89. 彼(女)

 あのときのスリは帽子を目深に被っていたから、顔で判別するのは無理だ。

 となると、必然的に体に目が行く。

 こうしてじっと見つめてみると、確かにあのときのスリと同じような体型に見える。年齢を考えれば当然ではあるが胸も小さく、顔と髪さえ隠せば少年に見えなくもない。

 そう考えると声も似ている気がしてきた。


「おい!何見てんだこの変態貴族!僕の身体に欲情でもしたか!」

「…俺、別に貴族じゃないしなんなら生活保護受けてる一般庶民なんだけど」

「うるさいうるさい!!生活保護を受けられる人間も敵だ…痛い痛い痛い!!!」


 キャンキャンと吠えて警備員に抑えつけられる彼女と、あのときリーサに捕まっていた少年の姿がどこか重なった。

 確かに、同一人物らしい。


「放してやりなさい。事情を聴くために呼んだのでしょう、無理に押さえつける必要はないはずです」

「はっ」


 シルヴィの一言で、警備員が少女から離れた。


「なんだ、貴族?僕に恩を売ったつもりか?それとも哀れんだか?」

「勘違いしないように。わたくしがあなたに恩を売ったところで1ガットたりとも利益にはなりませんわ。それに、哀れむにもわたくしたちはあなたが何者かを知らなさすぎますわ。まずは貴族も何もない、対等な立場で話をいたしましょう。恨むことも哀れむことも、その後ですればよいのではなくて?」


 キッパリと少女の言葉を否定した上で対等と言い切ってみせたシルヴィに、少女は気圧されたように一歩後ずさった。


「この際です。アルティスト家の長女として、この部屋全員が貴族に対して敬称を使用しないことを許可します。…改めて、自己紹介を。わたくしはシルヴィーナ・アルティストと申しますの。どうぞお気軽にシルヴィとお呼びくださいませ」

「あたしはアリス・プラシュテーク。アリスって呼んでね」

「俺はヒロキ・アモン。別に貴族ではない。好きに呼んでくれ」

「わたしはリーサ・マルティルート。わたしも貴族とかではないよ。よろしく」

「オレはエルジュ・オングスティート。エルジュでいいぜ」


 口々に発される自己紹介に、少女はきょとんとして俺たちを見回した。

 そして、口を開いた。


「…僕は…名前なんて、ない。名無しサンズヴァッシュでいい」


 名無しの少女は、ようやく歩み寄りの姿勢を見せた。



「僕たちが追っている賊っていうのは、一体何者なんだ?」

「正直…よくわかんない」


 エーシェンさんの質問に、名無しの少女サンズヴァッシュはそう答えた。


「いつも命令する人はいたけど、その人が一番上というわけではなさそうに見えた。人数は少なかったけど、それにしては正規の構成員が手慣れすぎていると思う」

「ふむ、なるほど。実は想像以上にデカい組織じゃないか、と。どういう人達だった?男女比とか、そういうの」

「うーん…いつも顔が見えないようになってたからわからないな」


 エーシェンさんがメモを走らせる。

 その場にいた職員が、ふと疑問を口にした。


「この子、相当頭良さそうだけど…名前がないってどういうことだ?」

「覚えてない。僕には記憶がない。拾われたときに、名無しと呼ばれるようになった」

「拾われた…か」


 職員は口を開きかけたものの、言葉を発さずに閉じた。

 それを確認して、エーシェンさんが続ける。


「ヒロキ君に対してスリを仕掛けたのは、なにか意図があってのことかい?」

「命令されてやった。男か女かはどちらでもいいと聞いた。隙がありそうな男の方を選んだ」

「そんな隙あったか俺…」

「あった。事実、君は財布を僕にまんまと騙し取られている」

「ぐっ…」


 事実を盾にされては、何も言い返せなかった。

 少女がどこか得意げに薄い胸を張った。


「続けるよ。君が捕まることは想定の内だった?」

「踏み込んできたあなたたちなら分かるはず。アジトを一人の可憐な少女に任せるなんて切り捨て御免の捨て駒に決まってる」


 素なのかウケ狙いなのかわからないことを言っているが、実際、彼女は切り捨てられたのだろう。


「必要最低限の獲物だけ取って、余ったものは置いていったんだと思う。もしかしたら、もうこの街にもいないかもしれない」

「なるほどねー」


 その後も、いくつかの質問をしながら、エーシェンさんはメモを取っていった。

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