108. エピローグ #2

「世倉有信…その名前は、貴方に拾われた11年前に捨てましたよ」

「そうだね。なんだかサン・プラシュテークちゃんも同じようなことになってたね」

「…ご存知でしたか」

「ボクが何人潜り込ませてると思ってるんだい?君の知識のおかげで、ウチの諜報員の質は上がりまくってるから、どんどん送り込んでるんだけど」

「お役に立てて光栄です」

「…なんだか嬉しそうじゃないね?もしかして、生徒たちに情が移ったかな?」

「それは…」

「裏切っちゃった諜報員はさ…処分しなきゃ」


 カルヴァックが再び目を開き、こちらを睨みつける。

 背筋に冷たいものが走った。

 かと思うと、彼は再びいつもの細目に戻った。


「冗談だよ。キミが成り行きで教師を務めることになってしまったのはボクだって知ってることだ。生徒を持って情を持たないほうが人間らしくないじゃないか」

「そういう貴方は、およそ情というものを持たなさそうに見えますが」

「ふふ、正解。ボクは常識こそあるけど常識には囚われないからね。でも、キミのことは結構気に入っているつもりだよ?」

「やめてください。男にそういうことを言われるのは苦手ですから」

「前の名前は捨てても、前の性別は捨ててないのかな?」

「人間ですから…割り切れないこともあります」


 なんだかんだこの男とは10年以上の付き合いがあるが、こういった雑談の類はどうしても苦手だ。

 私はの癖で人の中身を見極めようとしてしまうのだが、彼の中身は一度たりとて見えたことがない。

 逆に、私の中身は全て見透かされているような気分にされる。

 …もしこの男が敵だったら?考えただけで肝が冷える。

 そんな私の内心を知ってか知らずか、彼は興味を失ったように表情を変えた。


「ふーん、まぁいっか。それより、ボクも勝手にあの馬車を見させてもらったよ。すごいねありゃ」

「そうですね。新しい魔法の研究など、この世界ではなされて来ませんでしたから」

「…ねぇ、なんでだろうね」


 声色が冷える。

 私は思わず背筋を伸ばしてしまう。


「普通に考えて、新しい魔法なんてみんな作ろうとするだろう?でも実際は、『魔法陣言語説』がなければ、オングスティートの魔法陣合成の功績だってなかったんだよ?」

「…何が言いたいんですか?」

「仕組まれていると思わないかい?」

「陰謀論ですか…あなたは陰謀をする側でしょうに」

「ふふ、そうだね。でもこれは冗談じゃないよ」


 三たび、彼の目は開かれた。

 もしかしたら長いスパンのまばたきなんだろうかと思ったこともあったが、どうやら真剣なことを言うときにこうなるということらしい。癖かわざとかは分からないが。


「神は存在して、ボクたちに大きな陰謀を実行している…って、自分で言ってみると本当に冗談っぽいね。参っちゃうな」

「その通りです。荒唐無稽すぎる」

「うーん、ボクは超真剣なんだけどね」


 大して困っていないような表情で、彼は言った。


「でも、キミにこそ信じてほしいなぁ。だってキミ、まさしく超常的な存在じゃない?」

「…それ、は…」

「『異世界転生』だっけ?それこそ魔法がどうとか問題にならないくらいスゴいことだと思うんだけど、違うかな?」


 …正直、思ってはいた。

 なぜ私はこの世界に転生したのか。

 もしかして、彼に拾われることすら運命づけられていたのではないか――否、これは彼の思考誘導だ。騙されるな、今私はそういうことに長けた男と相対している。


「いや、別にキミがどう考えてるかは良いんだよ。ただ、それはそれとして、ボクは信じてるよ。諜報員を扱うのが上手いボクと…異世界の諜報員だったキミが、悪趣味な神の手によって運命的な出会いを果たした、とね」


 普通に考えて、と付け足して笑みを零す彼の思考回路は、およそ普通とは言い難い。


「もし、そうだったとして…貴方は、どうされるおつもりですか」

「話が聞きたいね。そんな超常的存在の話なら、さぞかし楽しい話だろうから。そして、それが世界クラヴィナを脅かす存在なら、」


 わざとらしくそこで息継ぎをして、彼は楽しそうに笑った。


「殺しちゃおっか」

「…正気ですか?いるかどうかも分からない神を殺そうなど」

「まあまあ、落ち着いて。別にすぐに殺すってわけじゃないさ。あくまで話を聞いてからさ」

「神が殺せるとでも、お思いになるのですか?」

「宗教のない学問の都市エルディラットなら、各地の宗教についてはある程度研究されてるよね?キミも当然知ってるだろうからその前提で話すけど」


 とん、と手で机を押して、彼は地面に降り立った。


「どの宗教の神も、あまりにも性格が、人間味がない。前に話してもらった、キミの世界の神と比べると、あまりにもね」

地球むこうにも人間味のない神など溢れるほどいたと思いますが」

「北欧神話、日本神話」


 この世界クラヴィナには似つかわしくない単語が、彼の口から飛び出す。


「どっちの神話にも泣いたり怒ったり拗ねたりする神が居た気がするけど?」

「…まあ、それは…人間が作るものですから」

「そう、そこなんだよ」


 ビシッと、カッコつけたように彼は私を指差した。


「人間が神を超越的な存在として捉えれば、神は人間味を失う。逆もまた真だ。何故この真逆の捉え方が存在する?そう、人間だからだ。人間の思考は多様だ。ではなぜ、?」

「そんなこと…」


 否定しようとして――否定できなかった。


「勉強してるキミなら、わかるだろう?ボクの言ってることが正しいって」


 学園都市や学問の都市といった異名を持つエルディラットで教鞭をとるにあたり、私は多くの資料を読んだ。

 この大陸における300年の歴史はもちろん、僅かに判明している『大忘却』以前の歴史も、徹底的に勉強した。

 その過程で出てくる宗教の神は――皆、魂が抜け落ちたような不気味さを兼ね備えていた。


「やっぱり、何かが制御されているんだよ。ボクらの思考とか、そういうものがね。異世界の人間と触れて、初めて考えられるようになった、隠されていた何かがある」


 荒唐無稽と笑えればよかった。

 笑えなかった。彼があまりにも真剣だったから。

 私は彼の言葉に飲み込まれていた。


「さしあたっては…ヒロキ・アモン君とも、会ってみたいな」

「…っ!」


 彼のその一言で、私は正気に戻された。


「…無理でしょう。彼は騎士団入りが確定したようなものです」

「そうだね。でも、きっと会えるよ」


 意味ありげに口角を上げて、彼は自信たっぷりに言う。


「だって、彼はボクと同類だろうから」


 その言葉の真意は、ついぞ分からぬまま――私と彼の久々の邂逅は、幕を閉じた。

 一つだけ、私に命令を残して。

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