119. 海水浴

「うぉっ、冷たっ!」


 エルジュがおそるおそる足先を水に浸し、サッと引っ込めた。

 俺も真似して水に触れてみると、確かに冷たかった。

 昔海水浴に行ったときは結構ぬるかった気がする。地球温暖化が進んでいないと、こうも海水というのは冷たいものなのか。


「泳ぐのは気持ちいいですわね」


 いつの間にか、足元にシルヴィがやってきていた。


「シルヴィ、泳げるの?」

「ええ。貴族の嗜みの一つとして学んでいますわ」


 シルヴィはリーサの問いにさらりと答えてみせた。

 貴族というのは結構大変なのだろうか。


「ヒロキ、オレたちは泳げない者同士浅いところで遊んでような」

「いや、俺泳げるけど…」

「…えっ、マジ?」

「ほら」


 俺は海に体を投げ出して、そのまま適当にクロールで10mほど泳いでみせた。


「なんで…?」

「いや、まぁ…なんとなく?ほら、体が覚えてる的な」


 現代日本人だからとは言えず、適当にお茶を濁す。


「安心しろ、ここでは泳げない者のほうが多数派だ。もっとも私は泳げるがな」


 さり気なくマウントを取っていく先生に、エルジュは若干げんなりした顔をした。

 一方で、イルク先輩は少し考えるような素振りを見せて、それから言った。


「先生、泳ぎ方を教わることはできるかな」

「おっ、興味アリか。いいねぇ、若人はそうこなくっちゃ。じゃ、まずはそれを取って。泳ぐには邪魔だからね」


 まるで自分が老人かなにかのようなセリフを発して、先生はイルク先輩にメガネを外させ、受け取ってパラソルの方へと戻った。


「他にも泳ぎたいやつはいるか?」


 あたりを見回すと、マーリィ先輩が先生に寄っていった。

 先生は頷いて、まず水に潜るところから始めさせるようだ。

 どちらかといえばインドア派っぽい二人だが、頑張ってほしい。


「ねえ、あの二人先生と何やってるのかな」


 不意に、後ろから声をかけられた。

 リーサだった。


「泳ぐ練習だってさ。聞いてなかった?」

「お、お恥ずかしながら…でもそっか、泳ぐ練習かぁ…」

「もしかして、泳ぎたい?」

「うん…せっかくこういうところに来たからね」

「…よかったら、俺が教えようか?」

「いいの?」

「ま、冒険者としての活動の幅も広がるだろうしな」


 何度も冒険者として色々なところに繰り出す過程で気づいた。

 エルディラット周辺は、決して乾燥しているわけではないのだが、湖といえる場所がほとんどこれっぽっちもない。

 川ですら浅い。台風でも来て増水しない限り泳げる嵩にはならないだろうし、そんな時に泳げば末路は目に見えている。

 唯一、俺がこの世界に来たときに落ちたところは、湖とまでは言えずとも泳げるほどの広さはあったのだが、よりによって自然魔法陣が形成されてしまっていて、冷蔵庫の中のように冷やされている。

 あんなにデカい学校が街に組み込まれているのだからプールくらいあってもいいのにとも思わないでもないが、時代が時代だ。水は貴重だろう。


「それじゃあ、まずは顔を水につけるところから…」

「あ、さすがに潜るくらいはできるよ」


 …教えるのは、意外と楽そうだ。

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