120. 水泳

 結論から言えば、予想に反して泳ぎを教えるのはかなり大変だった。

 まず初心者が必ず使うビート板も浮き輪もない。

 そして一部の言葉――『バタ足』のような言葉が、翻訳スキルのせいかうまく伝わらない。適切な訳語がないのもわかるが…

 かといって、「見て真似しろ」では通じるものも通じない。


「どうするかね…」

「困ったね…もうほかに手段は完全にないの?」

「…いや、一つあるにはあるけど…」

「ならそれで良くない?」

「…それが、リーサの足を持つことでも?」


 俺とリーサは、しばし無言になった。

 無論、恥ずかしさゆえである。


「…まぁ、考えてみれば…赤魔法のときとか、見られてるし背中も触られてるし…今更触られても特に問題はないと思うけど…」

「問題があるかないか決めるのはそっちな?リーサが言ったことに俺は従うよ」


 そう言って、俺は待機の姿勢に入った。

 リーサは少し逡巡している様子だったが、やがて意を決したように頷いた。


「教えてほしい」

「よしきた」


 邪な感情は追い出して、俺は教えることに専念しようと決めた。



 泳ぎを教えるなら、何からやるべきか…

 少々考えて、やはりまずはバタ足の練習をさせるべきだろうと思い至る。


「それじゃ、俺が手を引っ張るから、体を浮かせて足全体を左右交互に動かして。そのときの水の抵抗を使って前に進むんだ」


 俺の持つ語彙力を総動員して、翻訳スキルに引っかからないように教える。


「はい、両手握って、息止めて顔を水につけて体伸ばして…そうそう、ここで足動かして」


 リーサは概ね俺の想像どおりに体を動かす。

 推進力を得られているのが、手にかかる力からもわかる。


「よしよし、いいぞ。このまま行けるところまで行ってみよう」


 返事をする代わりに、リーサは足の力をさらに強めた。

 押されるがままに、俺は後退していく。

 足元に気をつけて、誘導もしながら。


(…長くね?)


 30秒かそこらが経過した。

 遠くに行きすぎないよう、その場で円を描くように回らせているが、なかなか動きを止めない。


「…ぷはっ、はぁ、はぁ…」


 リーサが顔を上げたのは、直径6mくらいの円を3周ほどしてからだった。

 流石に苦しそうな表情をしている。当然だろう、単純計算でも50mほど泳いでいる計算になる。


「…どう?限界に挑戦してみたんだけど」

「無茶がすぎる…というか、よく息止めてられるね」

「冒険者業やってるうちにできるようになったんだ。息殺さないと近づけない相手がいて、だったら止めちゃえばいいやって思って」

「えぇ…」

「最近は3分くらい潜って獲物を待ち伏せできるようになったんだ。まあ、じっとしてることが大半だからちょっとつらかったけど」

「ちょっと…?」


 さらっと人間離れした発言をするリーサに、俺は部分的なオウム返しをするしかなかった。

 もし最初に会ったときのリーサの目的が俺の命だったら、抵抗などする暇もなく秒殺されていただろう…。

 それとも、冒険者というのは皆こうなのだろうか。

 あとで訊こうと心に決めた。

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