③「秘密のデートね」


「あ……須佐美すさみさん」


「今日は修学旅行委員の仕事お疲れ様。助かったわ」


「うん。楽しかったねー、初日」


 言いながら、紗矢野さやのはスッと俺の腕を解放した。

 なんとなくほっとする。


 ただ気のせいか、その動きを視線で追った須佐美の目が、少しだけ細まったように見えた。


「ふたりでなにしてたの?」


「いや……たまたま会っただけだよ」


 須佐美の表情と口調は、とある事情を俺に伝えていた。


 つまり須佐美は、俺の帰りが遅いのが気になったか、後で飲み物が欲しくなったかで、追いかけて来たんだろう。

 そしてこの状況に出くわし、五人でいたこと自体を隠そうとしている。

 たぶん、俺と理華のために。


 こいつの鋭さと機転から察するに、おそらく間違いない。

 なんだか須佐美には、手間をかけさせてばっかりだな……。


「須佐美さんこそ、どうしたの?」


「私も買い出し。友達を待たせてるから、もう行くわね」


 そう言って俺たちの横を通り過ぎた須佐美は、しかしまたすぐに足を止めた。

 何度かポケットに手を入れて、それからわざとらしく肩を竦める。


「あら、私ドジだわ。財布、部屋に忘れたみたい。なんのために来たのかわからないわね」


 なるほど、そういうことか。


 ただ、それにしても設定がアホすぎやしないか?


「楠葉くん、悪いんだけど、お金少し貸してくれない? すぐ返すから」


「ああ、いいよ」


「ありがと。じゃあ、行きましょうか。紗矢野さん、またね」


「えっ! う、うん……バイバーイ」


 須佐美とふたりで、紗矢野が歩いて行くのを見送る。

 姿が完全に見えなくなったところで、俺たちは顔を見合わせて、同時に短い息を吐いた。


 あまりにもスムーズ。

 もはや、多少不自然なくらいだ。

 一応、うまくはいったみたいだが。


「よかった、様子見に来て」


「すまん……助かったよ」


「お金、貸してくれるんだっけ?」


「いや、一本奢る」


 須佐美のいたずらっぽい笑顔に向けて、そう言ってやる。

 「やった」と嬉しそうに声を上げて、須佐美はくるりと売店へ身体を向けた。


 抜かりないやつめ。

 まあ、いろいろ借りもあるし、これくらいは構わないけども。


「短いけど、秘密のデートね」


「なっ……」


「ふふっ。冗談よ。あなたも理華も、からかいやすいわ」


「……はぁ」


 心臓に悪い冗談だ、まったく。


「……けど、お前にしては無理のある嘘だったな」


「まあね。でも、べつに平気よ。あんまり綺麗な方が、かえって変だわ」


「……それはたしかに」


 そんなことを話しながら、須佐美が飲み物を選ぶのを待つ。

 会計を英語で済ませた須佐美に若干引きつつ、釣り銭を受け取った。


「それに、考える時間もなかったしね。見つけたと思ったら、浮気現場だったんだもの」


「う、浮気って……お前」


「あら、違った? てっきり、これって口止め料なのかと」


「違う……。ったく、俺で遊ぶなよ」


 どこまで本気なのやら……。


 冷や汗をかく俺を尻目に、須佐美はクスクス笑いながらペットボトルの封を切った。

 少量だけ口に含んで、静かに飲み込む。


「でも、紗矢野が買い物についてきたがったら、どうするつもりだったんだ?」


「そのときは一緒に行って、その間に次の手を考えるわよ」


「意外と行き当たりばったりなんだな」


「ええ。だけど、今回は大丈夫よ。紗矢野さんはついてこないわ」


「な、なんでわかるんだ?」


 マイペースで、けっこう強引なやつだから、可能性はあったと思うが……。


 だが、須佐美は「さあね」とだけ答えて、有無を言わさないような笑顔を作った。


 こういうときに追及が無駄なのは、俺にももうなんとなくわかっている。

 大した問題でもないので、諦めてさっさと部屋に戻ろう。


「そうだ、楠葉くん」


「ん?」


 階段を上り切ったところで、後ろから須佐美が言った。


 ただ、いつもと声音が少し違うような気がして、俺は思わず立ち止まってしまった。

 見ると、須佐美も階段の中腹で足を止めていた。


陽茉梨ひまりと話したのね」


「あ、ああ。さっきな」


「そう」


 どうやら、もう須佐美にも話がいっているらしい。

 その方がややこしくなくて助かるとはいえ、お喋りなやつだ。


「……陽茉梨に、なにか聞いた?」


「……えっ」


「……」


 須佐美は数段低いところから、俺をまっすぐ見上げていた。


 今まで見たこともない、怯えたような、笑ったような、不思議な顔だった。


『お互い、秘密は守ろうぜ』


 那智の言葉が、俺の脳裏に響く。


 須佐美の言う『なにか』とは、きっとそれのことなのだろう。

 なら、俺のすべきことは……。


「……いや、べつになにも」


「……そう」


 言って、須佐美はゆっくりと、崩れ落ちるような笑みを浮かべた。


 それから、また足を動かして、俺の隣に並ぶ。


「……ありがとう、楠葉くん」


「……いいよ、飲み物くらい」


 なにもわからない。なにも知らない。けれど――


「……ありがとう」


 『言えないことくらい、誰にでもある』。


 それだけは、バカな俺にだってわかっているのだ。

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