第2話 美少女は憂慮する

①「欲望に正直なやつめ」


「グアムといえば!」


「……」


 昼休み。

 向かいの席に座っていた夏目恭弥が、やたらとハイテンションに切り出した。

 普通にうるさい。


 そして、またそのフレーズか。

 まさかこいつも、岬がどうとかいうんじゃないだろうな。


「水着だな!」


「……」


 そっちか。


 屈託のない笑顔で目を輝かせる恭弥。

 『海』を飛び越えて一気に『水着』に辿り着くところが、実にこいつらしいと言える。


「おーい、廉。なんだよ、興味ないのか、橘さんの水着」


「おいっ!」


 デカい声で言うなよ……。


 そして、興味はある。

 あるに決まってるだろ。

 そして、お前は興味を持つな。


「大丈夫だって。橘さんのファンなんて、いっぱいいるんだから」


「それはまあ、そうかもしれないが……」


「この学年可愛い子多いし、楽しみだなぁ、うんうん」


「欲望に正直なやつめ」


 っていうかいいのか、そんな感じで。

 雛田のやつが聞いたら――


「きょ~う~や~?」


「ひぃっ‼︎」


「あ」


 突然、恭弥は誰かに後ろから首を掴まれた。

 ビクッと肩を震わせて、悲鳴のような声が漏れる。


 見上げると案の定、恭弥の彼女、雛田冴月が立っていた。

 三日月のように曲がった口と、見開かれた目が非常に恐ろしい。


 やれやれ、言わんこっちゃないな。


「あんたには超可愛い彼女がいるでしょ? ん?」


「は……はいっ」


「グアムの海に沈みたい?」


 氷のような冷たさでそう言ってから、雛田は俺たちの横の席にすとんと腰を下ろした。

 その顔はもういつもの雛田だが、恭弥はまだ怯えている。


 雛田は丸くてはっきりしたつり目を細めて、俺の方にちらりと一瞥をくれた。

 明るくて艶のある長い髪。それをかき上げる仕草が異様なほど似合っている。

 相変わらず、リア充オーラが半端ではない。


「はあ。彼女が会いに来てあげたっていうのに、このアホは」


「じ、冗談だって! なっ、廉?」


「さあな」


「おいぃ‼︎」


 大袈裟なリアクションを取る恭弥に、雛田が呆れたような笑顔を向ける。


 お互いに全然気にしていないのがわかっているような、そんなやりとりに見えた。


「で、どうしたんだ? 冴月」


「あ、そうそう。グアムでやるマリンスポーツ、なにがいいか聞いとこうと思って。一緒に回れそう?」


「あー。それ、俺もまだ決めてないんだよ。そっちに合わせられるぞ?」


 言いながら、恭弥は雛田が持っていたレジュメを覗き込んだ。


 ちなみに、雛田が言っているのは旅行の中盤、自由にマリンスポーツを体験できる時間帯のことだろう。

 ただ、いつなにをやるのかはあらかじめ決めて、申し込みを済ませておく必要がある。


 締め切りはまだ先だが、ややこしいので早めに決めておいた方が無難だ、と、前の集まりで生徒会の隠岐が言っていた。


「そう? じゃあ私が決めたら、またそのとき相談でもいい?」


「オッケー」


「ありがと。理華と千歳と、三人で決めるわ」


 そういえば、その三人は向こうでも一緒に行動するのか。

 それはさぞ目立ちそうだな。


 そんなことを思っていると、雛田がまた俺の方を見た。

 こっちに顔を近づけて、小さな声で言う。


「あんたも理華と相談しなさいよね、ちゃんと」


「え」


「え、じゃないわよ、バカ。一緒に回りたくないの?」


「いや……まあ、それは」


 回りたい、といえば回りたい、けども……。


「……あいつがいいなら」


「いいに決まってるでしょ。理華がどうするかで、私たちの予定も変わるんだから、早く決めなさい」


「お……おう」


「ふんっ」


 鼻を鳴らすようにそう言って、雛田はまた恭弥の方に身体を向ける。

 その恭弥は、なぜか嬉しそうにニヤニヤしていた。

 なんとなく、恥ずかしい気持ちにさせられる。


 しかし……そうか。向こうでは、理華と一緒にいることも、ちょこちょこあるのか……。


 まあ、一応付き合ってるわけだし、当然……なのだろうか。


 俺はなんだか落ち着かなくなり、目の前ではしゃぐバカップルの様子を、昼休みが終わるまで黙って眺めていた。


「あ、そうだ、廉」


 雛田が教室から出ていってすぐ、恭弥がヒソヒソ声で言った。


「ん?」


「買っとけよ、サングラス」


「サングラス?」


 なんでまた。確かに日差しは強いだろうが、わざわざ買うほどか?


「バカ、お前、決まってるだろ」


「……」


「視線がバレないようにするんだよっ」


「……」


 なるほど、つまり、こいつはやっぱりアホなんだろう。

 どうやら全然懲りていないらしい。


「紳士の必需品だからな。予備も買わないと」


「お前は楽しそうでいいな」


「そりゃもう。人生楽しいことばっかりだぜ~」


 ウヘヘと不気味に笑いながら、恭弥は自分の席に戻っていった。


 やれやれ、どうしようもないやつだな、まったく。


「……」


 ……通販でも買えるかな、サングラス。

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