②「ギャップあるよね、ギャップ!」


 三限終了のチャイムが鳴る。

 俺は後ろの席から送られてきたテスト用紙に自分の答案を重ねて、前のやつに渡した。


 期末テスト最後の科目は日本史だった。

 まあ、できはそこそこだろう。テスト全体で見ても、いつも通り、それなりの点は取れているはずだ。


 試験官だった教師の号令で礼をして、解散になる。

 周りの連中は喜んだり嘆いたり、それぞれの声を上げていた。


 テストの手応えと、開放感、それから、また部活が始まる憂鬱、そんなところか。


「終わったぁーーー‼︎」


 と、一際デカい声で叫んだのは恭弥だった。

 恥ずかしいので他人のフリをしておこう。いや、他人か。


 恭弥はそのまま部活連中と合流して、さっさと教室を出て行った。


 俺も帰ろう……と、言いたいところだが。


「楠葉くーん! お疲れー!」


「……ああ」


 晴れやかな顔をした紗矢野さやのが、カバンを持ってこちらへやってくる。


 残念ながら、これから修学旅行委員の会議があるのだ。

 テストのおかげで午後は休みだと思ったのに、生徒会め。


「テンション低っ!」


「これが普通だ」


「まあ、それもそっか」


 あっさりそう言って、紗矢野はポンっと手を叩いた。


 俺という人間に慣れてくれたようで、なによりだ。


「行こ行こー」


 足取りの軽い紗矢野を追って、俺も廊下に出る。

 大した距離でもないので、すぐに目的の視聴覚室に着いた。


 紗矢野と並んで定位置に座り、筆箱を出して会議が始まるのを待つ。

 前に立っていた須佐美が手を振ってくるが、頷きだけで反応しておいた。


「悪いが、今日は少し長くなる」


 教卓に立つや否や、隠岐おきが言った。

 そのまま委員たちの反応も待たず、全員に薄い冊子が配られる。


 これはもしかして、あれか。


「はい! ついに、修学旅行のしおりが出来ました!」


 そう言ったのは、隠岐でも須佐美でもなく、那智なちだった。


 那智なち陽茉梨ひまり

 最近やっとフルネームを覚えた。

 生徒会では広報をしているらしく、小柄なのに声がよく通る。


 しおり、という言葉に、委員たちからは「おぉー!」と歓声が上がった。

 紗矢野も嬉しそうに拍手をしている。無反応なのは俺と隠岐だけだ。


 だが表に出さないだけで、俺も多少は気分が高揚していた。

 こういう明確な進歩に喜んでしまうのは、俺も含め、みんなそれなりに真面目に仕事をしていたからだろう。


 それからはまた隠岐によって、しおりの中身の詳しい説明が続いた。

 内容の補足や、誤植の訂正、それから、クラスで配るときの注意事項など。


「スマホのデータ通信をオフにするのは、しおりを配ったとき、飛行機に乗る前、向こうで荷物を受け取ったとき、最低でもその三回、必ずクラスに伝えてくれ。俺たちの責任になったりはしないが、金銭が絡む問題は避けたい」


 ふむ、それはたしかに厄介そうだな。

 しかも、問題に気付くのも遅れそうだ。

 恭弥とか、普通にうっかりしそうだし。


「それと、盗難に関する注意喚起も、しつこいくらいやってくれ。行き先がグアムになった年は、毎回それでも被害が出てるらしい」


 隠岐の言葉に、委員たちが不安げに頷く。


 なんだかこういう話を聞いてると、海外に行くという実感が湧いてくる気がするな。


 ちなみに、俺は生まれてこの方、日本から出たことはない。

 飛行機もない。

 普通にちょっとビビっている。


 そんな感じで、しおりの説明はけっこうな時間続いた。

 まあこっちは話を聞いてただけなので、大変だったのは向こうだけだろうけども。


「それじゃあ解散。明日のロングホームルーム、各自よろしく頼むぞ」


 そこまで言って、隠岐が小さく吐息をついた。


 お疲れさん。さ、帰るか。


「帰ろ帰ろー!」


「……」


 今日も今日とて、紗矢野は教室を出ようとしていた俺の横に、ススッと並んだ。

 この展開になるのは、もう三度目だ。

 話が弾むわけでもないのに、よく飽きないもんだな。


「そういえば、楠葉くんテストどうだった?」


「まあ、それなりに」


「え! バッチリってこと?」


「いつも通りだよ」


「じゃあやっぱりバッチリなんじゃん!」


 言って、紗矢野はウガーッと頭を抱えた。

 元気だな、こいつ。


 ところで、「じゃあやっぱり」ってどういう意味だ。


「だって楠葉くん、いっつも順位ひと桁とかじゃん! 今回もそれくらいってことでしょ!」


「……よく知ってるな、そんなこと」


「知ってるよー! 去年もずっと上位で張り出されてるの見てたし、前からすごいなーって思ってたもん!」


 なるほど。

 前回は気づかなかったが、あそこに載ると、それ経由で名前が知られたりするのか。

 まさか、そんな落とし穴があるとはな。


「それに、普段そんな感じなのに頭いいのって、なんかちょっと……ぎ、ギャップあるよね、ギャップ!」


「ふぅん」


 なにやらおかしな調子であははと笑う紗矢野。

 褒められてるような、そうでもないような、微妙なセリフだ。

 まあ、どっちでもいいけれど。


「私成績ヤバイんだよねー……。中間も追試だったし」


 そのレベルのヤバさかよ。

 恭弥たち以外にもいたとは。

 いや、けっこういるもんなのか、赤点って。


「もうホント、誰か勉強教えてー、って感じ」


「そうか」


「……」


 思考回路までまるまる、恭弥と同じだな。

 成績の悪いリア充というのは、どうも勉強会が好きらしい。


「……」


「……」


「……誰かー」


「……」


「……もうっ! 聞いてるっ?」


「えぇ……」


 ちゃんと黙って聞いてたのに……。


 見ると、紗矢野は拗ねたように口を尖らせて、ジト目でこっちを睨んでいた。


「あーあ。せっかく美少女がお願いしてるのになぁ」


「お願いしてたのか」


「してたのー!」


 そうだったのか。

 珍しい頼み方だな。


「ねっ。賢いんだし、夏休みに勉強教えてよー。一緒に課題やるとかでもいいしさ!」


「えぇ……ヤだよ」


「なんでー!」


 駄々をこねるように叫びながら、紗矢野は俺の肩をポコポコと叩いた。


 周りには特に誰もいないとはいえ、恥ずかしいからやめろ……。そして、普通に痛い。


 それに、課題はもう先約があるんだ。

 これ以上予定を入れるのは御免だぞ。


「もうっ……。あ、じゃあ課題が嫌なら、代わりにどっか遊びに行かない?」


「……なんでそうなる」


「ほらっ、『修学旅行委員お疲れ様会』的な?」


「いや、それは生徒会主催のやつがあるだろ」


 たしか、夏休み中に打ち上げをやる、と須佐美が言っていた。

 まあ、俺は行かないけど。


「もーうっ! いいもん、楠葉くんの意地悪っ!」


 紗矢野はそう言って、プイッとわざとらしく顔をそらした。

 どうやら、一応引き下がったらしい。


 それにしても、やっぱりリア充式のコミュニケーションは、俺には理解不能だな。

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