72. 決別 #2

 俺が弱らせ、リーサがトドメを刺す。

 そう表現すれば一種の勝利の方程式のようでもあるが、今ここにおいては全くそんなことはなかった。

 幸い、俺もリーサも怪我することなく勝利したものの、流れる空気はまるで命からがら逃げ帰ったあとのようだった。

 リーサは未だ息を切らして、剣を振り下ろした姿勢のままフリーズしている。


「…大丈夫か、リーサ…」

「大丈夫…多分…」


 息を落ち着かせて、俺は立ち上がった。

 リーサの手を取り、剣から手を解かせる。


「ちゃんと倒せてる。問題ない。一発で首を落とせてるのはすごいと思うよ」

「剣は…練習してたから」


 リーサの息も整ってきた。

 ようやく、倒したという実感が追いついてきたところだろう。


「倒した奴ってどうすればいいんだっけ」

「いつもどおり、埋めれば大丈夫。ただ…頭は持って帰ろう。見た感じ魔物になってたから、討伐対象になってるはず。まだギルドが見つけてなかったとしても、どっちみち人にとっては危ない存在だし、報酬はもらえると思う」

「腐らないといいけどな…あ、そうだ。飯とかの箱余ってたし、あれの内側に冷やす魔法陣刻んで冷蔵庫にしよう」

「箱が血生臭くなっちゃうね」

「狼を倒したお金で買えるだろ、きっと」

「それもそうかもね」


 リーサは笑顔で息を零した。

 これで、とりあえず元には戻っただろう。


「狼への恐怖は…どうだ?」

「…うん、思い出してみても、怖い感じはあんまりない…と思う」


 ちゃんとエーシェンさんに見てもらわないとわからないだろうが、ひとまずは解決したとみて良さそうだ。


「とりあえず、他の動物が死体に寄ってきたらまずいから、火のそばまで引っ張らないと。ヒロキ、手伝ってくれる?」

「もちろん」


 俺は狼の体の脇を抱え、せーのと掛け声を出して引っ張り始めた。


「そういえば、よくコイツが魔物だって分かったね」

「うん、魔物の傷…この場合は断面だけど、そこから魔力の流れ?魔素の流れ?みたいなものを感じたから。この感じがあると魔物なんだ。うまく説明できないけど」

「流れ…」


 狼の首の断面に注意を寄せてみると、確かに魔法的な力を感じた。

 というか、これは力こそ弱いものの魔素流乱しに似ている。


「…そうだ、思い出した!確かにこういう設定を作った覚えがある」

「設定?…あぁ、『大魔法理論』だっけ?」

「そうそう。血とかと同じで、魔物が怪我をすると魔子が吹き出るんだ」

「魔子…魔素をつくってるものだっけ?」

「そうそう。魔子…流れてるのは魔素だけど」

「複雑だなぁ。それで、なんで魔物が怪我をすると魔子が吹き出るようにしたの?」

「うーん…なんとなく?」

「なんとなく!?」


 リーサは驚きの声を上げた。

 びっくりして狼を取り落としそうになった。

 寝てるメンツが起きてこないかと思ってテントに目をやるが、起きてくる様子はない。

 まあ、そもそもさっきまで大騒ぎしていたのに起きてこないあたり、眠りの深い奴らなんだろう。


「もともと創作物だからな。ノリで付け足した設定もあるんだ」

「そ、そうなんだ…なんとなくで付けた設定が、わたしたちの世界の、物理法則…」

「なんかごめん…」


 あっけにとられるリーサに、俺は謝ることしかできなかった。


「…変な質問していい?」


 おもむろに、リーサが口を開いた。


「どうした?」

「ヒロキってさ…神じゃ、ないんだよね」

「神ぃ!?」


 予想もしない単語が飛び出て、俺はひょうきんな声を上げてしまった。


「いや、神って…宗教はエルディラットでは…」

「禁止されてる。でも、魔法陣言語説なんてものが現れるくらいには、神という存在は広まってるわけ。とっさに『神に誓う』とか言っちゃう人もいるしね」


 そう言われると、宗教を否定しつつも神社へ行くような日本的宗教観と通ずるものがある気がする。


「なるほどな。まぁ、神ではないよ。大魔法理論を妄想はしたけど、大魔法理論のある世界を作った覚えはない。…記憶が消えてるだけかもしれないけどね」

「怖いこと言わないでよ…」

「ごめんごめん、冗談だよ。でも、神はいるだろうね」

「ヒロキ以外に?」

「根拠のない推測でしかないけど…まず、俺が世界を超えてここにいること。次に、俺の考えた魔法理論が使われていること。あとは…この世界の歴史が、実質300年前から始まっていること」


 どさりと音を立てて狼を焚き火のそばに置く。

 小さくなってしまった火に薪を焚べながら、リーサは俺の話に聞き入っていた。


「世界五分前仮説、ってのが前の世界にはあったんだ。一種の思考実験なんだけどね。世界は今から5分前に生まれたのかもしれない、っていう理屈を否定することはできないという話なんだ」

「5分前?じゃあ、それ以前のわたしたちはどうなってるの?」

「存在しなかった。存在したという記憶がまるごと作られたのかもしれない」

「…すごい大胆な仮説だね。でもなんとなくわかったかも。昔というのは記憶とか記録の中にしかなくて、それが実際にあったとは証明できないわけだ」

「理解早くない?」

「図書館で読み漁ってた本の中にそういう哲学の本もあったしね。それに…わたし、優等生ですから」


 リーサはドヤ顔をこちらに向けた。

 その表情が可愛らしくて、思わず俺の頬も緩んでしまう。


「…それで、その話がこの世界につながってくるんだね」

「そういうことだ。俺は、この世界が300年前に何者かによって作られたんじゃないかと考えている」

「これまたすごい大胆な仮説だね…ふぁ…」


 リーサはあくびをひとつした。

 トラウマの相手と戦闘を繰り広げたのだ、疲れるなという方が無理な話だろう。


「またいつかこの話の続きをしよう。今日は寝よう、エルジュたちと交代だ」

「うん…」


 俺はテントへと向かい、エルジュを揺さぶり起こした。


「…んぁぇ…朝か…?」

「寝ぼけんな、交代の時間だ」


 エルジュは魔道具を持ってふらふらと出ていった。


「おわぁっ!?なんじゃこりゃ!?」

「え、なんですの…きゃあっ!?」


 エルジュとシルヴィが狼の死体を見つけたらしき叫び声を聞いて、俺は眠りについた。

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