⑤ 「涙目になってるぞ」
高校の最寄り駅、東側出口のコンビニの脇道に入り、まっすぐ徒歩三分。
聞いていた通りのところに、俺の目的地はあった。
さすがは橘、場所の説明が正確なこって。
ひとり焼肉店『ひとり身』。
以前橘と情報交換して知った、あいつのイチオシの店だ。
「いらっしゃいませー!」
景気の良い女性店員の声に迎えられ、俺は目についた席に座った。
ひとり用の各席に、一台ずつロースターが備え付けてある。
テーブルに置かれたタブレットから、自由に注文ができる形式らしい。
「ごゆっくりどうぞー!」
店員はほとんど無干渉で、学生服の俺のことも全く気にしていないようだった。
さすが、ひとり焼肉に来る客の気持ちをよく理解している。
俺はタブレットから適当な肉と飲み物、それから白米を注文し、ふぅっと一息ついた。
俺が学校帰りにここへ寄ったのは、あくまで腹が減っていたからだ。
そして、今日は焼肉の気分で、それなら橘に勧められた店に行ってみよう、そう思っただけ。
だから。
「……なぜ、あなたがここに来るんですか」
ここに橘がいるということは、完全に誤算なのである。
「そんなもん、焼肉を食うために決まってるだろ」
「そ……それはそうですが」
なにをわかり切ったことを聞いているんだ、こいつは。
「ひとりで焼肉を食う。それ以外に俺の目的はない。だから俺がこの席に座ったのも、隣に橘が座っているのも、全くの偶然だ。俺たちにはこんなの、よくあることだろ」
俺が一息にそう言うと、橘は目を見開いて、じっと俺の方を見つめた。
対する俺は、ロースターの上でゆらゆら揺れる陽炎を、ただ眺めるだけ。
「……ひとり焼肉ですから、私はひとりで食べますからね」
「そりゃそうだろ」
しばらくすると、俺と橘のテーブルに肉が運ばれてきた。
控えめな量の俺とは対照的に、橘は体量の肉をロースターの周りに並べている。
この店が初めての俺は、橘がやるのを真似て、ただ無心に肉を焼いた。
天井に設置された排気口から煙が吸い込まれていく。
肉の焼ける音と香ばしい匂いが、本当はあまり腹の減っていなかった俺の食欲を増進させた。
「……」
「……」
肉を食う間、橘は無言だった。
俺も黙々と肉を食った。
ひとり焼肉なのだから当然だ。
だから、これは会話ではなく、単なる二人の独り言なのだろう。
「まだ赤いな、ほっぺた」
「……痛くないです、こんなの」
「そのわりに、涙目になってるぞ」
橘はビクッと肩を震わせた。
慌てたようにおしぼりで目尻を拭い、鼻をすんっとすすった。
「……煙たかっただけです」
「そうかい」
「……」
「……」
「……楠葉さん」
「なんだよ」
「……私は、やっぱり嫌なやつでしょうか」
橘は肉の焼ける音に負けそうなくらい、弱々しい声で言った。
「いや。良いやつだよ、お前は」
「でも! ……私と話すと、嫌な気持ちになる人は少なくありません。今日だって……」
なんだか、肩透かしを食らったような気分だった。
そんなことを気にしていたのか。
他人からどう見られようと知らん顔。
それが橘の強さだったはずなのに。
「あんなやつらの言葉を真に受けるのか?」
「あの言葉だけじゃありません。あなたほどではないにしろ、私だって人付き合いが下手で、友達も少ないんです。だからあの人たちの言うことは、悪意こそあれど、決して的外れじゃ……ない」
「意外と繊細なんだな」
俺が言うと、橘は不機嫌そうに唇を尖らせた。
肉を二枚一気に口に入れ、頬張るようにして噛んでいる。
橘はこの店のことを、嫌なことがあった時に最適、と言っていた。
それは俺が今日ここへ来たことには決して関係ないけれど、つまり橘は、あの出来事を『嫌なこと』だと感じているのだ。
だが、橘はあんな逆恨みの報復自体を引きずるようなやつじゃない。
つまり、なにかそれ以外に橘の心を弱らせるものが、あのやりとりの中にあったのだ。
そしてどうやら、その正体がこれらしかった。
しかし、本当にそうか?
「……あの人、一ノ瀬さんといいましたか。彼も、やっぱり私の外見に惹かれたのでしょうか」
「……さあな。気になるなら、本人に聞いてみればよかっただろ」
「その時は気になりませんでしたから。もう遅いです」
「……ふぅん」
思えば、あいつは橘のどこがどういう風に好きだとか、言わなかったな。
誠実そうなあいつなら、断られた時点でそういうことをまっすぐ伝えてきそうなもんなのに。
ただ、昨日橘にフラれて去っていくあいつは、どこか完全に諦めたような、すっきりしたような顔をしていた。
リア充の考えていることはわからない。
少なくとも、俺みたいな日陰者には。
恭弥なら、少しは理解できるんだろうか。
「……でも、たぶん違うと思うぞ」
「えっ……」
「なんというかあいつ、良いやつそうだったし、橘の外見だけを好きになって、あんな風に告白してくるとは思えない」
「……そうですか」
「ああ。須佐美や雛田だって、お前のことはあんなに好きなんだし、自信持てよ」
「……そう、ですね」
言いながらも、橘の表情は依然として暗かった。
どうやら、本人にとっては思った以上に深刻らしい。
「……本当は、楠葉さんだって嫌なんじゃないですか」
小さな声だったのに、そのセリフだけは肉の焼ける音をかいくぐって、俺の耳にはっきりと届いた。
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