③「ときに、君たち」


 その後、テストの返却や委員会の仕事に追われるうちに、夏休みはすぐにやって来た。


 だが休みに入っても、一度実家に戻ったり、円をドルに換金したり、遅くなっていたパスポート申請をしたりして、毎日が慌ただしかった。


 俺は言うまでもなく貧弱なので、日々の暑さもあいまってすっかり疲弊していた。


 そして諸々やるべきことが済み、今日こそ完全オフだ、と思ったのだが。


「……あ」


 午後から恭弥たちと予定があったことを思い出し、俺はわざとため息をついた。

 それから、重い身体をなんとか持ち上げて、身支度を整えた。


 億劫、という言葉が、頭の中でぐるぐるしていた。


“ブブッ”


「……ん」


 ちょうど着替えが済んで一息ついたとき、テーブルの上のスマホが震えた。

 メッセージの通知。恭弥からだろうか。


『おはようございます』


「……」


 途端、俺は自分の気分が少しだけ、軽くなっていくのを感じた。


 なんて現金、というか、単純なやつなのだろうか。


『集合場所まで、一緒に行きませんか』


『行こう』


『では、十分後に下で待ち合わせましょう』


『了解』


 それに既読がついたきり、もうメッセージは送られてこなかった。


 俺は洗面所に向かい、さっき洗った顔を、もう一度ゴシゴシと擦った。






「よーし! 今日でめちゃくちゃ進めるぞー!」


「全部終わらせる勢いでいきましょー!」


 テーブルのある個室に入るなり、アホふたりが声高に叫ぶ。

 両手で耳を塞ぐ俺と理華に対して、須佐美はいつも通りニコニコしていた。


 今日はいつもの……というと不本意だが、いつもの五人で集まり、みんなで課題をやることになっていた。

 正確にはテスト前の勉強会と同じく、恭弥と雛田が俺たちを一方的に巻き込んだわけだが。


 まあ、課題については俺もやる気が出ていなかったので、いい機会かもしれない。


「飲み物買いに行こうぜー!」


「賛成ー!」


 恭弥の掛け声に従い、俺たちは荷物を置いて、一旦部屋の外へ出た。

 ホールの中央にあるカウンターでそれぞれ注文を済ませ、個室に持ち帰る。


「いやぁ、いいなぁここ。集まるのにぴったりじゃん」


「ね! さすが千歳のオススメ!」


「リラックスできるから、よく来るのよ。それに、個室の方がなにかといいでしょ?」


 たしかに居心地はよさげだな。

 なにより、周りの目がないのがいい。

 混んでなければ追い出されたりもしないらしいので、長時間居座るのにも向いていそうだ。


「狭くないか?」


「はい、平気です」


 理華と俺が隣になり、同じ列に須佐美、向かいに恭弥と雛田が座る。

 こっちは三人なので、若干スペースに余裕がない。

 密集するのは好きじゃないが、まあ仕方ないだろう。


「あら、理華と楠葉くん、また同じもの飲んでるの?」


「真似されたんだ」


「違います。私の方が先に買ったじゃないですか」


 そんなしょーもないやりとりをしながら、俺は手元のレモンティーをひと口飲む。

 もはやツッコミも不要だ。


「だけどよかったわ。ふたりとも、期末テストもちゃんと乗り切れて」


 英語の問題集を開きながら、須佐美が言った。


「いやー、まあ実力だよな、実力!」


「そうね! もう赤点とかあり得ないわよ!」


 言って、恭弥と雛田は得意げに胸を張る。

 どうやら調子に乗っているらしい。

 平均点割りまくってたクセに、よく言うもんだ。


 だがまあ、追試をまぬがれただけでも上出来なのかもしれない。

 中間テストはうまくいき過ぎだったからな。


「これで思う存分夏休みを満喫できるぜー!」


「そうね! 来週はいよいよグアムだし!」


 言いながら、雛田は課題ではなく、旅行のしおりを取り出した。

 こいつ、もしかしてやる気ないのでは。


「ホテルめっちゃ綺麗じゃない? 超楽しみなんだけど!」


「そうね。施設もいろいろあるし」


「朝食がおいしそうです。ビュッフェですっ」


「室内プールもあるのはサイコー! 水着着れないってことはなさそうねー」


 なんだかんだワイワイとはしゃぐ三人娘。

 しかし意外にも、恭弥はおとなしかった。


「……ん」


 見ると、恭弥は俺の方を向いてニヤリと笑い、謎のサムズアップをした。


 「サングラス忘れんなよ!」という声が聞こえた気がする。

 女子たちにバレないように、俺はコクンと頷いておいた。


 それからはしばらくグアムの話題が続いたが、須佐美がペンを走らせ始めたのに釣られるように、俺たちも課題に取り掛かった。


 恭弥と雛田も、思いのほか素直に問題集に向かっている。

 期末テストの勉強会より真面目なのは、たぶん須佐美がいるからだろう。単純なやつらめ。


 他愛のない雑談を交えながら、みんなで課題を進める。

 改めて思えば、俺もずいぶん大人数に慣れたもんだ。

 まあ、このメンバーに限るけれど。


「糖分補給したーい!」


 二時間ほど経ったあたりで、雛田がのけ反りながら言った。

 ちらと見ると、理華もぐぐっと伸びをしている。


 全員キリがよさそうだったのもあり、一度休憩を挟むということで意見が一致した。


「デザート食べよーっと!」


「私も欲しいです」


「よし、じゃあ俺と廉で、まとめて頼んでくるよ。なっ、廉?」


「……了解」


 恭弥とふたりで席を立ち、女子三人の注文を集める。


 こういうときに気を回せるのも、自然に俺を巻き込むところも、さすが恭弥という感じだ。

 大したことじゃないのかもしれないが、少なくとも俺には真似できない。


「冴月はチーズケーキな。須佐美さんは?」


「それじゃあ、カタラーナをお願い」


「おっけー」


「理華は?」


 俺が声をかけても、理華は「むぅ」と唸って返事をしなかった。

 メニューを睨む顔が、やたらと真剣だ。


「廉さんはどうするんですか?」


「抹茶プリン」


「うっ……やっぱり。また同じになってしまいます……」


「いや、べつにいいだろ、好きなもので」


 気にしてたらキリがないからな。


「……じゃあ、そうします」


「はいよ」


 そう返すと、理華は諦めたように肩を竦めてから、パタンとメニューを閉じた。


 さて、さっさと注文を……ん?


「……」


「……」


「……」


 気づけば、いつのまにか恭弥たち三人が、揃って変な顔で黙っていた。


 なんだ、この妙な空気は……。


「……どうした?」


「いや……べつにぃ」


「なんでもないわ。ふたりとも、注文よろしくね」


「そうよ。……帰ってきてからにするから」


 ……意味がわからん。


 まあいいか……早いとこ済ませて、休憩にしよう。


 未だに変な、というか、ムカつく顔をした恭弥と一緒に、部屋を出てカウンターへ。

 なにを考えているかは知らないが、多分詮索するだけ無駄だろう。


 注文を終え、しばらく待ってからデザートを受け取る。

 全員ぶんのスプーンとフォークを持って、個室に戻った。


 すると……。


「どうぞ、楠葉くん」


「……」


 笑顔で俺を促す須佐美は、なぜか向かいの列に移動していた。

 結果、俺と理華がふたりだけで並ぶ形になる。


 いったいなんの陣形だ、これは……。


「あの……どうしたんですか、三人とも」


 怪訝そうな理華の問いかけにも、須佐美たちは不気味な笑顔を崩さなかった。


「あー、ごほん。ときに、君たち」


「な……なんだよ」


 やけに芝居がかった口調で、恭弥が言う。

 それから少し間を開けて、神妙な面持ちで続けた。


「いつから名前で呼び合ってるんだね?」


「…………あっ」


 全身から、血の気が引くのがわかった。

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