② 「なぜ嘘をつくんですか」


「ところで、楠葉」


「……ん?」


 突然そう呼ばれて、俺はぼけっと口を開けてしまった。

 そもそも、俺は人から名字を呼び捨てにされることに慣れていないのだ。

 理由はお察しの通りである。


「あんたよ、あんた」


「な、なんだよ」


 声の主は、斜め前に座っている雛田冴月だった。


 はっきりした気の強そうな顔立ちで、美人。

 おまけに声に張りがあって、俺のような根暗は萎縮してしまう。


 まさしく、ヘビに睨まれたカエルだ。

 頼むから食べないでくれ、ゲコゲコ。


「あんた、なんか最近理華と仲良いらしいわね」


「なっ……だ、誰がそんなことを」


 直球かよ……。


 橘といい雛田といい、それからあの須佐美といい、さすがリア充は発言がストレートだ。


「恭弥」


「お前か……」


「ホントなんだからいいだろー、べつに」


 恭弥はこっちを向いて、嬉しそうにニヤニヤしている。

 こいつ、人のプライバシーを……。


「……仲良い、って言うほどじゃない。多少、気軽に話すってだけで」


「そうなの? 理華」


「いえ、友達です。仲も良いですよ」


「おい……」


 俺が睨んでも、橘は平然としていた。


 くそっ……目力が足りないんだろうか。


「どっちなのよ?」


「なぜ嘘をつくんですか、楠葉さん」


「いや、嘘っていうか……まあ、なんだ」


「わかってやってくれよ。こいつ、俺しか友達いなかったから、困惑してるんだ」


 恭弥が失礼極まりないことをあっさり言った。

 が、つまりはそういうことだ。完全に、的を射ている。


 たしかに、俺は橘と友達になった。

 だが、「俺は橘理華と友達です」なんて胸を張って言えるほど、俺は自信家じゃない。


 それからさらに言えば、雛田の目が怖い。自分の友達に、悪い虫が付いたんじゃないか。

 そんなことを危惧する気迫を、俺は雛田から感じていた。


「下心じゃないでしょうね?」


「ちょっと、冴月」


「違うって……まあ、いろいろあってだな」


 なぜか法廷に立たされたような気持ちになる。

 俺が橘と親しくなったのが気に食わないのだろう。

 まあ、無理もないとは思うが。


「もし、ゲスな考えで理華に近づいたんなら、私が許さないから」


「冴月」


「なんだよ、ゲスな考えって……」


 よっぽど信用されていないらしい。

 今さらこんなことを言われたところで、凹んだりはしないけれど。


 ただ、橘本人はともかく、周りがここまで言うんじゃ、やっぱり橘と友達になるなんて、やめた方がよかったんじゃないか?


「ちょっとでも怪しいと思ったら、私が黙ってないわよ」


「……冴月」


「ああもうわかったよ。近づかなけりゃいいんだろ」


「それが一番ね。そもそも、あんたと理華なんて友達としても釣り合わ」


「冴月!」


 突然、冷たくも鋭い声が響いて、俺と雛田は凍ったように固まった。

 見ると、橘が氷のような眼差しで雛田を睨んでいた。


「冴月、いい加減にしてください」


 橘の声は、明確な怒気を含んでいた。

 冷たい炎のようなオーラで、雛田を突き刺すように見据える。


「だ、だって……楠葉が」


「楠葉さんと友達になりたいと言ったのは私です。それに、楠葉さんは冴月が思っているような人ではありません」


「で、でも……その……」


 橘の淀みない言葉に、雛田は親に叱られる子供のように小さくなっていった。

 直接怒られているわけじゃない俺ですら、少し身体が縮こまる思いがする。


「いくら冴月でも、私の友達を悪く言うのは許せません。私は、怒っています」


「……は、はい」


 橘はそこまで言うと、少しだけ頬を膨らませて黙った。

 雛田は顔を伏せながらも、チラチラと橘の様子を伺っている。


「あー、はいはい。冴月、今のはお前が悪いぞ。廉にはそんな度胸も行動力もないから、思い過ごしだって」


「おい」


 恭弥が笑顔で割って入り、おかしな空気が少し和らいでいくのがわかった。

 さすがイケメン、場の整え方が様になっている。


「橘さんも、許してやってくれよ。冴月は橘さんのこと、心配なんだ」


「……ふぅ。いえ、私こそすみません。少し、言いすぎました」


「り、理華……」


 どうやら、事態は無事に収まりそうだ。


 それにしても、橘があんなに怒るとは。

 俺のため、とは少し違うかもしれないが、橘の言葉が嬉しくなかったとはもちろん言えない。


 橘は俺のことを、本当に友達だと思ってくれているらしい。

 いや、真面目なあいつのことだから、当然と言えば当然なのだけれど。


「申し訳ないのですが、今日のところはこれで帰ります。冴月、行きますよ」


「う、うん……」


 未だにしおらしい雛田の手を引いて、橘は教室を出ていった。


 ふと気づくと、クラスの連中の数名が、物珍しそうな目でこちらを見ていた。

 まあ、さすがに今回は仕方ないだろう。


 俺は恭弥と二人で肩を竦め合ってから、残った昼メシを黙々と口に入れた。


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