④ 「首に手を回してくれ……」


「えっ。私の料理、もうなくなってしまったんですか」


 並べられたカラの皿をまじまじと眺めながら、橘が驚嘆の声を上げた。


「ああ。昨日で全部食べきってたらしい」


「四日分は作っておいたはずですよ。どなたかにおすそ分けしたんですか?」


「いや、全部自分で食べたよ。ってか、そんな相手が俺にいるとでも?」


「それはまあ、たしかに」


「おい」


 ちょっとは否定してくれたっていいだろ。


「……驚愕の食欲ですね。計算外でした」


「いやぁ、めちゃくちゃうまくて、つい」


「……そうですか」


 橘の顔がかすかに綻んだように見えた。

 あの橘も、褒められると嬉しいらしい。

 最初の印象と比べて、随分と人間味を感じるようになったもんだ。


 でも、美味かったのは本当だ。

 どうせならもっと、たくさん作ってもらっておけばよかったな。


 俺はキッチンから移動し、テーブルの横に座った。

 用意しておいた味付け海苔とマヨネーズ、それから米を並べる。


「えっ……なんですかそれは」


「今日のメシだけど」


「……あり得ない」


「あり得なくねぇよ。仕方ないだろ、食料が無いんだから」


「それにしたって……はぁ。ちょっと待っていてください」


 そう言うと、橘は立ち上がって、玄関に向かって歩いた。


「どこ行くんだよ」


「うちにレトルトカレーがあります。インスタントですが、それよりはずっとマシでしょう」


「おお、そりゃありがたい」


「すぐ戻ります」


「あ、おい。ひとりで行けるのか?」


「な……なんのことですか?」


 ああそうか、雷は怖くない設定だったな。


「いや、なんでもない」


「そ、そうですか……」


 橘はドアを開けると、顔を上げてジッと空を睨んでいた。

 幸い、さっきよりも雷は弱くなっている。

 雨脚は相変わらずだが。


「……チャンス」


 小さい声でそんなことを言いながら、橘はドアを閉めて出ていった

 たったったという足音が遠ざかっていく。


「大丈夫か……?」


 とはいえ、こうなっては俺にできることはない。

 味付け海苔を大事に食べながら、のんびり待つことにした。


 うーん、普通に美味いな、味付け海苔。


 その時、また雷鳴が響いた。

 しかもかなり大きい。


 これは、マズいのでは……。


 俺は玄関まで歩いて、ドアを開けてみた。

 目を凝らすと、階段の最終段に手のひらが掛かっているのが見えた。


 あれは、まさか……。


「た、橘!」


「く、く、楠葉ざん……」


 やっぱり、橘だった。

 腰が抜けているのか、その場にしゃがみ込んで動けなくなっている。

 ただ、手にはしっかりレトルトカレーの箱が握られていた。


「わ、私はどうすれば……」


 橘は怯えていた。

 またいつ、次の雷が鳴ってもおかしくないからだろう。


 そんなに怖いなら、無理しなくて良いのに……。

 なんで俺の飯なんかのために、そこまでするかな……。


「負ぶされるか?」


「えっ……」


「ずっとここにいるよりはマシだろ? 背負って部屋まで歩くから」


 俺は橘のいる数段下まで下りて、背中を橘に向けた。


 もういい、関わってやるよ。

 それでまた傷付いたって、そんなのは慣れっこだ。

 傷が一つくらい増えたって、今さら痛くも痒くもない。


「ほら」


「……う、動けません」


「マジか……」


「て、手を伸ばすだけなら、なんとか……」


 手を伸ばす……って言ったって……。


 ああ、もう。

 こうなったらヤケだ。


 しゃがみ込んでいる橘の膝の下に、無理やり手を入れる。

 同時に背中に反対の手を当てて、思いっきり持ち上げた。


「き、きゃあっ!!」


「ぐっ……非力なんだぞ、俺は……」


 いわゆるお姫様抱っこの状態になる。

 橘の見た目からして、体重は相当軽いんだろうが、インドア派の俺にはそれでもキツかった。


「首に手を回してくれ……」


「は、はいっ……!」


 橘の両手が首に巻きついてくる。

 少しだけ重さが軽減されて、俺はやっとの思いで階段を上り切った。


 あとは直線、さすがにいけるはずだ。


「く、楠葉さん……!」


「な、なんだよ……」


「……すみません」


「……また、料理作ってくれ」


「……はい」


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