③ 「確認させていただきます!」


「あっ……」


 銭湯から帰るなり冷蔵庫を開けて、俺はとんでもないことに気がついた。


「……無い」


 橘に作ってもらったネギマヨチキンと肉じゃがが、綺麗さっぱり無くなっている。

 誰だ、誰が食いやがった。

 もちろん俺だ。


「昨日食い過ぎたか……」


 いざ無くなってしまうと、こんなに悲しいとは。

 それほど美味かったということなんだろうけれど……さて、どうしたもんか。


 カップ麺の買い置きはちょうど切れている。

 家に着く直前に降り出した大雨のせいで、また出かけるのも面倒だ。


 変な美人には絡まれるし、風呂の後に雨には降られるし、飯は無くなるし、災難続きだな、今日は。


「うーん」


 あるのは味付け海苔と、パックの米だけ。


 ……まあ、いけるか。

 調味料と海苔で米を食おう。

 不健康極まりないが、男の一人暮らしにはこんな日もあるってもんだ。


 そうと決まれば。


 と、俺が冷蔵庫を閉めた途端「ドゴォォォン」という轟音と稲光、それに地響きがした。


 雷だ。

 それもかなりでかい。こりゃ、どこかに落ちたな。


 窓の外を見ると、雨はますます勢いを増していた。

 雷もいっそう激しくなってくる。

 そこまで大きくはないにしても、ゴロゴロという音と稲妻が止む気配はない。


 俺は味付け海苔と米を取り出した。

 一応探してみたが、戸棚にはやはり他にこれといった食料はなかった。


 いよいよ、男のクッキングタイム開始だな。


 が、そこでピンポーンと突然の呼び鈴が鳴った。

 こんな時間のこんな天気に、いったい誰が何の用なんだ。


 居留守を使おうかと迷ったが、なぜかドアを開けた方がいい気がした。


「こ、こんばんは」


「……なんだよ」


 橘理華が、いつか見たパジャマ姿で立っていた。

 ズボンの裾と、足が少しだけ濡れている。


「あ、あの……」


 橘はわかりやすく言い淀んでいた。

 思ったことはストレートに。

 ずっとそんな印象だった橘にしては珍しい。


 身体をもじもじさせ、ほんのりと頬を染めている。


「そ、そうです! 料理の時に使ったエプロンをそちらに忘れていないかと思いまして!」


「エプロン? あぁ、あれか。いや、うちには無いぞ」


「うっ……疑わしいです! 確認させていただきます!」


 橘は焦ったようにそう言って、俺の横をすり抜けようとした。

 そんなこと言われても、無いもんは無い。


「いや、無いぞ。っていうか俺、橘が持って帰ってたの覚えてるし。よく探したのか?」


「……と、とにかく!」


 “ドゴォォォン!!”


「ひぁああっ!!」


 今日一番の轟音に、橘は悲鳴を上げながら、あろうことか俺にしがみ付いてきた。

 小柄な身体がすっぽりと俺の胸に収まる。


「うおっ! お、おい!!」


 引き剥がそうと試みるが、ガタガタと震える橘は俺の服をがっちり掴み、放そうとしなかった。


 俺の頭が、動転しながらも一つの結論にたどり着く。

 すなわち、橘がここに来た本当の理由は……。


「……もしかしたらあるかもしれない、エプロン」


「えっ……」


「……うん、たぶん俺の記憶違いだ。ある可能性も否定できないから、ちょっと探してみてくれないか?」


 俺が言うと、橘は俺の服に埋めた顔をチラリと覗かせた。

 捨て猫みたいな表情で俺の顔色を窺っている。


 雷が怖いのか、とは聞かないでおくことにした。

 人には誰しも、知られたくないことの一つや二つ、あるというものだ。


「……仕方ありませんね。すぐ行きましょう」


「おう、頼む」


 安心したように落ち着いた橘は、あっさり俺から離れた。

 が、俺の裾は掴んだままで、ささっと部屋の中へと身体を滑り込ませてくる。


 俺も一枚噛んだとはいえ、妙なことになったな、こりゃ。


 そして、裾を掴むのはできればやめてくれないだろうか……。


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