139. 急変 #2

 何もわからないという不安を抱えたまま、俺たちはまた馬車に揺られていた。

 日は暮れかけている。状況をあざ笑うかのような、きれいな夕焼けだ。

 そんな中、俺たちは少しでも「わからない」を減らそうとして、マーヴェさんの持っていた資料を回し読みしていた。


「本当に、『南』のことばっかり書いてあるんだな…」


 俺は呟いた。

 俺たちの経験してきた悪い出来事の多くが、南の陰謀だと書かれている。


「あんまり信じすぎるなよ。情報に踊らされるぞ」


 アルナシュ先生がつぶやく。マーヴェさんはなぜか少し不服そうにしていたが、先生は気にすることなく続ける。


「そもそも、まるでスパイが盗んできた機密情報のような体裁で書かれてはいるが、それが伏せ字もなしにこうやってたかが末端の君たちに見せられている事自体が怪しい。もし嘘をついていなかったとしても、大げさに盛られている部分や意図的に省かれミスリードを誘う部分があるかもしれん」


 マーヴェさんは言い返せない。

 要は、マーヴェさんも『末端』なんだろう。


「…それなりに、秘書としてやっていけてたつもりなんですけどね」


 ぽつりと零れた言葉に、皆が注目する。


「部下だとは思ってましたけど、秘書だったんですか?」

「ええ。…見習いですけどね」


 リーサの問いに、マーヴェさんは力なく答えた。


「エーシェンさんってすごい人じゃないですか。受付もできて偵察もできて…だから、秘書の見習いになれたとき、結構嬉しかったんです。でも…いざこうやって危ない状況になると、一旦とはいえこうやって離されちゃうんですね」

「離された?ってことは…」

「エーシェンさんは、まだ向こうにいて混乱を収めるために奔走しているんです」

「それは…なんというか、心配ですね」


 マーヴェさんは小さく頷いた。



 馬車が着く頃には、日はほとんど沈んでいた。

 オーチェルンの中心市街にも、明かりが灯っている。

 相変わらず人は多い。もっとも、例の騒乱のせいもあるだろうが。


「俺たちが必要になる事態が起きなきゃいいんだがな」


 一緒に連れてこられたガルゼが呟く。

 俺たち赤魔法使いが連れてこられた理由の一つが、戦力が必要というものだった。

 ガルゼたちは、ここアルスレー地方での活躍こそ少ないものの、戦力としては申し分ないと判断されたようだ。


「残念ながら、そうはならないだろう」


 そう答えたのはアルナシュ先生だった。


「私たちが『南』に関する資料を見せられたということは、十中八九この件の首謀者あたりに『南』の人物がいて、そしてそれの捕縛か殺害かに戦力が必要ということだろう。マーヴェさんがそこまで知っているかどうかは微妙だが」


 周囲が騒然としていて聞こえないのをいいことに、先生はそう言う。

 殺害という物騒な言葉に、冒険者新人組が慄いた。


「…流石に、ボクらも人を殺したことはないよ」

「痛めつけざるを得ない状況になったことはあるけどな」


 ビスティーの言葉をアンセヴァスが補足した。

 彼らが逃げてくるまでにどんな生活を送っていたのか、未だに想像がつかない。


「しかし先生、そういったことは本来騎士団の領分ではありませんの?」

「そりゃ普通はな。だがなシルヴィ、よく見てみろ」


 街の騒乱を見渡すよう促され、素直に従ってみる。

 騒ぎの中で、あちこちで騎士団員と思しき制服を着た人たちが説明に追われている。

 中には、鎧を着た人すらいる。本来街中で警官の役割を果たしている騎士団員は軽装であるにもかかわらずだ。

 意図的に、もしくはパニックに流されるままに騒ごうとする人を威圧しているのかもしれない。


「授業の下調べでいろいろ調べたことがあるが…見た感じ、この街の騎士団はパンクしている。出てきている人が多すぎる、多分通常業務もロクに回せていない」

「じゃ、じゃあ、冒険者とかはどうなんですか?オレらみたいな人が呼ばれるくらいなら冒険者もアリなんじゃないですか?」

「エルジュ、君たちは今一時的に騎士団に属していることになっていることを忘れたのか?…まあ、残念だが、そもそも今回の騒動に冒険者が出てくることは難しいだろう…と私は思う」


 ちょうど、ギルドの前を通り過ぎた。

 ギルドの建物には明かりが灯っていない。


「ここ、オーチェルンは観光都市と称されている。だが実際のところ、主に金を稼いでいるのはここ中央市街だな。観光メインなだけあって、住民自体は少ないんだ。それが冒険者ならなおさらな。騒ぎが中央市街に限って、それも夕方から夜にかけて起きているのでは、ロクに対応できる冒険者はいないだろう。それから…あそこの会話とかを聞いてみるとわかるかもしれないが」


 先生が指した方向に、俺たちは耳をすませる。

 何やら騒いでいる若い男と、彼を宥めようとする騎士団員の話だ。


「どういうことだよ!主教様が逮捕って!」

「落ち着いてください、そんな事実は確認されては…」

「だいたいなんでグロシーザ教が違法認定されるんだよ!主教様が『南』に何をしたって…」


 どうやら、彼はグロシーザ教徒らしいことが会話から読み取れた。


「この街の数少ない住民には、当然グロシーザ教徒が多い。ならば冒険者もそうだろう。そんな中でグロシーザ教に関するデマが流れれば、ああなってしまう。仕事を依頼できる状態ではあるまい」


 先生の解説に舌を巻きながらも、俺たちはその不安定な情勢がどうなるのか気が気でなかった。

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