90. 哲学

 奇しくも、エルディラットの高級住宅街への道とマルティルート・ヴェラードへの道は途中まで同じだった。

 そこに住んでいるアリスを、せっかくだからと俺たちは送っていくことにした。


「なんか不思議な子だったよねー」


 アリスが言う。


「確かに、記憶を失ってるというのはなかなかない状況だよな」

「いや、ヒロキもそうでしょ」


 リーサにツッコまれ、そんな建前を使っていたことを思い出した。

 俺は慌てて「そういえばそうだった」と取り繕った。


「そう考えると、ヒロキと似てるかもねぇ」


 特に気にした様子もないアリスの言葉に、俺は名無しの少女サンズヴァッシュのことを思い浮かべた。

 貴族に恨みを抱き、盗賊に加わった年端も行かないような少女。

 自らの魔法理論を抱いて転生みたいなことをしてきた俺。

 その両者に共通点はなさそうに思える。

 …アリスが適当なことを言っただけだろう。日が傾くまで取り調べに付き合っていたのだ、疲れて頭が回らなくなるのも当然だ。


「…なんで俺、ここにいるんだろうな」


 ふと、そんな言葉が漏れた。

 前を歩いていた二人が振り向く。


「なになに?難しい話?」

「哲学的だね。でもいきなりどうしたの?」

「いや、記憶云々を聞いて、なんとなく。俺がエルディラットまで来たのには、なにか目的があるんじゃないかと思ってさ。思い出せないからなんとも言えないけど」


 アリスの手前ぼかして言ったが、頭のいいリーサには伝わっていると思いたい。

 ――俺は、何のためにこの世界に来たのか。

 自作の魔法理論が、世界の礎たる法則に組み込まれたこの世界に。

 それは自分の意思だったのか、それとももっと何か大きな存在の意思だったのか。

 理由はいつ明かされるのか――そもそも明かされるかどうかすら、まだわからない。


「…わからないことが多すぎるよ」


 この世界についても、謎が多い。

 突如滅びた前文明。突如失われた記憶。

 その国の言語なんてものはなく、あるのは大陸共通語という1つの言語のみ。

 しかも音声は自動的に翻訳されて相手に伝わる。

 人為的な意図を感じるなというほうが無理だろう。

 だが、肝心な意図が全く見えてこない。


「なんだろね。もしかしたら記憶を消さないとダメな任務だったりして!」

「なんじゃそりゃ」

「ほら…なんかこう、学生として溶け込んだあとに任務を思い出させられるみたいな?」

「俺はシェードゴールズかどっかのスパイか」


 陰謀を唱え始めたアリスに、俺とリーサは苦笑いした。


「ねえねえ今のうちにコースヴァイトに寝返らない?シルヴィに勝っちゃうような人と戦いたくないからさぁ…いまならおいしいごはんたくさん食べさせてあげるよ」

「そりゃ魅力的だな、検討しとくよ」


 俺は軽口を返した。

 結局話はそれてしまったが、元々ここで答えがわかるとも思っていない。

 目的がわかるにせよわからないにせよ、今を生きていかなければならない。

 そんなありきたりな結論に辿り着いて、俺は考えることをやめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る