③ 「美味しいものは別腹」


「お、おぉぉ……!」


「これは、なかなか……」


 二人用のテーブル席に運ばれてきた天丼は、値段相応の豪華な見た目をしていた。

 二尾の海老、大穴子、卵、帆立、海苔、ししとう。

 各種天ぷらが、米が見えないくらいに満載されている。


「ちゃんとした天丼って俺、初めて食うかもしれん」


「私もです。いったい、どれから食べれば……」


 橘は困惑しつつも、明らかに興奮していた。

 頬を薄く染めて、なぜか箸を一本ずつ両手に持ってうずうずしている。


 つけ麺や寿司の時にも思ったけど、こいつ食べるの好きだよなぁ。

 普段はあんまり感情が見えないのに、食い物を前にすると子供みたいに目が輝く。


「やっぱ、海老だな。二尾いるし」


「そ、そうですね……では」


「いただきます」


「いただきます」


 同時に手を合わせて、黄金色の衣をまとった海老を一口かじる。


 ……うお、うめぇ。


「マジでうまいな」


「マジでうまいです」


 マジで、って。

 橘まで言葉遣いが乱れている。


 ただ、その気持ちもわかる気がした。

 なにせ、今まで人生で食べた天ぷらとは、比べ物にならないくらいうまい。

 おまけに、米もタレもうまい。

 ついでに出てきたお茶もうまい。


 なんなんだこの店は……。


「かなりのボリュームですね、それにしても」


「全部食えるのか?」


 橘はかなり華奢だ。

 胃袋にこれが入るか、本気で心配になる。


 橘の顔よりも、どんぶりに載ってる大穴子の方がデカいからな、なにせ。


「美味しいものは別腹ですよ」


「いや、物理的に無理なんじゃ……」


「消化しながら食べます」


「めちゃくちゃな理論だな」


「理屈はご馳走の前では無力ですよ」


 謎の名言を残して、橘は黙々と箸を進めた。

 俺もそれにならい、目の前の獲物を黙って食べる。


 うまいものを食べるときは、集中して。

 そう言えば俺たちは、そういう主義だった。


 せっかく映画について話すために来たのに、これじゃあただうまい天丼を同時に食ってるだけだな。


 まあ、そもそもここまでうまいと思っていなかったんだから仕方がない。

 この天丼を食いながら話すなんてのは無理だ。


 一尾目の海老を倒して、帆立、大穴子を食う。

 大穴子の油に疲れたところでししとうを挟むと、口の中がスッキリして食欲が回復した。


 うぅん、よく考えられた食材の組み合わせだ。


 高校生にはちょっと高いが、量もちょうどいいし、何よりうまい。

 これはリピート決定だな。


 案の定、俺のどんぶりが先にカラになる。

 一息ついて見ると、橘は少し苦しそうに、それでもやっぱり幸せそうに、帆立の天ぷらをかじっていた。


 思わず、橘の顔をぼぉっと見てしまう。

 形の良い鼻と薄い唇。大きくて凛々しい目が細まると、どこか絵画的な魅力がある。


 こいつ、やっぱりめちゃくちゃ美人だなぁ。

 食事してる顔がこれなんだから、よっぽど造形がいいんだろう。


 道ゆく人や、学校の連中が見てしまうのも仕方ないと思える。

 そんな橘と友達になって、こうして二人で天丼屋とは。

 俺もずいぶん、出世したのかもしれない。


「……なんれふか?」


「飲み込んでから喋りなさい」


「むっ。……ふぅ。なんですか?」


「いや、なんでもない」


「それなら、どうしてこちらをジロジロ見ていたんですか」


「だからなんでもないって」


「……ふんっ」


 俺が誤魔化すと、橘は不機嫌そうに頬を膨らませた。

 が、すぐに再び箸を動かして、また嬉しそうな笑みを浮かべる。


 忙しいやつめ。


「ふぅ。ご馳走様でした」


「ご馳走様でした」


 橘の完食したタイミングに合わせて、また二人で手を合わせた。


 橘はさすがに少し苦しそうだ。

 まだ映画の話もできていないし、しばらくゆっくりするとしようか。


「本当においしかったです。お気に入りリストに入れます」


「俺も入れた」


「楠葉さんもあるんですか、リストが」


「あるぞ。あのつけ麺屋と、学校の近くにあるボロい定食屋、ほかにもいくつか」


「定食屋、ですか。知りませんね」


「トンカツ定食がめちゃくちゃうまいし、安い。そして何より、店が静かだ」


「それは、とてもいいですね」


「今度、場所教えてやるよ」


 橘なら、たぶんあの雰囲気、好きだろうし。


「是非」


「おう。橘のお気に入りは?」


「銭湯の近くのケーキ屋さんが絶品です。それから、駅前のひとり焼肉のお店も」


「ひとり焼肉だと?」


 それは、なんて魅惑的な響きなんだ。


「いいお店ですよ。興味あります?」


「めちゃくちゃある」


「じゃあ、定食屋さんの情報と交換しましょう」


「しようしよう」


 そのあとも、俺たちの『おすすめひとり食事スポット紹介』は続いた。

 そのせいか、本来の目的だった映画の話になる頃には、お互いにテンションが妙に上がってしまっていた。


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