余談 美少女は邂逅する

①「ちゃんと話すの初めてだよね」


 修学旅行が終わってから、二週間ほどが経ちました。


 頭の中に渦巻いていたあらゆる感情も今ではずいぶん落ち着き、私はいつもの調子を取り戻していました。


 これも、廉さんとしっかりお話し……はい、お話しできたおかげです。

 ……それ以外のことも、してしまいましたが。


 ……ただ。


『負けちゃった』


 あのとき、廉さんに告白をした紗矢野さんが最後に見せた涙と、この言葉。


 それだけが私にはどうしても忘れられず、何度も脳裏に蘇ってきていました。


 結局、彼女がどうして廉さんに惹かれたのかはわかりませんでした。


 けれど、私は勘違いしていたのかもしれません。

 いえ、きっとどこかで、たかを括っていたんだと思います。


 廉さんを好きなのは、私だけ。

 彼のいいところを知っているのは、私だけなのだと。


 しかし、考えてみれば当たり前のことで。


 廉さんのことを見ている人だって、たしかにいる。

 あの人の素敵なところに気がついている人だって、きっといる。


 私が、そして夏目さんたちが、そうであるように。


 ……とはいっても。


「まさか、告白までされてしまうなんて……」


 無意識に漏れた独り言が、ひっそりとした廊下に虚しく吸い込まれます。


 この日、私はレポートの課題をやるために、学校へ来ていました。

 指定された本の中から一冊選んで、それについての評論を書くという、少し大きめの課題です。


 うちの学校には、生徒用のパソコンが備え付けられた部屋があります。

 そこでしばらくキーボードを叩き、レポートが完成した頃には、辺りはすっかり夕焼けに包まれていました。


 夏休み、夕方というだけあって、校舎の中は静かなものでした。

 吹奏楽部や合唱部、軽音部のものと思われる声や音を遠くに聞きながら、私はたどり着いた昇降口で、靴を履き替えました。


 そのとき。


「あ」


「……あ」


 いつのまにか、すぐ隣に見覚えのある女の子が立っていました。


 明るい髪を横で留めた、爽やかなサイドポニー。

 はっきりとした丸い猫目と、ちらりと覗く八重歯。

 学校指定のジャージの上下から、血色のいい細い手足がすらりと伸びています。


 紗矢野さんでした。


「……」


「……」


 私たちは少しの間、黙って顔を見合わせていました。


 紗矢野さんは驚いているような、こちらを値踏みするような、不思議な目をしていました。

 気まずさに襲われながらも、私は視線をそらすことができませんでした。


「……やっぱり」


「えっ」


「……超可愛いなぁ」


 ため息混じりにそう言って、紗矢野さんはむむっと口を引き結びました。


 いったい、なんのことでしょう……?


「橘さんも部活帰り?」


「あ、いえ……課題を少し」


「ふぅん」


 紗矢野さんの口調は、なにも含むところのなさそうな、ごく自然なものでした。

 なんだか、身構えてしまっていたのが申し訳なくなるほどです。


「途中まで、一緒に帰ろ」


「……えっと」


「いいからいいから」


「は……はい」


 断ることもできず、私はそのまま紗矢野さんと並んで、校門を出ました。

 そして困ったことに、どうやら私たちの帰り道はしばらく、重なってしまっているようでした。


 居心地の悪さと、後ろめたさと。

 そんなものを感じながらも、私は努めていつも通り、足を動かしました。


「ちゃんと話すの初めてだよね」


「そ、そうですね」


 とはいえ、彼女との間には、いろいろなことがありすぎたような気がします。

 一対一で話したことがないというのが、むしろ不思議なほどでした。


「橘さんに、ちょっとお願いがあるんだけど」


「……な、なんでしょう」


「楠葉くん、譲ってくれない?」


「……え」


 思わず、固まってしまいました。


 道の真ん中で立ち止まり、彼女の言葉を、何度か頭の中で反芻します。

 けれど、やっぱり正確な意味は、よくわかりませんでした。


 いや、きっと言葉通りの意味だとは、思うのですが……。


「あはは、ごめんごめん。冗談だって」


 紗矢野さんは笑って、また歩き出しました。


 その声がどこか寂しげに聞こえて、私は自分の気分が沈むのがわかりました。

 ただ、一方でほっとしている自分もいて、罪悪感が募りました。


「ダメだなぁ私。世間話でもして、橘さんとちゃんと友達になろうと思ったのに」


「……」


「もっと吹っ切れてるつもりだったけど、全然ダメだ」


 紗矢野さんは「あーあ」とこぼして、わずかに俯きました。

 その横顔がどうしようもなく切なくて、私も同じように、下を向いてしまいました。


「……」


「……紗矢野さん」


「……ん」


 紗矢野さんの短い返事は、少しだけ震えているように聞こえました。

 私の方からなにかを切り出すとは、彼女も予想していなかったのかもしれません。


 ですがそれでも、私には彼女に、言わなければならないことがありました。


「……あのときは、すみませんでした」


「あのとき?」


「グアムで、その……突然、身勝手な言いがかりをつけてしまって……」


「……あぁ、そんなことね」


 紗矢野さんは、今度は拍子抜けしたような声で言いました。

 それから、また私の顔をじっと見つめました。


「気にしてないよそんなの。そうなった理由も気持ちも、もうわかってるし」


「そ……そうですか」


「うん」


 また、沈黙がありました。

 けれどすぐに、紗矢野さんは次の言葉を発しました。


「橘さんはさ、楠葉くんのどこが好きなの?」


「えっ……」


 見ると、紗矢野さんの表情は、いたって真面目なものでした。


 答える必要は、ないのかもしれません。

 ですが私は、きちんと正直に、答えようと思いました。


「あの人は……優しいんです」


「……」


「それは、ただ穏やかだとか、心が広いとか、そういうことではなくて……。不器用で、愛想がなくても……私の心に、優しく触れてくれるんです。私なんかを、いいやつだと、そう言ってくれるんです」


 もっと他に、言うべきことはあるはずなのに。


 どうしてか、私はそれ以上、なにも言えなくなっていました。

 ですが、それで充分なような気もしていました。


「……はぁ」


 濡れたようなため息が、隣から聞こえました。


 紗矢野さんは顔を上げて、けれどこちらを見ないで、ゆっくり口を開きました。


「もうホント、ヤだ」


「……え」


「せめて橘さんが、もっと嫌な子だったらよかったのに。それなら、絶対略奪してやるって、ちゃんと思えたのに」


 突然、紗矢野さんがたたっと駆けて、数歩分私の前に出ました。

 それから、くるりとこちらを向いて、わざとらしい、そしてものすごく、可愛い笑顔を作りました。


 夕日を反射して、彼女の目元が綺麗に光っていました。


「もういいもんっ。楠葉くんと、仲よくどうぞ。でも、もし楠葉くんに飽きたり、好きじゃなくなったら、早めに手放してよね。私が待ってるんだから」


「……はい。わかりました」


「……もうっ!」


 それっきり、紗矢野さんは勢いよく身体を翻して、走っていってしまいました。

 少し遅れて、私もまた歩き出します。


 私は早く、廉さんに会いたくなっていました。






 その日の夕食後。


「お、おい……なんだよ」


 食器を片付けていた廉さんは、後ろから抱きついた私に怪訝そうな声で言いました。


「なんだ、とはなんですか」


「いや……どうしたのかと思って」


「どうもしていません」


「じゃあなんでくっついてるんだよ……。濡れるぞ」


 カチャカチャとお皿を洗う廉さん。

 彼の前に回した私の手に、たびたび水飛沫が当たるのが分かります。


「ありがたみを感じているんですよ、廉さんの」


「ありがたみ?」


「はい。この関係は、誰かの失恋の上に成り立っているんだと、ちゃんと理解しておかないといけませんから」


「……な、なるほど。それはたしかに」


 廉さんは僅かに首を傾げた後、「でも、なんでいきなり……」とぼやいていました。


 それから、私が先に部屋で待っていると、片付けを終えた廉さんがお茶を入れて戻ってきてくれました。


 しかし、ふたつのコップをテーブルに置いてからも、なぜか廉さんは座ろうとしません。


「どうしたんですか?」


 私が尋ねると、廉さんは微妙な表情のままそっぽを向いて、両腕を小さく広げました。


 これは……。


「なんだ……まあ、ハグを」


「えっ……は、はいっ」


 立ち上がって廉さんに身体を預けると、私はすっぽりと彼の腕に包まれました。

 彼の胸に頬をくっつけると、廉さんの鼓動がトクトクと、心地よく響いていました。


「廉さん?」


「……ありがたみ。俺の方こそ、理華のことが好きな人、大勢押しのけてるだろうから……」


 私たちはそれからしばらく、黙ったまま抱き合っていました。


 誰かを独占するということは、ほかの誰かから、その人を奪ってしまうということです。


 もちろん、男女交際とはそういうものなのかもしれません。

 しかしだからこそ、私はそれを忘れずに、今の関係に感謝して過ごしていかなければいけないのだと思います。


 けれど。


「廉さん」


「ん?」


「廉さんは、私のものですよ。その自覚を、ちゃんと持ってくださいね」


「お……おう」


 困ったように、それから、照れたように。

 廉さんはコクンと頷いて、私を抱きしめる力を、少しだけ強めてくれました。


 苦しさも、熱も、声も。

 そのどれもが心地よくて、私はすっかり、廉さんに身を委ねてしまっていました。


「……なら、理華も」


「……え?」


「理華も……俺のものってことで、いいんだよな?」


「ほあっ」


 …………。


「……はい。私は、廉さんのものです」


「……うん」


 それから、廉さんはまた力を強めて、私の頭に優しく手を当てました。

 なんだかすごく、恥ずかしいことをしている気がします。


 独り占めするのも、されるのも、こんなに幸せでは。


 しっかり自制できるかどうか、心配になってしまいますね。



―――――――――――――――――――――――――――


今回で、『美少女と距離を置く方法』2巻は完結です。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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それでは、失礼します!

また私や楠葉くん、橘さんたちが、皆様にお会いできることを祈っております!

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