、どれも可憐な女たちの姿を見渡したりした時であった。すっかり三白眼に座り切っていたカムイは、

「ああ……それか。そいつらは、もう、飽きた。お前たちにくれてやるよ」

 なんぞと、平気で口走るではないか! 信じられずにアスカがその顔を見れば、そこには、彼女が今まで見てきた中で、一番に歪んだ目つきで笑みを浮かべている、黒い王の横顔があるではないか!


 途端に酒宴は、ただならぬ雰囲気となり、

「犯したいやつは、今、この場で犯してもいいぞ! 食って、呑んで、犯せ! この黒王が許す!」

 という王の一言と共に、広大な宮殿内では、途端に女たちの阿鼻叫喚と、猛鬼たちの下品た笑い声で満ち満ちていく有様ではないか! 中には、

「王よ! あたいは、女なのだが、いいのか?!」

 などと問いかける者もいたが、

「無論だ! せいぜい気に入ったものを犯し、さらっていくがいいさ!」

 と、カムイは平気で答えるのだ!


 アスカは、信じられぬ眼前の光景に、しばし愕然とするしかなかった。すると、ビリビリに引き裂かれたショールもそのままに、まるで、アスカが少女時代に生前の母親から教わった、森の妖精であるElfのように、木の葉のような形の長い耳をもった美女が、カムイの玉座に駆けつけてきては、

「こ、こんな……カムイ様! 私は貴方様のためだけのことを……!」

 などと、涙目で訴えてみせたりもしたのだが、冷酷な表情は、クスリともせずに、その者を見下ろせば、

「よく言うな……。お前が密通していたのは知ってたのだぞ……。他の男に抱かれることなど、造作もないことだろうが……!」

「そ、それは…………っ!」

 ドスすら効いた声は答え、妖精のような異星の美女は悲し気に何度も首を振りつつ、何やら弁明しようとすらしたところだった。なんと、カムイは足蹴にすると、エルフの美女は悲鳴と共に、欲望渦巻く彼方へと堕ちていってしまったのだ! 漸く、我に返ったアスカが、戦慄すらおぼえ、咄嗟に席から立ち上がり、カムイに制止と制裁すら加えようとしたが、

「お前は、座っていろ………………!!」

 と思うが早いか、カムイに睨みつけられれば、遺伝による超能力は発動され、アスカの体は言われた通りに座ったままにさせられてしまうではないか! 


 ただ、こんなことで屈するアスカではなかった。今や、彼女は「光の妃」なる、この国の真の妃なのである。今度は、自らの家来ともなったばかりの者たちに、

「や、やめなさいっ! みんな、やめなさいっ!」

 と叫んでみせると、さすがは独裁者から与えられた権限は即効性もあり、色欲に溺れながらも、耳変わりの角に響いた幾人かは、その声に反応する素振りも見せたのだが、

「黙れ……!」

 今度、王は、妃の口元へ向けて、空中でなぞるような素振りをしてみせると、

「む、むぅうう?!」

 なんと、アスカの口は真一文字に結ばれたように何も言えなくなってしまったのだ! それでも、なんとか抗おうとする最中、玉座に立膝をついていたカムイは周囲を三白眼にニヤニヤと見渡し、

「『光の妃』が何やらいったが、黒王が相殺とする。お前たち、心行くまで、飲み、食い、犯せ!」

 などの宣言すると、場内の鬼どもは歓喜に包まれていったのだ! カムイは全ての者が、自らを讃える声に溺れながら、笑みのままに、ガクンと首を前にたらしてみせたりして、

「ここは、オレの世だ…………!」

 などと呟き、意識と無意識の間を漂っていった。

 

(……あれはいつの頃だったろうか、オレには大事なものがあり……それは壊れ、壊された。すると、オレの中の何かが死んで…………オレは、オレでなくなったような……)

 酒に酔い、王であることに酔うカムイは、玉座の上にて微睡んでいる。と、今にも、

「王よ! 我らが神の子よ! 黒王よ!」

 などと、例え無礼講であっても、常に賛辞を忘れぬ手下どもの声も子気味がいいものだったりしたのだが、ふと、周囲にある「神下ろし」をかき鳴らしている音色が耳につきはじめると、なんだか、カムイは非常に不愉快な気分にもなっていった。そして、おもむろに抜刀すれば、一人の楽士のもとまで辿り着き、その者が、自分を見上げ、恐怖し、恐縮しながらも、尚も、命令通りに必死に奏で続けようとしているというのに、カムイは、とうとう手にした剣でもって、その腕をバッサリと斬りつけたのだ! 途端に悲鳴はあがると、まるで皮一枚でかろうじて保ったかのような自らの腕を抱え、楽士は苦悶し、うずくまる。床は一面に鮮血がほどばしっては広がり、他の「神に繋がれし者」たちは、恐々としながらも尚、奏でる中、族長たちの群れからは、ドッと笑いすら起きた。


「ピーピー、ピーピー……うるさいぞ!……これだから『神に繋がれし者』は……! それが戦で受ける傷というものだ……おぼえておけ……!!」

 ふらつき、呂律も怪しいカムイは、うずくまる楽士に捨て台詞をはくと、またもや、玉座の方へと戻っていく。そして、絶句となって睨みつけているアスカに、

「女……こっちに来い……!」

 などと構わず、語り掛ける顔の笑みは、悪魔の化身のようですらあったが、今や、王の間は、あちこちで、鬼たちが女を良いようにする乱痴気騒ぎとした酒宴と化す中、今度は、アスカを乱暴に立たせ、何処かへと連れ出そうとするのであった。


 千鳥足もそのままに、

「お前たちは……、天翔ける船を、少し動かせるくらいで、あとはすっかり軟弱な上に、オレたちもはるかに儚いそうじゃないか。そのくせ、若さや死というものには、異常なほど敏感ときている。……なんと滑稽な民族なのだ。……女、オレの妃になって……本当によかったな」

 乱暴に腕を引っ張り、語り続けるカムイは、アスカをアスカとして認識しているかも怪しい口ぶりである。ただ、その背中を、尚も、顔、険しく睨みつけていたアスカが、ふと、特殊部隊時代の知識として思い出したのは、ハイデリヤ人の寿命の異常な長さのことであったりした。では、目の前にある者は、まるで、酒に飲まれただけのただの異星の青年の姿でしかないが、アスカが思いもおよばないほどの長い時間を、過ごしてきたというのであろうか。


 やがて、連れ込まれた一室は、古代の宮殿の様な一室には似つかわしくない、機械の回路が壁面中に張り巡らされており、目の前には、人一人入れるほどの大きさのカプセルが設置されているのであった。出迎えるAIロボットの姿もある中、その機器の特徴を見て、すぐさま、それがなんであるかを、聡明なアスカが悟っていると、

「お前らが知る若化装置なんぞ、くらべものにならんぞ……」

 尚、普通にも立っていられないままのカムイは語り、高らかに笑ってみせたりするのではないか。


 永遠に老いることもなく、いつまでも、若々しくありたいなんぞと思うのは、種族を越えた共通の欲望であったりする。それは、かつて、生命の寿命という限界に挑もうと、様々な星々、国々が共同で開発を試みた「若化装置」という装置であったのだ。ただ、地球人のみならず、被験者となった多くの種族の者たちは、その後、様々な身体的副作用を生み、とうとう様々な議論をも巻き起これば、やがて銀河系連合名義で、全星々と、国々で、「禁忌」とされたはずの物だった。


「安心しろ。剣でなんども脅し、殺し、改良させたのだ。遥かにいいものだぞ。もう何人もの女をいれた。これぞ、まさしく、王の……」

 尚もふらふらと語り続けようとしたカムイであったが、とうとう、アスカの堪忍袋の緒は切れ、

「いいかげんにしろっ! このっ! バカカムイっ!」

 一喝と共に、パシーン! と子気味のいい音すら立てて、赤い光の妃は、黒き鬼の王の頬をひっぱたいたのであった。ふらつくカムイの頬は見る見る赤く腫れ、呆然と立ち尽くすのみであり、そして尚、アスカが強く睨みつけている中、やがて、焦点も定まっていないカムイの視点は、アスカの向こう側の何かを追い求めるように、なんとも弱々しげに手を伸ばそうとすると、

「…………かかさま」

 などと一言、ドサリと倒れ込み、とうとううずくまってしまう有様ではないか。やがて、這いずり、アスカの足元にすがりつくと、

「……かかさま……ごめんよう……怒らないでよう……かかさま……」

 と、いつぞやのように呟きはじめもする、この口調は、きっと、アスカか、あの場にいた女性たち位しか知らなかったりする秘密であろうが、

(……はじまったわ!Hört auf(マザコン)っ!!)

 元が少女にして、日本の特殊部隊にまでのぼりつめた気性のアスカである。持ち前の正義漢も手伝い、今日という今日は、そんなことで許してやる気など毛頭なかった。仁王立ちにして腕を組むと、

「女の子はねっ! モノじゃないのよっ!」

 と、厳しい顔のままに見下ろし、言ってのけてやったのだった。


 最中、鬼の王は、ショール越しの、自らの腹の露な肌の部分に、哀願するように顔をこすりつけてきたりしているが、意外と柔らかな黒髪も、今日は一切撫でてやらないという固い決意のままに、光の妃は、尚も腕を組み続け、厳しく睨むのみであった。すると、泥酔の王は、少しすすり泣きはじめると、

「オレ、巫女に、族長に、なれないんなら……それでもいいんだよう……」

 などと、唐突に意味不明なことを語りだすものだから、固い決意のままにいた乙女も、思わず、

「は、はぁ?」

 と、狼狽え、問いかけてしまうのであった。ショール越しにアスカの肌を確かめるようにしながら、カムイは語り続ける。

「かかさま……コロポのととみたく……オレも『神おろし』……作ったんだよ…………オレ、琴は……大好きなんだよ……」

(…………)


 どうやら、カムイの意識は半分以上、遠い日の記憶の彼方を漂っているようだ。だが、つらつらと紡がれる言葉に、アスカは矛盾さえ見つけると、

(…………っ! 宮廷楽士さんの人に、あんな大怪我させといてっ!)

 いくら、ハイデリヤ人の持つ回復力も異常とは言え、先程の蛮行を思い出せば、あのギターのような楽器を今まで通りに弾けなくしたかもしれない、目の前の張本人の事は、尚も許せない気持ちの一点張りだった。

「けど……けど……喧嘩……しなきゃ……やっつけ、なきゃ…………あいつら……オレを……神の子なもんか、ただの合いの子だって………………囃すんだよう……」

(………………)


 目の前の男は、どうやら子供であった頃の日々の中にいるようだ。ドイツやアメリカにいた頃は気にならなかったが、日本で暮らしはじめた途端に感じた、異人に対する露骨な自らへの視線を思い出せば、その一言に、アスカも、なんだか感ずるものもあったが、

「なぁ……なぁ……かかさま……かかさま……なんで、オレのととさま……マグナイ、じゃないんだ…………?」

 とうとうそれを最後に、鬼の王は、そのまま、大いびきをかきはじめると、とうとう本格的に寝入ってしまったではないか。先ほどの凶行、蛮行が嘘のように、無邪気な寝顔が、自らの膝の上にあるのを結局許してしまったアスカは、ただただ、とうとう当惑しては、

(……マグナイ、って誰よ……っ!)

 などと、せめて、その頬を軽くつねってやるくらいしかできなくなっていたのだった。




















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