王たちの日々 前編

 今日も、ハイデリヤの青空はどこまでも広大に晴れ渡り、穏やかな風も草原にそよぐ、太陽の光まぶしき日和であった。大都オンサルの喧噪も離れた、静寂した刃の海の草原には、馬具もしっかり取り付けられた二匹のヤックルが駆け抜けている。そして掛け声も勇ましく、共に乗りこなすのは、カムイとアスカ、という、この国の王と王妃であったのだ。


 蹄の音も激しく鳴る中、カムイの乗る黒いヤックルは、アスカの元に近づいた。一方のアスカのヤックルの毛並みは、地球時代から印象的な、彼女の二つの髪留めのように赤みを帯びている。そして振動する背の上で、カムイは、まるでアスカにしか見せないような笑顔を作ると、語りかけた。


「アスカ、うまいな!すぐコツをつかんだ!」

「ま、あ、ねっ。ドイツ仕込みなんだからっ!」

「ドイツ?」

「国よっ !こーんなおっきくはないケド……くーにっ! あんたが見事に滅ぼしてくれちゃった、クーニっ!」


 嫌味ではないようだ。風のなか、その美しく、長い赤茶の髪をもゆれるアスカは、首をかしげているカムイに明るく笑みを返すと、一際、掛け声と共に、今や、カムイの馬を追い抜こうとするではないか。カムイもまた更に笑顔となって、その背を追いかけるのであった。


 時に、カムイはアスカに、近隣の自然を案内し、広大な山や丘の地名や、河川では釣りの腕前を披露し、各土地にてモル族に古くから伝わる伝説や神話の事をも物語った。その神秘的な内容に、まるで古代の人間と話しているかのような錯覚にすらなって、アスカが、瞬きをしていると、

「……まあ。ただの迷信だ。オレは、そう思っている」

 などと黒き王は、目を泳がすようにもしたものだが、実際のところは、いつまでも想っても飽き足らぬ、自らの妃の、こちらを真っ直ぐ見つめる視線に、ただただ、年甲斐もなく照れているだけだったりしたのだ。


 そんなある日の事、カムイは、オンサルから一番近い海まで、アスカを連れ出した事があった。緑の草原から一転して広がる白い砂浜と、美しき透明な海に、アスカは大いに喜び、

「あ~あっ。水着、欲しいな~っ」

「水着……?」

 赤いショールの下の、自らの王妃の民族衣装を眺め、ぼやいたものだったが、この国の王はカムイである。すぐさま、お付きに従えていた家来を呼びつけると早馬を出させ、空から、オノゴロ国の配下である宇宙人の民族が乗る宇宙船がやってくれば、砂浜の上は、アスカ専用の、ちょっとしたブティックと化すのであった。そして碧眼が驚きに瞳をパチクリとしている中、カムイは、「どうした? これが水着というものなのだろ? 好きなだけ、好きな分、獲れ」などと、屈託なく話しかけるのだが、相変わらず、どこかいびつな物言いには、アスカは何かを言いたげにしつつ、腰に手をやり、王を見つめ返したが、砂浜では、その地に住まう部族の者たちをもじっと平伏したりしている中、やがて赤いビキニの水着に着替えたアスカは、カムイにも見繕っては真っ黒いものに着替えさせ、二人は海遊びに興じるのであった。


 暫くし、なにか思いついたカムイは、アスカに、しばらく待つような素振りを見せると、沖へ向かって泳いでいくではないか。その褐色の背をも、古くからの、癒えない傷だらけの跡が日差しに照り返せば、アスカはせつなげにすら見つめたものだったが、やがて、ドボン……という音と共に、潜水をしたカムイは、しばらく、そのままで、再び出てくる気配もないのだ。とかく、ハイデリヤ人はいろんな設定が、銀河一、でたらめな民である。アスカはあまり心配もせずに、さざ波の中をたゆたっていると、どこまで潜ったかも解らぬ王はやがて現れ、まるで飼い主の元に帰る犬のように、アスカのところまで戻って来、虹色に輝くハイデリヤ原産のサンゴもこびりついた、化石化した簪など手にしていると、

「オレたち、草原の民は、皆、元は海からやってきたそうだ。底を漁れば、沢山でてくる」

 などと、アスカにそれを差し出すのであった。


 幻想的な美しさに、アスカの瞳は輝き、思わぬプレゼントに、明るく謝意を表すと、

「草原を刃の海と名付けた、遠き祖先たちも、きっと母である海の事は永劫に忘れまいとしたのだろう。そして、だから、みんな、鱗を残しているのだ。…………オレにはないがな」

 カムイの、ハイデリヤ人の講釈は続いたが、末尾に残した淋しさをアスカが聞き漏らす事も、決してなかった。鍛え抜かれた細身の筋肉の、黒き長躯にそっと近づいた水着姿の白い肌は、ふと、俯いた黒い瞳の頬を撫でると、

「……そういうふうに言わないのっ! ほらっ、Umarmungしてあげるからっ!」

 などと、なんのためらいもなく両手を差し伸べたが、その言葉に、一瞬、吸い込まれるようにされながらも、慌てて我に返り、狼狽えたのはカムイの方で、

「……否、光の妃よ。いくらなんでも、周囲が多すぎる」

「なぁ~に言ってんのよ~っ。なんだかんだ言えば、あたしの胸ん中で、ゴロゴロにゃんにゃん、あんたがしてることくらい、みーんな、お見通しよ~」

「……否、あ、明るいし! オレは、王だ。この星、国の最初の王なのだ! 体面というものが……!」

「まあーったく、へんなところ、気にする王様なんだからっ! だったら、もう、そういうコト言わないっ! OK?」

「お、OK!」

 そこには、妃の尻に敷かれつつある、王の姿もあったのだった。


 時に草原で転げ合ってじゃれあう二人は、どこにでもいそうな、異星間交遊の恋人の姿だった。草を食むヤックルの馬たちの光景ものどかに、共に寝っ転がり見上げる青空は穏やかで、この瞬間も、彼方の宇宙の国境では銀河系連合と睨み合いをきかせてる事も、まるで嘘のようである。ふと、アスカは横を向き、傷跡のある表情の中、未だ、空を見つめる黒い瞳の横顔が純粋そのものな雰囲気であれば、穏やかな笑みも浮かべ、

「ねぇ、もう、いいんじゃない? 平和もいいもんでしょー? このまま連合と講和条約でも結んじゃいなさいよっ!」

「平和?」

「へ、い、わっ! Peace! Friedenっ!つまりはこーゆーことっ!」


 カムイが振り向き、訪ねてくれば、今度は覆いかぶさるようにしてアスカは、カムイにキスをし、それがすっかり心のこもったものであれば、少々、熱いものとなるのも致し方ないものであった。漸く唇も離れる頃、見つめあう瞳は互いに潤んでいすらあったが、

「……ああ、穏やかな凪の事か。……それは必要な時もある。だが、今は、そういうわけにいかない」

「……なんでよ?」

 答えるカムイの姿の上を未だ覆うようにしているアスカは、優しく促すように、そっと角辺りを撫でてやる。しな垂れる赤茶の髪の芳香のすばらしさに、無遠慮につかむ本人が鼻に運ぶ事も許してやるなか、それを嗅いでは、妃の愛撫も相俟っては喜び、楽しむ王の姿は、人というより、なにかのペットのようでもあったが、

「……オレは、この草原の最初の王、全てを狩りつくした者なのだ」

 ふと、カムイは、まるでどこか遠いところを見るようにして、語りはじめるのだった。


「この星がハイデリヤと呼ばれる事も……そもそもかつてのオレ達は星という事もよく分からなかった。実際、こどもの頃、かかさまから聞かされる昔話は、突飛すぎて、オレの想像をも超えていたんだ。ただ、かかさまと共に戦ったという部族の者が弾く琴にのせ、時に調べをつけて、かかさまが当時を歌えば、心は脈打ったんだ! ……当時の子らには誰一人、同志もいなかったが……それから、夜空を見上げると、オレには、そこにはずっと新たな草原が広がっている事をも感じさせた。……そしてオレは、この星に今までなかった、草原の民の国、を打ち立て、族長や巫女よりも、更に上の者であろう王という者となり、誰よりも偉大で絶大な者となったのだが……全ては、前例がないのだ。だが、オレたち、草原の民とは、狩る物と地平線の果てがいつでも必要な性分ときている。だからこその、この宇宙狩りは、まだまだ伸びしろがあるはずなんだ。……きっと、族長以上の褒美をとらすのが王という者であろうから、尚更の事だろう。…………ま、まぁ、オレしかこの草原に、今、王はいないから、ほ、本当は、オレもよくわからないのだが……。ただ、この大地の空の上にも果てしなき草原がある事に、血を湧き上がらせている兄弟どもの顔を見るのは、オレも嬉しいし、オレだって負けずにいたい……! そ、それに…………」


 語り続けるカムイは、明らかに途中から、自らの心の中に迷いがある事も物の見事に露呈している。この頃になると、普段は豪胆で、時に残忍ですらあるカムイも、アスカにだけは、誰にも見せないような繊細な心持までも存分に打ち明けるようになっていた。


「………………」

 アスカは目の前で、今や、自らの中のもどかしい思いすら必死に語ろうとしている鬼の王の角の事を、変わらず撫でてはやりながらも、鼻で一息ついては、苦笑し、少し呆れてもみせた。アスカは、大学まで優秀な成績を飛び級で修めた学生生活の、その歴史などの授業で、先ずは地球という星の中で、かつて、多くの国がそれを試みようとして、結局、どれもが、時に悲惨な末路すら伴って衰退した事も知っていたし、近年では、懲りずに銀河系中にそれを展開させようとして破綻した、所謂、植民地主義の結果を解っていた。眼前の、半分は同種族の血をひく男は、人類何度目となるかも解らぬ世界征服の野望を、少し戸惑いながらも、成し遂げてみせようとしているのである。これまでそれを願った多くの同族は、誰もが、欲望にギトギトとさせた権力の虜となっていただろうが、カムイの地球人ゆずりの瞳は、まるで、家来たちを思う素朴な心持のままに語っていたりするのだから、なんだか憎めない気持ちにすらなるではないか。ただ、最後に言いかけたカムイの言葉の揺らぎも聞き漏らさなければ、

「お父さんの、剣、でしょーっ?!」

 利発なアスカはたたみかけてみせたりもする。


「それだって、連合に協力してもらって探せばいいじゃなーい。あんたたち、ネットもろく扱えないんだから、餅は餅屋よっ!」

「あんな目がバチバチする画面など眺めてられるか……文字はパピルスにあるものだろう。狩りや戦の方がよっぽどマシだ。……餅か、餅は美味いな。肉と共に巻き、タレをつけて食らうのが、オレは好きだ……!」

(やっぱり、伝わってな~いっ!)

「……自分の手で手にしてみたいのだ。世界でたった一人の、オレの、ととさまだったんだ……」

 そしてアスカが嘆く中、思いを馳せるように、おもむろにカムイは自らの手を空にかかげる。豪胆な男が、たまに、アスカにだけ見せる、淋しそうな瞬間である。

(……やれやれ)

 アスカはもう一度、嘆息した。だが彼女がカムイにしてあげた事と言えば、その淋しさから払拭させてやるように、もう一度覆いかぶさると、強く、強く、口づけをしてやる事だったのだ。


 夜風もそよぐ夜、

「ふぃ~…………っ」

 古代のロマンと現代ハイテクノロジーが混在するような王の宮殿は、一面中、大理石の大浴場で、アスカは、薬湯の中、足を伸ばしているところであった。今宵はたっぷり愛され、愛してやる事にもなりそうだ。そう思えばいつも以上に丹念に体を洗った事にすら、顔を赤らめてしまいそうだったが、

「えっ、光のお妃様が、はいってらっしゃるのっ?!」

「第十二王妃様の、おなーり~…………」

 湯気の向こうの、開けっ放しとなっている出入り口辺りでは、控えている女中が声をあげるなり、ためらった声も聞こえたが、すぐに誰かわかったアスカは、気さくに、「いいよいいよーっ。入ってらしてー」などと一声かければ、やがて、タオルで、スタイルの良さも覆い隠すのが難しいほどの抜群のプロポーションの、いつぞやのエルフ姿の淑女が、はにかみながら現れるのであった。


「失礼いたします……」

 恐縮しながらも微笑み、耳ながき、異星の王妃が湯に足を踏み入れようとする頃、アスカも笑みでもって迎えた。それにしても大きい胸だ。(……むむむ! もしかしてあたしより、大きい、ヨネ?)などと、女ゆえの鋭いチェックを入れていると、アスカは、その豊かな胸に、くっきりとした痛々しそうな歯跡の痕跡を見れば、思わず、立ち上がざるにはいられず、

「ちょっ!ちょっと! これつけたのっ! 王でしょっ?!」

「……は、はあ」

 最早、眼前にまで迫ってきた厳しい顔つきの碧眼に圧されるまま、同じく碧眼が生返事に答えると、

「…………っ! あのバカっ! 噛むのは、あたしだけにしろ、って言ったのに……っ!」

 アスカは真剣に怒ったのだ。


 すると、それまで瞬きするままにしていた第十二王妃であったが、クスリと笑うと、

「よろしいのです……。黒王が、私と共にして、まるで無邪気に喜んでくださった、今の私には、奇跡の勲章です」

「……でもっ! 痛かったでしょう? ヒリヒリしない? 大丈夫っ?」

「本当、光の妃様は、お優しいですね……」

 王妃の言葉には、驚きと共に、アスカは心配するのみであった。湯の熱さも手伝い、余計、艶っぽい表情となりながら、異星の妃は、光の妃の労りに目を細めて謝意を述べると、

「それに、王は、この傷をつけた後、私めに『すまぬ。』と、本当に申し訳なさそうに、おっしゃってくれました。……このような事、これまでのカムイ王にはなかった事です」

「……でもっ!」


 目の前で足蹴にすらされた光景も忘れられないアスカは、尚も、感情を惜しまない。美しき、睫毛も長き、切れ長の大きな瞳は、そんな眼前の労りに、改めて謝意を表すように会釈すると、

「……私も、星が、国が、落ちる時、元首に仕えた騎士として、眼前に現れた敵の王には、憎しみしかありませんでした。ただ、いつしか気づいてしまった、王が持つ、なんとも言い難い、もの悲しさ、淋しさに、それを癒してあげられるのなら、どんなふうにしてくれてもかまわない、と、心から震えてしまった者の一人なのです。ですが、光のお妃様、あなた様が現れるまでの、あの方は、まるで、ただ、ただ、何かに飢えてらした黒き王で、私たちが何をどう、あの方に与えても、それが満たされる事は決してありませんでした」

「…………」


 尚、複雑な顔つきを送るアスカに第十二王妃は語り続ける。

「そして、今の王は、変わられました。今までは、まるで黒い王の名を欲しいままに、暗闇の間にいたのを、光のお妃様が、その名の通り、照らしあそばされたように。今のあの方は、まるで太陽の恵みのように、私たちに優しくすらしてくださいます。これは、陛下がもたらした奇跡でありましょう」

「………………」

 アスカは少し、誉められすぎてこそばゆいような気がしないでもなかったが、銀髪の長い髪をした第十二王妃は、そんな正室に微笑みかけると、

「……私の事は、構いません。さぁ、今夜は、光のお妃様、あなたが、あの方を、存分に……」

 などと、夜の褥へと促すほどであった。















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