②「最近ちょっと変わった?」


「では、今日はこれで解散。各自、クラスへの伝達をよろしく頼む」


 隠岐おきのそのセリフを最後に、この日の修学旅行会議が終わった。

 委員たちが一斉に立ち上がり、続々と視聴覚室を後にする。


 初回と比べて、委員の出席率は目に見えて下がっていた。

 修学旅行委員は各クラスふたりずつの計十六人だが、今日来ていたのは十人。

 ほとんどのクラスがひとりだけの参加になっている。


 まあ前回の様子を見る限り、今はまだ伝達事項が中心のようなので、どちらか片方が出席すれば充分、と判断したんだろう。


 かくいう俺も同じことを考え、ひとりで参加するつもりだったのだが……。


「終わったー! 帰ろ帰ろー!」


「……」


 委員の片割れである紗矢野さやのは、なぜか今回も部活を休んで出席していた。

 来なくていい、と伝えたのだが、「一緒に行くもーん!」と言って聞かなかったのだ。


 本人の問題だからべつに構わないが、物好きなやつだ。

 もしかすると、単に部活が面倒なだけなのかもしれない。


「じゃあな」


「あ、ちょっと!」


 俺が教室を出ると、紗矢野は駆け足で追いついてきて隣に並んだ。

 なにやら、不服そうな顔をしている。


「……なんだよ」


「一緒に帰ろ」


「……なんで」


「いいじゃーん! 同じ委員なんだし、親睦深めないと!」


「同じ委員でも、べつに親睦深めなくていいだろ」


「よくないの!」


 よくないらしい。


 もちろん、ある程度会話しやすい状態を作っておくべきだとは思う。

 が、紗矢野のコミュ力があれば、現状のままで充分だろうに。


 そのとき、生徒会連中三人が遅れて部屋から出てきた。

 紗矢野が手を振ると、それぞれの反応を返して廊下を歩いていく。


 去り際、一番後ろにいた須佐美だけが、妙な笑顔でこっちを見たような気がした。


「私たちも行こー」


「……はぁ」


 まあ、今日は理華も先に帰ってるし、我慢するか。

 どうせ、すぐに道も分かれるだろう。


「でも、なんか本格的になってきたねー。楽しみだなぁ、グアム」


「そうだな」


「あはは。ホントに思ってる?」


「まあ、それなりに」


 少なくとも、中学の修学旅行よりは楽しめるだろう。

 あの頃に比べれば、俺の状況もずいぶんまともになった。


 それに……まあ、理華もいるし、な。


「楠葉くんさー」


 下駄箱で靴を履き替え、昇降口の前で合流するや否や、紗矢野が言った。


「なんか、最近ちょっと変わった?」


「……え」


 見ると、紗矢野は背中で手を組んで、上半身をこちらに突き出していた。

 俺の返事を促すように、かすかに顔を傾けている。


「……いや、べつに」


「えぇー、嘘だぁ」


 紗矢野は納得いっていなさそうに、ふるふると首を振った。


 嘘……なのかもしれないが、今まで関わりのなかった相手に言われるほどには、大した変化などないはずだ。


「だって楠葉くん、前はもっとこう……ネガティブ? っていうか、暗かったもん」


「今もそうだろ」


「んーん。今はなんか、落ち着いてる、って感じ。明るくはないけど、堂々としてる」


「……気のせいでは」


 俺がそう返しても、紗矢野は「違うよー!」と言って、なぜか楽しそうに、もっと言えば嬉しそうに、クスクスと笑っていた。


 いろいろとおかしなやつだ。

 まあ、リア充ってのは得てしてそういう生き物なのかもしれないが。


「なになに? なんかあったの?」


「なにもないって。そもそも、変わってないからな」


「もうっ。誤魔化しても私にはわかるんだからねー」


「……なんでだよ」


「だって……私――


 そのとき、正門へ向かっていた俺たちの近くに、テニスボールがてんてんと転がってきた。

 それから「すみませーん」という声とともに、テニス部員らしき生徒が駆け寄ってくる。


 紗矢野は軽い身のこなしでボールを拾い、テニス部員に向けてひょいっと投げた。

 それをラケットで器用に受け取ったそいつは、ペコっと礼をして帰っていく。


「……ん」


 テニスコートの方を見ると、ちょうどフェンス越しに恭弥と目が合った。


 なにを隠そう、あいつもテニス部なのだ。

 それから、ついでに雛田も。


「あっ、夏目くんだー」


 言って、紗矢野は恭弥の方にひらひらと手を振った。

 恭弥も愛想よくラケットを振り返す。

 それから今度は俺に向けて、ニヤリと変な笑顔を送ってきた。


 さっきの須佐美といい、なんなんだ、その目は。


「そういえば楠葉くん、夏目くんと仲いいよね」


「え? あ、ああ。まあ」


「なんでなんで? 全然キャラ違うのに」


「付き合いが長いだけだよ。小学校から一緒だからな」


「へぇー! ってことは幼馴染みだ!」


 まあ、つまりはそういうことになるんだろう。

 だが、男同士で幼馴染とは、なんともときめかない響きだな。


「……じゃあ、須佐美さんとは?」


「え……」


 そう言った紗矢野は、こころなしかそれまでよりも、テンションが低いような気がした。


 以前の会議で会ったときもそうだったが、なにかあいつと因縁でもあるのだろうか。

 まあ、俺が気にすることでもないけれど。


 しかし、須佐美か……。


「あいつはまあ……偶然だ」


「えー。なにそれ」


「いろいろくだらないことがあって、多少話すようになっただけだよ。それに、特に仲いいってほどでもない」


「ホントにぃ?」


「ホントだ」


 っていうか、なんでこいつは俺なんかの人間関係を、こんなに暴こうとするんだか。

 よくわからないやつだ。


「んー……まあ、いいでしょう。信じてあげる」


「……そりゃどうも」


「あ、なんか今の、浮気疑う彼女みたいじゃない? あはは、ウケる」


 紗矢野は勝手なことを言って、また愉快そうに笑った。


 なんか、疲れたな……。

 早いとこ帰って、今日は休もう。


「あれ、楠葉くんそっちなの?」


 しばらくふたりで歩き、大きい横断歩道に差し掛かったところで、紗矢野が言った。

 どうやら、ここから別の道らしい。

 方角から察するに、駅へ向かうんだろう。


「ああ。じゃあな」


「……うん。えーっと……」


 紗矢野はどういうわけか、まだ俺に背を向けなかった。

 少しだけ顔を伏せて、自分の靴の先を見ている。


 どことなく、普段のさっぱりした印象とは違った雰囲気だった。


「……ね、連絡先交換しない?」


「……え」


「ほらっ、委員会の仕事とかで、すぐ連絡できたほうがいいでしょ? だから、ね」


「……まあ」


「やった!」


 弾むように言って、紗矢野はカバンからスマホを取り出した。

 画面に映っているコードを読み取ると、メッセージアプリに連絡先が追加される。


 理華のときはあんなに苦労したのに、こうもあっさりいくとは。

 さすが、リア充はすごいな。


 まあ、たしかに連絡を取れるに越したことはないだろう。

 ちょうど、それができずに困った経験もあることだし。


「あはは! なんでアイコン、レモンなの?」


「いや、なんとなく」


 本当は、みかんをアイコンにしている理華に合わせてこれにしたのだ。

 恭弥に「お揃いじゃん!」と茶化されて、自分の思慮の浅さを呪ったのはまた別の話。


「いいね。なんか、可愛い」


「そうか?」


「うん。楠葉くん、いつも酸っぱそうな顔してるし」


「なんだそりゃ」


「えへへ。でも、最近は優しい顔してるよ。ちょっとね」


 よくわからないことを言ってから、紗矢野はぴょんと跳ねるように、俺から一歩離れた。


「じゃあ、またね。連絡したら、ちゃんと反応してよね」


「あ、ああ……たぶん」


「絶対!」


 紗矢野はまたケラケラ笑いながら、軽い足取りで去っていった。

 一呼吸置いて、俺も再び歩き出す。


 どこまでも賑やかなやつだ。


“ブブッ”


「ん?」


 かすかな振動と音。スマホの通知だった。

 画面には、今別れたばかりの紗矢野からのメッセージが表示されている。


『また一緒に帰ろうね!』


 そんな文言と、ももの絵のスタンプ。

 それ以降は、もうメッセージは来なかった。


 やっぱり、リア充は謎の多い生き物だな。

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