⑥ 「お前は、嫌じゃないのか?」


「ご馳走様でした」


「お粗末様でした」


 二人同時に、ペコリと頭を下げる。

 あまりにもうまかったせいで、ついかしこまってしまった。


「残りは冷蔵庫で保管してください。レンジで温めれば食べられますから」


「わかった。ありがとな、マジで」


「これからは、ちゃんと栄養バランスのいいものを食べるようにしてくださいね。インスタント食品ばかりでなく」


「……ハァイ」


「あやしいですね、その返事は」


「カップ麺とパスタは、男のひとり暮らしのお供なんだよ」


「典型的な悪習慣ですね。自炊はしないんですか」


「めんどくさい」


「……そんなことを言っているから、顔色が悪くなるんですよ。それと目つきも」


「目つきはもともとだっての」


「そうでしたか」


 橘のボケ。

 これはこれで、珍しいものを見られた気がする。

 それとも、もしかして真面目に言ってるのだろうか。


「橘はよく料理するのか?」


「まあ、それなりには」


「それなりに、なあ」


 あんなにうまい料理が作れるのに、それなりとは。

 ていうか橘って、美人で料理もできて、超ハイスペックじゃないか。

 どうやら勉強もできるらしいし。

 ゴキブリに弱いところだって、もはや長所と言っていいだろう。


 唯一の欠点は、時々俺と考え方が似ているということくらいか。


 ところで、橘は食事を終えた後も、自分の家に帰る素振りを見せなかった。

 とはいえ、帰れと言うのも忍びない。しばらくは様子を見ることにしよう。


「そういえば、橘は部活やってないのか」


「ええ。これといって興味のあるものがなかったので」


 試しに聞いてみた個人的な質問にも、橘はあっさり答えてくれた。

 案外オープンなやつなのだろうか。


「なら、普段家で何してるんだ」


「本を読んだり、映画を見たり、あとは勉強ですね」


「ふぅん」


 意外と普通だった。

 まあいくら美少女とはいえ、橘もただの女子高生ということなのだろう。


「楠葉さんは何をしているんですか」


「食うか、寝るか」


「勉強は」


「勉強もカウントに入れるのか?」


「さっき私がそうしていたでしょう」


「ああ、そういえば」


「勉強もカウントするとすれば、何をしているんですか」


「食うか、寝るか」


 そこで、橘は堪えるようにクスッと笑った。

 なんとなく、してやったような気持ちになる。


 なんだか知らない間に、俺と橘は気安く会話するくらいの仲になっているらしかった。

 ここ数日は色々なことがあり過ぎたから、それも仕方ないこと、なのだろうか。


 いや、あるいは。


「なあ、橘」


「なんですか」


 あるいは、俺は舞い上がっているのかもしれない。

 橘に『良い人だと思う』なんて言われて、嬉しくて冷静さを欠いているのかもしれない。


 だとしたら、俺は落ち着かなければならない。

 それはきっと、後悔と落胆のもとだろうから。

 身の程知らずな期待だろうから。


「お前は、嫌じゃないのか? 俺と話すのが」


「……いえ、特に」


 そう答えた橘は、心底怪訝そうな顔をしていた。


「なんでだよ」


「嫌じゃない、ということに、理由がありますか?」


「いや……でも、俺は」


 そこで、俺は言葉に窮してしまった。


 嫌なやつだから。

 暗いやつだから。理屈っぽいから。


 そんなセリフが次々と頭に浮かぶ。

 けれど、そのどれを伝えても、橘は首を傾げるだけのような気がしていた。


「……あなたが身の回りの方と、どんな関係性を築いているのかはわかりませんが」


「……」


「私はあなたに感謝していますし、悪い印象も受けていません。だから、あなたとこうして話していたって、嫌な気持ちになんてなりません。それに、仮に嫌なら、私はここへは来ない」


「……そうか」


 橘の声には、一切の飾り気がなかった。

 本当に、心の底からそう思っているのだろう。


 自分の中にある無謀な期待を、今のうちに消しておこうと思ったのに。

 拒絶されるために、この質問をしたのに。


 橘は、俺が欲しかった答えを返しはしなかった。

 けれど本当は、こっちの答えの方がずっと、俺は聞きたかったのかもしれない。


「……変なやつだな、橘は」


「絶対に、あなたほどではありませんよ」


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