107. エピローグ #1
「出張?アルナシュ先生が?」
「そう、しばらく行くらしいぜ。休校期間中にも戻ってこれるか怪しいって」
フォークを口に突っ込みながら、エルジュが言った。
「詳しいことは聞けませんでしたが、エルディラットの外であることは間違いないようですわね」
「まあ、出張つったら外まで行くだろうしな。エルディラットに他に大学も高校もないし」
「でも、先生がそんな長い出張なんてあるの?」
アリスが呈した疑問はもっともだ。
元の世界でも教師職に出張はあるが、大抵は研修とか健康診断とかのような一日あれば終わるようなことだ。
「偶にあるようですわ。エルディラットの教育水準は王国内でも随一ですので、先生が他の地域の学校に招かれることも不思議ではありませんわ」
「なるほど。そういう事情なら納得だ」
「まあそんなわけで、長旅のために例の馬車借りてったよ。馬は違うらしいが」
「早速役立ってるな」
それでも、たしかに技術は人の役に立つ。
自分も関わったことだからか、なんだか嬉しかった。
周囲の景色が、高速で流れていく。
車輪が地面を削る音、馬の足音がうざったいほどに耳を貫き続ける。
だが、その轟音に反して、キャビンの揺れは驚くほどに少ない。
「まったく、聞いていた通りだ」
御者がちらりとこちらを振り返って、呟いた。
「おたくの生徒さん、すごいもんを作りましたなぁ」
「…あぁ」
私は、短くそう返してまた黙り込む。
私に雑談をする気がないと悟って、御者はまた馬の制御に集中しだした。
持ってきた旅糧をつまんで、水筒の水を傾ける。
――出張依頼が偽造だと、すぐに分かった。
記述された場所は一種のセーフハウスのような場所で、同時に暗号としても機能する名前だった。それは即ち、本国への召喚を意味する。
そもそも出張依頼とは何かといえば、端的に表すなら他国・他地域から「先生を貸してくれ」と依頼されるシステム…とでも説明すべきだろう。
エルディラットの教育水準の高さが招いている事象だ。
しかし、やろうと思えば外部から教師を騙して連れて行くこともできてしまう。だから教師からの希望があれば学校側が依頼を調査することになっているのだが――教師が裏切っていた場合は考慮されていない。
(ザルなシステムだ…おかげで私のような輩が暗躍できる)
国境に向けて、馬車はスピードを落としつつあった。
推測するに、大陸は赤道より南にある。
というのも、南に行くほど気温が下がるのだ。
今は真夏だが、エルディラットよりは多少過ごしやすい。
割り当てられたホテルは、私の住む寮よりも豪華だ。広く快適で、可能ならずっと過ごしたいとすら思う。
(あいつらも、いずれはこんなホテルに泊まるようになるのかな)
きっとあいつらなら、すぐにでも出世するだろう。
…出世の道を潰した私が言うのもおかしいか。
「失礼します。大統領様がお呼びです」
「共和制国家の元首に敬称をつけるな、と前にも言ったはずだがな」
「では言い直します。大統領がお呼びです」
「分かっている。今回はどの隠し通路を使うんだ?」
「75番です。着いてきてください」
「ああ待て。少しくらい準備をさせろ」
私はひとつ伸びをして、持ってきたフォーマルな服装に着替えた。
そして無言で、部屋を訪ねてきた女のあとに着いて歩く。街に出ず、従業員用の扉へと案内される。そして廊下の掃除用具が入った箱をずらすと、ぽっかりと壁に穴が空いている。
「足元にお気をつけください。明かりはありませんので」
「気が利かないな」
そのまま女に着いて歩くこと10分。
様々な隠し通路の終着点は、薄暗い石造りの空間だ。
そしてそこに作られた階段を上れば――
「到着しました。政府庁舎です」
「見れば分かる」
この国の中枢に、たどり着く。
「見慣れた裏口だよ。まったく薄暗いな」
「申し訳ありません。貴方の姿を表の方々に見られるのはまずいので」
「はいはい、分かってますよ。あとはここを進めばいいんだな?」
「そのとおりです。では、私はこれで」
女は近くのドアから表へと出ていった。
それを見届け、私は通路を歩く。
政府庁舎に勤務する人々からは見えないように作られた、裏の通路を。
そしてたどり着いたのは、彼の執務室。
「失礼します」
「入りたまえ」
名乗る前から、入室を促される。
私は素直にドアを開けた。
「やぁ、久しぶりだね。一年くらいかな?」
「えぇ、その通りです。お変わりないようで、カルヴァック大統領。秘書に様付けで呼ばせるのは、共和制国家の元首としての自覚が足りませんね」
自身の机に行儀悪く腰掛け、思考の見えない笑みを浮かべる細目の男。
ギルドの職員にいたエーシェンという男を彷彿とさせる顔でありながら、彼とは対称的に真っ黒な髪を持つ。
「あぁ、ヴァレロのことかい?アレはなかなかボクに心酔しているようでね、全く困っちゃうね」
「大統領なら秘書の手綱くらい握ったらどうです?」
「手綱を握る、か…その諺も懐かしいね」
「…雑談は終わりにしましょう。私を呼んだ理由は何でしょう?」
「まぁまぁ、別に怒ろうってわけじゃないから安心してよ。むしろボクは君の功労を称えるために呼んだんだからさ」
男の細目が開き、狡猾そうな表情が姿を表す。
「技術発表会の件、情報をありがとう。おかげで素早く動けたよ」
「…当然のことをしたまでです」
「ふぅん、自分の生徒たちを裏切るのも当然?」
「……」
私が押し黙ると、彼はまたおどけたような表情に戻る。
「ごめんごめん、冗談だよ。とにかく、報酬とかもはずむから安心してよ、ね?」
そこで彼は、初めて私の名前を呼んだ。
「
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