62. 美術の心得

 案外たくさんもらえた紙を抱えて、俺たちは魔科研エルヴォクロットに戻ってきた。


「すまんリーサ、ドア頼む」

「りょーかい」


 リーサがドアを開けた瞬間、冷気が漏れ出てきた。


「おー、涼しい」

「この時間で完成させて、しかも部屋全体が冷えてるとは…」


 完全にドアが開かれる。


「あぁ…涼しいですわ…」

「生き返るー…」

「…すずしい」


 だらしなく床に転がるエルジュ。

 生脚を惜しげもなく晒して座るシルヴィ。

 床に接する身体の表面積を最大化しようとヒーローの飛行姿勢のように寝そべるマーリィ先輩。


「…う…うぬ…お前ら…そろそろ…変われぇ…っ…僕は室長だぞ…!」


 そんなメンツの中で、一人だけ台に立って木の板を精一杯掲げてプルプルしているイルク先輩は非常に浮いていた。


「…何してるんですか」

「見てのぉ…通りだっ…!!!部屋を…冷やしているっ…!!!」


 当然ながら、木の板はさっきまで俺が魔法陣を描いていたヤツで、今は表面に赤い光をたたえていた。

 それが高いところにあるおかげで、部屋全体に冷気が行き渡っていた。

 背が一番高いイルク先輩の尊い犠牲が部屋を冷やしていたらしい。


「…てかそれ、壁にでも打ち付けとけばいいんじゃないですか?」

「「「あっ」」」



 遠慮なく壁に釘付けされたエアコン魔法陣のそばに集まり、各々の作業を継続する。

 もっとも、イルク先輩だけは痺れた腕を治そうとじっとしていて、時々マーリィ先輩に突っつかれて「うっ」と声を上げてはエルジュとシルヴィに呆れたように見られている。


「まず、この魔法陣は…多分これだな」


 マーリィ先輩謹製の魔法陣資料集をめくる手を止める。


「一種の重力制御魔法陣。力は強いが、有効距離は短い。説明文を見る限り…盾とかに使われてたっぽいね」

「あー、石とか投げられても弾き飛ばせるからね」

「多分爆弾の爆風とかも避けられると思う。まあそういうわけで、本来物を浮かせるのには使われてないはずなんだけど…たしかに使える」


 紙に魔法陣を描き写していく。


「ここ、線が無駄だから削っちゃおう…こことこっちは繋いだほうがいいね…うん、適当にやるならこんなもんかな。とりあえずこれで試してみようか」

「え、もうできたの!?」

「魔法陣の基本は力場だからね。火やら水やらを扱うよりやりやすいんだ、こういうのは」


 そして、何も刻まれていない板を前にする。


「うーん…バランスがわからん」

「あれ、作ったこと無いの?」

「実はな…無いんだよ」


 そう。

 情けない話だが、俺は魔法陣を実際に刻んだことはない。

 デザインだけならしたことはあるが、それはあくまでコンピュータ上でだけの話だ。

 100年以上前からShiftキーを押せばほぼ真円が描けるペイントソフトを使っている世界の人間が、今更手できれいな円を刻めるだろうか。

 正直、いま描いた魔法陣だってちょっと歪んでいる。コンパスをくれ。地球むこうでは古代ギリシャの時代にはもうあった(らしい)のだから、こっちにあってもおかしくないはずだ。


「ん?魔法陣できたのか?」


 復活したイルク先輩がこちらに来た。


「別に魔法陣を刻むくらいなら僕がやるけど」

「ありがとうございます。ただ、いずれは自分で魔道具を使えるようになりたいな、とも思ってまして」

「まぁ、そんだけ知識があるのに自作できないのは辛いかもしれんな。いずれ教えようか」

「お願いします」


 俺は素直に頭を下げた。


「ま、今回はもともと僕の制作物でもあるしな。自分でやるよ」


 そう言って、イルク先輩は彫刻刀セットを取りに行った。

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