45. 感謝

『これで、第153回新入生対抗戦1日目を終わります』


 空がオレンジ色を通り越して藍色すら混じってきた頃、ようやく対抗戦初日は終わりを告げた。

 時刻にして午後6時半といったところか。


「観戦も疲れるな…腹減った…帰って飯食うか」

「あ、あの、ヒロキ!」


 座席から立ち上がろうとすると、リーサに呼び止められた。


「どうした?」

「その…言い逃してて申し訳なかったんだけど…」


 そこで一旦切って、リーサが息を吸い込んだその時。


「おい、あそこにいるのヒロキ・アモンじゃないか!?」


 唐突に、第三者が闖入してきた。

 いきなり名前を呼ばれて、驚きつつそちらを向く。

 知らないおっさんだった。


「ああ、確かにヒロキ・アモンだ…私は飲み屋をやっていたのだが、ジュルペの野郎に店をぶち壊されて店じまいせざるを得なくなってね…だから、本当に助かった!これでエルディラットにも平和が戻る!」

「は、はぁ…」

「あたしもあいつに言い寄られてて嫌だったの!追い出してくれてありがとう!」

「俺も!」

「わたしも!」


 すぐに俺は人だかりの中心になってしまった。リーサとも離れてしまった。


「ちょ、通してください…!俺は気に入らないやつをぶん殴っただけで褒められるようなことなんて…!」


 それが謙虚な姿勢と受け取られたのか、群衆の感謝と称賛の言葉は止むことはなかった。

 こそばゆくはあるが、リーサのことを考えると喜べるような状況でもなかった。



 結局、闘技場をあとにできたのは藍色に黒が混じり始めた頃だった。


「リーサ、怒ってるかなぁ…」


 独り言が漏れる。

 リーサとはあのあと会えなかった。もうすでに帰っているのだろう。

 話の途中で分かれてしまったのは俺のせいではないとはいえ、リーサには申し訳ない。

 そんなことを考えつつ歩いていたら、いつの間にかマルティルート・ヴェラードが見えてきていた。

 空腹を訴えかける腹を宥めつつ、歩を進める。

 近づくと、入口に誰かが立っているのに気づいた。

 栗色の髪を流した美少女が、ぼんやりと空を眺めていた。


「…リーサ?」


 俺が呼びかけると、リーサはこちらを向いた。

 どこか気の抜けた表情もリーサには似合っていて、少し心臓が跳ねた。


「えっと…その、ただいま。ごめん」


 俺がなんとか言葉を紡ぎ出すと、リーサは大きくため息をついた。

 …これは、怒ってらっしゃる。


「ご、ごめん!ほんと、出てくるのに手間取っちゃって、話途中なのに、」

「別に怒ってないよ。ちゃんと帰ってきてくれて、安心しただけ」


 そう言って、リーサは微笑んだ。

 そして、俺の方に歩み寄ってきた。


「わたしを守ってくれて、ありがとう」


 柔らかく、温かい感覚に包まれた。

 抱きしめられていると気づくまでには数瞬を要した。


「…あんま軽々しく男に抱きつくなよ。危ないぞ」

「ヒロキなら大丈夫でしょ。これは感謝の気持ちなんだから受け取りなさい」

「感謝で抱きつく女の子なんて前の世界にもいなかったぞ」

「ここはその世界じゃないからいいの」

「まったく…」


 俺は仕返しとばかりにリーサを抱きしめ返す。

 息を呑む音が聞こえた。


「俺だって安全な人間じゃないかもしれないぞ?我慢できなくなって襲うかもしれない」

「…そ、それでも、あんな奴にされるくらいだったら、ヒロキの方が…」

「え?」

「え…あっ」


 自分が何を口走ったのか気づいたリーサが、さっと俺から離れた。

 顔が真っ赤に染まっているが、俺も人のことを言えないくらい真っ赤になっている気がする。

 この熱さが夏のせいではないのは、火を見るよりも明らかだった。


「と、とにかく、感謝を伝えたかっただけだから!べ、別に他意なんてないんだから!!」


 リーサはお手本のようなツンデレセリフをまくし立てて、中に駆け込んでいった。


「…何やってんだ…?」


 飯のために出てきたらしいガルゼが、怪訝な顔をして俺と中のリーサを交互に見やった。

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