⑤ 「友達になるのは、嫌ですか」


 部屋に帰り着くと、俺はなんとか靴を脱いで、橘をリビングの椅子の上に下ろした。

 何度も深呼吸して、乱れた息を整える。


 女の子を平気でお姫様抱っこしてる男って、凄いんだなぁ、実は……。


 橘から靴を受け取って玄関に置き、リビングに戻る。

 橘はタオルで濡れたところを拭きながら、これ以上ないくらいに、申し訳なさそうな顔をしていた。


「……恥ずかしいです、雷が怖いなんて」


「まあ、ゴキブリの件といい、怖いもんは仕方ないだろ。一人暮らしするには、かなり不利だけど」


「……また、迷惑をかけてしまいましたね」


「いいよ。今日のカレーと、それから次の料理でチャラにする」


「……ありがとうございます」


 その後、俺は橘にもらったレトルトカレーを食べ、橘はしおらしく正座していた。


 その間も、俺の手には橘の体温が残って消えなかった。

 心臓がかすかに高鳴って、橘の背中の感触が何度も蘇る。

 こんなことになって、意識するなって方が無理だろう。


『仲良くしてあげてね』


 須佐美に言われたことが、頭の中で再び響いた。


『あなたなりのやり方で、構わないから』


 違うんだよ。

 こんなのは、俺のやり方じゃないんだ。


「……楠葉さん」


「ん?」


「……楠葉さんは、私と友達になるのは、嫌ですか」


「……いや、そんなことは」


 くそっ……。

 どうやら、須佐美が余計なことを言ったらしい。


「……以前は、関係をはっきりさせなくてもいいと言いましたが」


「……おう」


「やっぱり、私はちゃんと、楠葉さんと友達になりたいです」


 橘は伏せていた顔を上げて、まっすぐこちらを見ていた。

 笑うわけでも、泣くわけでもない、真面目な顔。


「迷惑、でしょうか?」


 迷惑なもんか。俺はただ、怖かっただけなんだ。


 友達になったって、仲良くなったって、またすぐに嫌われる。

 それがわかるから、最初から逃げてただけなんだ。


 友達になるために、仲良くなるために、人付き合いに向かないありのままの自分を殺す。

 それができないから、こうして諦めていただけなんだ。


 でも、もしそれをしなくてもいいのなら。

 それでも嫌われないのだとしたら。


 ……いや、いずれまた嫌われるのだとしても。


「……もう、友達でいいよ」


「……本当に?」


「ホントだって」


 こんな俺と、友達になりたいなんて。

 そんなこと言われて、嬉しくないわけがないんだ。


 相手が美少女だからとか、そんなことは関係がなくて。

 俺はただ、ありのまま好きに生きていた俺を、少しでも受け入れてもらえたことが嬉しくて仕方ないんだ。


「まあ、友達になったからと言って、何か変わるわけでもないしな」


「……それもそうですね」


「そうなのかよ」


「だって、そうでしょう」


「そっちが友達になろうって言ったんだぞ」


「やっぱり友達じゃなくてもいいかもしれません」


「おいこら」


 俺と橘は笑った。

 クスクスと押し殺すように、俺たちらしく笑った。


 あぁ、でもなんかこれは、すげぇ友達っぽいなぁ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る