第5話 少年ははぐらかす

①「ちゃんと秘密にするからさ」


 ホールでの夕食後、俺と恭弥は順番にシャワーを浴びた。

 消灯までは自由時間だが、先に済ませておいた方がなにかと楽だろう。


 持参した部屋着に着替えて、ぼーっとひと息つく。

 恭弥はもうどこかへ出かけたらしく、部屋は静かだった。


 予定では、夜はまた理華たちが訪ねてくることになっていた。

 今度は雛田と恭弥も合わせて、五人でトランプなんかをやるらしい。

 果たして楽しいのか? それは。


 約束まではまだ時間があるので、俺もホテルを回ってみることにした。

 俺にしては珍しいが、四泊もするからには、施設くらい把握しておいた方がいいだろう。


 だがいざ見てみると、広いラウンジやちょっとした売店があるくらいで、特段おもしろいということはなかった。

 すぐに満足してしまい、俺はラウンジに戻って適当な椅子に腰掛けた。


「……ふぅ」


 大きな窓から、すっかり暗くなった街と海が見えた。

 どうやら俺たちの部屋がイマイチなだけで、ここからの眺めはそれなりにいいらしい。


 初めて海外に来たけれど、思ったよりこの異国の空気は悪くない気がした。

 将来自由な金と時間ができたら、いろいろ旅行してみるのもありなのかもしれない。


 ただそのときは、料理がうまいところがいい。

 さっき食ったグアムのメシは、あんまり好みじゃなかったからな。


「……」


 ……いつか、理華とふたりで旅行したりもするのだろうか。


 そんな考えが頭に浮かんで、俺は自分の顔がほんのり熱くなるのがわかった。


 だがすぐにその熱も引いて、妙な静けさに襲われる。


 べつに、ありえないことじゃない。


 お互いが一緒にいることを望んで、なににも邪魔されなければ、俺たちはずっと恋人のまま。

 付き合うというのは、そういうことのはずだ。


 そしてもしそうなれば、いずれは一緒に住んだり、結婚したりするのだろう。

 その過程のどこかで、出かける目的に旅行を選ぶことがあるかもしれない。


 もちろん、実感なんて一切ない。

 今の恋愛が永遠に続くと、盲目的に信じているわけでもない。


 けれど俺のようなガキには、そんなことになればいいなと夢想する権利だって、あるんじゃないかと思った。


「……どうなることやら」


 呟いた声にも、普段と違う響きが混ざる。

 それが無性に恥ずかしくて、俺は首にかけていたタオルで顔を覆った。


「わっ!」


「うおっ!」


 突然耳元で声がして、俺は反射的に跳び上がってしまった。

 慌てて振り返ると、そこには……。


「おー! 楠葉くんって、そんなおっきな声出るんだね!」


「……お前か」


 立っていたのは生徒会広報、那智なち陽茉梨ひまりだった。

 人を脅かしておいてなにが楽しいのやら、にぱにぱとした笑顔を浮かべている。


「なんの用だ……」


「んーん。通りかかったら楠葉くんがいたから、ちょっと声かけただけー」


 那智はそのまま俺の隣に座り、小さい身体でうーんと豪快な伸びをした。

 シャツの裾が引っ張られて、細くて白い腹がちらっと覗く。


 目のやり場に困るからやめろ。

 そして願わくば、理華も薄着で伸びをするときは気をつけて欲しいもんだ。

 いや、キモいな、俺。


「どうじゃった? 初日は」


「……まあ、ぼちぼちだな」


「そーかそーか。それはなによりじゃて」


 那智は変な喋り方でそう言って、満足げにガハハと笑った。


 気づいてはいたが、生徒会として人前に出ているときとは違い、普段のこいつはかなりおかしなやつだ。


 そんなやつと、しがないぼっちの俺。

 はたから見れば、いや、自分で見ても、明らかに意味不明な組み合わせだろう。


 だがそれでも、さっさと逃げてしまおうとは思わないあたり、やっぱり俺は、以前とはずいぶん違うらしかった。


 それに、特に今はやることもないしな。


「委員会のお仕事、ありがとねー。準備もそうだったけど、本番も大変っしょ?」


「いや、そうでもないぞ。なにかとスムーズで、助かってる」


「うはっ! 楠葉くんがそんなこと言ってくれるなんて! くぅーーっ。泣けるぜ!」


「大袈裟だな」


 ……本音を言えば。


 紗矢野や隠岐、そして那智。

 最近の俺は、こうやって知り合いが増えていくことに、多少なりとも喜びを感じていたりした。


 向こうが来るならひとまず話してみて、気が合わなければそのとき離れる。

 もちろん、無理に我慢したり、自分を殺したりはせず。


 そんなやり方だって、けっこう悪くないんじゃないかと思い始めている。


 ……おおっ。言葉にしてみれば、なんという変化だ。

 過去の俺が聞いたら、顔を顰めて鼻で笑うんじゃないだろうか。

 いや、そうに違いないな。


「ところでさぁ」


「ん?」


「楠葉くんって、橘ちゃんと付き合ってるの?」


「ぶふぅっ‼︎」


 あまりの不意打ちに、俺は思わず盛大に吹き出してしまった。

 急いで周りを確認するが、幸い近くには誰もいない。


 くそっ……人がちょっと会話に前向きになってたってのに……。


「あ、やっぱり正解?」


「……なんでそう思うんだよ」


「だって、たまに一緒にいるでしょ? 千歳と冴月ちゃんと、それから夏目くんも」


「……ああ」


 見られてたのか……。

 けど、そんなの五人でまとまってるってだけだぞ。


「冴月ちゃんと夏目くんはカップルだからわかるけど、そういうのじゃない男の子が混ざってるのは、どう見ても変だもん。橘ちゃん、普段男の子と仲よくないし。近づく男の子がいても、冴月ちゃんが追い払ってるしね。だから、ひょっとしてそういうことなのかな、って」


「……マジか」


 それだけで答えに辿り着くとは……化け物か?


 いや、もしかして俺が思っている以上に、わかりやすいのだろうか……。


「大丈夫大丈夫。ちゃんと秘密にするからさ」


「べつに、秘密ってわけじゃ……」


「えっ。じゃあ広めちゃっていいの?」


「ちょっ! バカ!」


「にゃははっ! 冗談冗談」


 扱いにくいやつめ……。


「そっかー! 隅に置けないねぇ、楠葉少年!」


「うるさいな……」


「照れない照れない。あ、ってことは千歳、あたしに嘘ついてたな~。親友なのに」


 言いながら、那智は恨めしそうに口をへの字に曲げた。


 そういえば須佐美のやつ、那智には隠してくれてたんだったな。


「俺が頼んだんだよ。許してやってくれ」


「べつに怒ってはないけどね~。そういうとこ、千歳らしいし」


 那智はまた笑顔に戻って、身体をゆらゆら揺らしながら言った。


 これで仲がこじれでもしたら申し訳が立たない。

 この様子なら平気だとは思うが、穏やかにことが済むのを祈るばかりだ。


「じゃ、とりあえず内緒にしとくね」


「ああ、頼む……」


「おっけーおっけー。まあ、黙っててもバレそうだけどね。あたしが気づいたんだし」


「や、やっぱりそうか?」


「うん。でも、バレた方がいいでしょ、いろいろ」


「……まあ、そうだな」


 それまでのおちゃらけた感じとは違い、那智は真面目そうな声音で言った。

 急に雰囲気が変わったせいで、少し怯んでしまう。


 須佐美といい、隠岐といい、この那智といい、生徒会にはくせ者しか入れない決まりでもあるのか?


「……ん?」


 ふとかすかな違和感に気づいて、思わず声が漏れた。


「にゃ? どうしたの?」


「いや……お前が仮説を立てた理屈はわかった。けど、なんでお前は付き合ってるのが俺と須佐美じゃなく、り……橘だと思ったんだ?」


「へっ……?」


 那智の言い分では、俺が三人娘と恭弥に混ざる理由がないから、ということだった。


 実際は恭弥の強引さとか、その他いろんなことも関与しているとはいえ、那智がそう考えたということ自体は理解できる。


 だが俺と関わりがあるのが、理華なのか須佐美なのか、それを絞り込んだ理由を、那智は説明しなかった。


「あ、あぁー……。う、うん、それはまあ、ほら」


 当然、那智は須佐美のことをよく知っているんだろう。

 それに俺から見ても、俺と須佐美なんて理華以上に不釣り合いだ。


 たださっきの言い方だと、那智はその可能性をかけらも疑っていない様子だった。

 それに、須佐美に直接、俺との関係を確認した様子もない。

 変、とまでは言わないが、『引っかかり』くらいには感じてしまう。


 それになにより、那智のこの反応が、ますます匂う。

 というか、もはやそれが一番怪しいとすら言える気がした。


「ち、千歳って……楠葉くんみたいな男の子はタイプじゃなさそうだし……?」


「……ふぅん」


「う……疑ってる?」


「いや、疑ってないぞ」


「ホント? ほっ……」


「嘘なんだろうなって、確信してる」


「そっちかい‼︎」


 那智はうわぁーっと頭を抱えて、膝の上にぼすんと顔を埋めた。


「……楠葉くんって、もっと弱いのかと思ってた」


「なんだよ、『弱い』って」


 まあそれを言えば、俺はかなり弱いと思うけどな。


「鋭い質問禁止!」


「やっぱり、なにかわけがあるのか」


「い、言わないからね……! ダメ! 絶対!」


「べつに、聞かないぞ」


「えっ……そうなの?」


 拍子抜けしたというように、那智はガクンと身体を傾けた。


 なにも、秘密を暴いてやろうと思って言ったわけじゃないからな。


「言えないことくらい、誰にでもあるだろ」


「それは……そうですね」


「それに、興味本位で詮索するほど、アクティブじゃないんだ」


「……にゃるほど」


「ああ。だから、むしろ悪かったな、触れて」


「……楠葉くん」


 那智はポカンとした表情で、しばらく黙って俺を見ていた。

 だんだんいたたまれなくなってきて、俺は逃げるように顔をそらす。


「……あとはまあ、あれだ。須佐美を敵に回す度胸はないんだよ、俺には」


「ぷふっ。それはたしかにそーだ。怖いもんね、千歳」


「お前でもか?」


「うん。怒ったらね。いつもはすっごく優しいけど」


 小さい口に手を当てて、那智はクスクス笑った。

 それから「あ、今のも内緒ね!」と付け加え、ヒョイっと勢いよく立ち上がる。


「じゃっ、そろそろ行くね。お互い、秘密は守ろうぜ」


「了解。須佐美と雛田と、あとは恭弥が知ってるから」


「らっじゃー」


 歌うような調子でそう答えて、那智はトコトコと去っていった。

 見えなくなる寸前、「みんないいなー、ちきしょーっ」という、気楽そうな声が聞こえた。


 くせ者だが、まあ、たぶんいいやつなんだろうな、あいつも。

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