55. 常識の差

「あっつーい…」


 リーサが唸る。

 いろいろとバタバタしていたら既に夏は到来していて、6月上旬と中旬の間という時期なのにじりじりと肌を焼くような日差しが照りつけている。

 初夏の日差しだと思ったのは、単に朝は暑さがピークになっていなかっただけらしい。

 ちなみになんでこんな事になっているのかについてだが、おそらく実際の公転周期と1年360日という暦が合っていなくて、季節にずれが生じているのだと思う。

 そう考えると、多分7-8月にかけては涼しくなっていくのではなかろうか。


「ヒロキ、暑さをしのげる魔法陣作ってー…」

「またこっちの貸しが増えるな」


 かく言う俺はそこまでキツいと感じることはない。

 ここは日本ほど多湿ではないから、うだるような暑さというわけではないのだ。


「とりあえず夏服に上着は必要ないんじゃないか」


 リーサはベージュのカーディガンを着ている。

 薄そうだし袖がないので夏服用ということはわかるのだが、周りではあまり着ている人は見かけない印象だ。俺も着ずにシャツとズボンスタイルでいる。


「うーん、優等生の印象でいたかったんだけどなぁ」

「べつにそれ脱いだところで成績は変わらんだろ」

「それもそっか」


 リーサはするりとカーディガンを脱いだ。

 白いシャツに汗が少し滲んで、肌の色を透けさせている。

 脱ぎたくなかった本当の理由はこっちか。

 脱ぐよう勧めてしまったことに若干罪悪感を感じながらも、最初から脱いでいれば透けることにはならなかったのではないかとも思った。

 だが確かに透けるのは色々と問題なので、なんかいい魔法陣を考えてやろう…



「うわっ、なんじゃこりゃ!?」


 日陰を求めて魔科研の研究室に転がり込むと、ものすごい蒸し暑さが俺を襲ってきた。

 屋外はこんなではなかったはずだ。


「おお、ヒロキ君」

「イルク先輩、これなんなんすか…」

「去年の技術発表会で、水が消えるときに温度が下がることが判明したって発表があってな。水を身体にかけると涼しいだろ?それがその現象と結びついてるらしいんだ。で、てことは部屋に水を置いとけば涼しくなると思ったんだが」

「気化熱っすね」

「そんな名前がついていたかな?まあともかく、水が消えるときというのは温度が高い時だろう?だから水を入れたバケツの下に熱を加える魔法陣と自己保持術式を組み合わせたものをだな」

「何やってんすか!?そんなアホ…とも…言えない…科学は間違いを重ねた上に進歩するから…」


 百年くらい前の芸人にこういうのがいた気がする、と思いつつ苦し紛れに声を出す。

 というか自己保持術式と組み合わせてるの、なにげにこの世界では偉業なのでは…


「水が消えたように見えるのは空気みたいになって空中に混ざるからですよ。先輩のやってるそれは熱い水を空気中にばら撒いてさらに熱くしているだけです」


 忘れがちではあるが、ここは地球とはまるっきり違う歴史をたどってきた。

 蒸発という現象が発見されていないのも有り得る話なのだ。


「このへんの科学周りについても俺には多少知識がありますから、魔法陣構築のついでにあとで教えますよ」

「科学まで知っているとは…ヒロキ君は前文明の生き残りか?」


 イルク先輩は語りかけるのと独り言の中間みたいなことを呟いて、そしてハッと表情を変えた。


「…いや、これは聞かない約束だったな。すまん」

「別にいいですよ。俺にも自分の出自なんてわかりませんし。それよりも今はこの部屋をなんとかしましょう」


 そんなことを言っていると、ドアが開く音がした。


「失礼しますわ…って暑ッ!?」

「うおぉ、部屋の中ならもうちょい涼しいと思ったのに…」


 シルヴィとエルジュだった。


「ちょうどよかった。シルヴィ、風を起こす魔法唱板エルヴァントーレはあるか?部屋の中の空気を外に追い出してくれ」

「…来るなり便利屋みたく扱われるのは納得いきませんわ。それに魔法唱板だってタダじゃないのですわ」

「そのかわり魔法陣の話とかしてあげるから」

「まったく…」


 ぐちぐち言いながらも、シルヴィはスカートのポケットからカードを取り出した。

 全身にカードを仕込んでいるんだろうか?


「エルジュ、ドアを押さえなさい」

「なんで命令…はいはいわかりましたよ」


 エルジュは言われた通り、ドアの表面を押さえた。


「いきますわよ」

「ちょ、この研究室をふっとばすなよ!?」

「しませんわよ!わたくしを何だと思ってますの!?」


 慌てるイルク先輩に噛みつきながら、シルヴィは魔法を発動した。

 扇風機くらいの風が吹き、熱気を湿気ごと外へと運んでいく。


「んじゃ俺はこっちのバケツを片付けるとしまあぁっちぃ!!!!」


 鉄製のそのバケツはめちゃくちゃ熱くなっていた。

 そりゃそうだ。下から熱されているのだ。

 これ、そのうち沸騰するんじゃないのか?


「これどうすりゃいいんだよ…手袋とかないのか」

「魔法でなんとかできない?こう、浮かせて運ぶとか」


 リーサが提案する。

 確かに、できなくはないが…


「一歩間違えると熱湯が部屋中にぶちまけられるんだよな」


 重力を弄る魔法は物体の速度ではなく加速度を取り扱うものなので、空中で物を動かすと制御がめんどくさいのだ。

 俺の大魔法理論は現代の物理法則に上乗せするつもりだったので、そのへんの制御は電子機器にやらせているだろうと考えていたのだ。

 さて、どうしたものか…


「…冷やせば?」


 マーリィ先輩が、ぼそっと一言。

 結局の所、いつの時代も物事は人の発想によって解決されるのだった。

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