余談

お久しぶりです、丸深です。

当エピソードは、書籍版1巻の巻末に収録されたものです。

以前投稿した『102 美少女と向かい合う』と大体同じ内容ですが、ご了承ください。

また、アフターストーリー以降のエピソードを、別作品に移動しております。読み返したいという方は、ブックマーク等よろしくお願いします。


そして、書籍版2巻の発売日が、来月3/25に決定いたしました!

それに伴いまして、明日から書籍2巻分の毎日1話投稿も開始します!

びきょり、再始動です!


まだびきょりについてきてくださる方々には、私に生み出せる最高のお話をお届けしますので、これからもよろしくお願いします!


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「そ、それじゃあ……いくぞ?」


「は、はい……!」


 カーペットの上に座って、俺たちは向かい合っていた。


 今日は高校の創立記念日で、学校が休みだ。

 日中を別々にのんびり過ごした俺たちは、夕方から橘の部屋で学校の課題を終わらせて、一緒に夕飯を食った。


 そこまではまあ、よかったのだが……。


「……り、り……」


「……」


「……ぶはっ! やっぱり無理だ! 中止!」


「な、なぜですか! 努力が足りませんよ!」


「いやぁ……だって、なあ?」


「ダメですっ。今日は絶対にやるんです。さあ、もう一度」


「うっ……わかったよ」


 胸に手を当てて、深く息を吸う。

 ゆっくり吐いて鼓動を落ち着かせてから、俺は再び橘の方をまっすぐに向いた。


「……り…………理華」


 呼び慣れない、というか、初めて呼ぶ、橘の下の名前。


 言ってしまってから、俺はなんだかムズムズするような、嬉しいような苦しいような、とにかく妙な気持ちに襲われた。


「……はい」


 橘が消え入りそうな声で返事をする。

 その顔は、今までに見たことないくらい、真っ赤に染まっていた。


「お、おい! 顔赤くするなよ! こっちまで恥ずかしくなるだろ!」


「だだだ、だって! 楠葉さんがそんな真剣な顔をするから! それに、楠葉さんの顔だって赤いですよ!」


「し、仕方ないだろ! 名字で呼ぶのに慣れてたし、そもそも女子を下の名前で呼んだことなんて、これまでなかったんだから!」


 今となってはどちらが言い出したのか、もはや不明だった。


 『どうせいつかはこうなるのだから、早めに慣れておくべき』。


 話し合いの末にそんな結論に達した俺と橘は、お互いを名前で呼び合う、ということで意見が合致したのである。


 実際、二人とも名字よりも名前の方が短い。

 手間を省くという観点からも、それが正しいはずだ。


 それに恭弥と雛田も、付き合い始めてからすぐに名前で呼び合うようになった覚えがある。


 呼び方を切り替えるなら、早い方が良い。


 それはたしかに、間違い無いのだけれど……。


「もっと普通に言ってください! 照れてしまいます!」


「普通がわからん! それに緊張してるんだから、真剣な顔にもなるだろ!」


 呼び名切り替え作業は見事に難航していた。


 まあ無理もないだろう。


 なにせ、単純に気恥ずかしい。


 それに、こうして改めて正面から向き合うと、橘の可愛さが異常だ。

 目を逸らさないでいるだけ褒めてほしいもんだ。


「……よ、よし。じゃあ、もう一回いくぞ」


「は、はいっ……!」


 また息を吸う。


 心なしか、さっきよりも気持ちが落ち着いているような気がした。


 これなら、行けるのでは……。


「……理華」


「……はい」


「理華」


「は、はい」


「理華」


「……」


「理華」


「も、もうっ! そんなに何度も呼ばなくても聞こえてます!」


 また顔を真っ赤にして、橘が喚くように叫んだ。


「だ、だって、慣れた方がいいだろ。まだ違和感が……」


「そ、それはそうですが……」


 理華。理華。


 心の中で、何度か繰り返す。


 これ、ホントにいつか自然に呼べるようになるんだろうか……。


「そ、それでは、今度は私が……」


「お、おう……」


 そうこうしている間に、もう一つの関門がやって来た。


 今度はたちば……理華が俺のことを、名前で呼ぶ番だ。


「……ふぅ。れ……廉さん……」


「…………ふぐぅ」


 ダメだ、変な声が出てしまった……。


「な、なんですかそれは!」


「い、いや、なんか……ヤバいなこれ。めちゃくちゃ照れる……」


「だ、だから言ったじゃないですか!」


 呼ぶのもヤバいが、呼ばれるのも充分ヤバい。


 むしろ俺のさっきの名前呼び四連発、よく耐えたな、たちば……理華のやつ。


「でも、り……理華は呼び捨てじゃないのかよ」


「わ、私にはこっちの方が合っています。それに、下の名前に『さん』を付ける呼び方は、私だけの呼び名という感じがして、なんだか、良いです」


「……まあ、り、理華がそう言うなら」


「はい。……廉さん。廉さん」


「や、やめろって」


「お返しです。廉さん」


「……理華」


「廉さん」


 しばらく黙ったあと、俺たちは同時にサッと視線をそらした。


 なんだか、ものすごくアホなことをやっている気がする。


「……ところで、外でもこう呼ぶのか?」


「そ、それは……えっと……」


「……」


「……」


「……と、とりあえず、名字のままにしとくか」


「そ、そうですね! ひ、人前で照れてしまってはいけませんし……!」


「お、おう。そうだよな……」


 お互いに肩を撫で下ろして、俺たちはなんとなくテレビに目を向けた。

 隣に並んで、肩をくっつけて、興味もないバラエティ番組を見るでもなく見る。


「……でも」


「ん?」


「……二人の時は、ちゃんと名前で呼んでくださいね」


「わ……わかってるよ。理華もな」


「は、はい。廉さん……」


 ……まあ、いいさ。


 少しずつだって、何も問題は無い。


 ここまで長かったんだから、今さらゆっくりになったって、どうってことはないはずだ。


 ……ただ。


「……恭弥たちの前で呼ぶのは、想像しただけでもヤバいな」


「……そうですね」


「おもしろおかしくからかわれるのは御免だぞ、俺は……」


「私もです……。お互い、気をつけましょう」


 本当に、前途多難だ。


 けれどそんな悩ましさも、恥ずかしさも、無性に愛しく感じられるあたり。


「理華」


「なんですか、廉さん」


 やっぱり俺は今、幸せなんだろうと思った。


「あらためて、よろしくな」


「……はい、こちらこそ」


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