⑤ 「埋め合わせします」
「そういえば、バルサンを買って返すのを忘れていました」
「いや、いいよ。使わないから、俺」
「それなら、何か他のもので埋め合わせします」
「なんだよ、他のものって」
「考えておきます」
俺と話しながらも、橘はどんどん調理を進めて行く。
何が出来るか知らされていない分、だんだんワクワクしてきた。
「そういえば、楠葉さんはどうしてひとり暮らしをしているんですか?」
手を動かしながら、橘はそんなことを聞いてきた。
「高校生でひとり暮らしって、楽じゃないでしょう」
「親父の方針だよ。早いうちから生活力を身につけておけってさ」
「生活力……ですか」
橘がまた、ジトっとした目でこちらを見る。
わかってる。
この一年で、そんなものはまったくと言っていいほど身についていない。
自炊もできるし部屋も片付いていた橘と比べると、ますます際立つズボラさだ。
まあ実家がそれほど遠くないということもあって、きっと危機感が足りないのだろう。
うん、そういうことにしておこう。
「そういう橘はどうなんだ。男ならともかく、親が心配しそうなもんだが」
「私も似たようなものです。両親が放任主義で、通学も考えて学校の近くに住め、と」
「それはまた、勇敢な両親だな」
橘の親となると、なんだかすごく、娘のことを可愛がっていそうなのに。
「それにしても、随分量が多いな」
橘の手元を覗き込みながら、俺は料理の分量に驚きとも喜びともつかない気持ちになった。
「作り置きができる物にしましたから、多めに作ります」
「おお……なんて気の利く」
「3日分くらいなら、飽きる前に食べ終わると思いますので」
言い終わるのと同時くらいに、橘はフライパンの火を止めて、料理を皿に盛り付け始めた。
うちの数少ない皿を総動員して、なんとか載せられる量だ。
「完成です」
テーブルに並べられた皿から、空腹を刺激する匂いが漂う。
めちゃくちゃ美味そうだ。
「野菜とベーコンのカレー炒めと、ネギマヨチキンです。ご飯に合いますよ」
「おぉ……すごいな、橘」
俺が言うと、橘は腰に手を当てて微かに胸を張った。
その姿は言うまでもなく、恐ろしく愛らしい。
それにしても、意外とノリのいいやつだな。
二人で向かい合って、手を合わせる。
ちなみに米は、パックのをレンジで温めた。
「いただきます!」
「いただきます」
……うめぇ。
なんとなく優しさがあって、身体にも良さそうだ。
ご飯に合う、と言っていただけあって、特にネギマヨチキンはどんどん箸が進んだ。
「マジでうまいな」
「どうも」
橘は満足そうだった。
正直、俺も大満足だ。
こんな料理が食えるなら、バルサンくらいいくらでも焚いてやるのに。
「また、ゴキブリ出ないかなぁ」
「……?」
橘は当然ながら、不思議そうな顔をしていた。
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