128. 侵入

 グロシーザ教には、その宗教特有の衣装というものがない。

 そのため、エーシェンとマーヴェはすんなりとオーチェルンの街に溶け込むことができたのだが…


「…見分けつきませんね、これ」

「もう事態の収拾宣言はギルドから出てしまっているからな…さすがに観光客も戻ってきているんだろうな」


 それは、こちらからも判別ができないことを意味する。

 マーヴェは不安そうな表情をした。


「どうしますか?」

「とりあえず、今の所はこっちから見分けられなくとも問題はない。まず、あそこに潜入するのが先決だろうね」


 エーシェンの視線の先にあるのは、グロシーザ教の本拠地――クローヴァン神殿だった。


「…たしか、あそこに信者以外が入るのって」

「オーチェルンの法では…最悪、死刑だね」

「無理です無理です無理です!」

「大丈夫だって。ロクな検査もないんだから」


 実のところ、エーシェンは何度もここに来ている。

 グロシーザ教も巨大組織なので、ギルドから要注意組織扱いされているのだ。

 内密な話ではあるが。


「作法は頭に叩き込んだだろう?どうしても心配なら下手に喋らなければ大丈夫だ。安心して、グロシーザ教徒の人たちは優しいから初めて来たんだなって解釈してくれるよ」

「うぅ…良心につけこんで申し訳ないです…」

「僕の秘書になるからには、今後もこういうことを何度もやることになるからね」

「…ハイ」


 マーヴェは項垂れたが、諦めてエーシェンのあとをついていった。



 検査はせいぜい持ち物を少し検められたのみで、マーヴェの心配とは裏腹に本当に簡単に潜入できた。


「こ、こんな簡単で良いんでしょうか…」

「あまり大きい声で話すな。…そうだね、勝手に入ったら死刑というのは単なる抑制効果を期待した策であって、実際は割と他教の人間も勝手に入っているんだ」


 実のところ、実際にこの法が適用されて死刑になった人間は一人もいない。

 警戒するに越したことはないが、かなり形骸化した法であることは間違いないだろう。


「とはいえ、警戒するに越したことはない」


 エーシェンは少しだけ情報を伏せて伝えた。



 1時間ほど後、二人は無事神殿の敷地へと侵入していた。


「な?簡単だったろ?」

「本当に簡単でした…」


 小声でこそこそと話しながら、巡礼者たちに紛れて歩いていく。


「それで、私たちは何を見ればいいんですか?」

「この神殿は聖地でもあるけど、グロシーザ教幹部たちが執務をする場所でもある。今回は潜入とまでは行かないけど、近くに行って眺めるくらいはできると思うよ」

「神殿の中なんですか!てっきり神殿の外にそういう建物があると思ってました。でも、中を見る限りでは仕事できる場所なんてないように見えるんですけど…上ですか?」

「神殿の上層階は存在するけど、ほとんどは巡礼者も入れるよ。本命は…下さ」


 エーシェンは人差し指を下に向けた。


「下…ですか?」

「僕たちがここに来るまでに、坂を上っただろう?」

「そうですね、この神殿が高いところにありますから。たしか、街のどこからでも神殿が見えるようにわざわざ土を盛ったんですよね」

「実際、最初はそうだったんだろうね。でも、どこかの時点で掘られたんだ。地下の空間が」

「…なるほど…でも、岩ならともかくここは土ですよね?崩れないんですか?」

「どうも、前文明の文献から得られた強固な建築法を用いているらしい。残念ながら、その方法は百名家…というより、五大家シェグラシュに握られてしまっているが」


 言いながら、エーシェンは不自然にならない程度に辺りを見回す。

 ちょうど、人の流れが少しばかり分離する地点があった。


「この辺だ。主流から離れるよ、行動開始だ」

「ひえぇ、心の準備がぁ…」


 小声で文句を言いながら、マーヴェはいそいそとついていった。



 1階が参拝する空間になっているのに対して、2階は荘厳な博物館か美術館といった様相だった。

 聖遺物などの神や聖職者にまつわる物品が展示されている。

 参拝客の流れに比べると人は疎らで、それだけ目立つ危険性もある。


「堂々としていたほうがいいよ。怪しまれないからね」

「私たちはここで何をするんですか?」

「地下への入り口の捜索さ」


 エーシェンはこともなげに答えた。


「ギルドの調査で分かっているのは地下の存在のみ。外から丘自体を調査しただけで詳しいことはまだ分かっていないんだ。僕は地下への入り口が、逆に上の階にあると踏んだのさ」


 エーシェンは真っ直ぐ歩いて、とある一箇所を目に留めた。


「ほら、これとか怪しい」


 それは、大きな展示室にある扉だった。

 展示物側とは逆にあり全く照らされておらず、ついうっかり見逃してしまいそうなほど存在感が薄い。


「従業員用の扉はここまでにもいくつかあったけど、ここまで暗く目立たないように配置されているのは初めてだ」

「えっと…その、入るんですか?」

「ああ、ちょっと下見にね。見張っててくれるかい?例の道具は渡したよね」

「…はい」


 例の道具――簡素な通信が可能な魔道具。

 片方の魔法陣を発動させるともう片方に共鳴してわずかに震えるというだけのものだが、『人が来た』という合図をするには十分だ。


「それじゃ、行ってくる」


 扉の中をそっと確認した後、エーシェンはサッと潜り込んだ。



 隙間から下を覗き込んでみるが、ここは想像以上に深い場所のようだ。


(おかしい…)


 そう。神殿の地下空間が確認されていたとはいえ、それは丘の中に収まる程度のものだったはずだ。

 それに対し、この階段は丘どころか元の地面すら超えて下っていくということが、階段の高さと数からわかる。


(確かに本当の意味での地下など確認しようもないし想像もしなかった…が、ここに適切な支援なしで突っ込むのは無理だな)


 仕方なく、エーシェンは扉を出た。

 少しして、マーヴェが寄ってきた。


「どうですか?何かありましたか?」

「どうも僕たちの知っているのとは別の地下があるようだが、それくらいしか」

「別の地下…ですか。それだけなら、あんまり大したことじゃなさそうですね」

「…まぁ、そうだね」


 口ではそう言いながらも、エーシェンはどこか胸騒ぎを感じずにはいられなかった。

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