⑥ 「一度変わった人の気持ちは」


「隣のマンション!?」


 銭湯へ行った次の日の昼休み。

 教室で昨日の出来事を話すと、恭弥はマヌケな声で無遠慮に叫んだ。


「馬鹿! 声がデカいんだよ!」


「あ、あぁ、ごめん……」


「ったく……」


 幸い今の言葉だけでは、周りの連中に内容までは伝わっていないらしい。

 チラッとこっちを見たやつこそいれど、興味を持った様子はなかった。


 恭弥に話したのが間違いだったか……。

 とは言え、こんなことを一人で抱えているのも、今の俺には正直できそうにない。


「隣じゃない、裏だ。うちのマンションは裏に、もう一つ棟があるんだよ。塀で区切られてはいるが、裏口を通れば簡単に行き来できる」


「それってつまり、同じマンションってことか? なんで今まで気づかなかったんだよ?」


「入り口が違うんだよ。俺のA棟は南側、橘のB棟は北側に出入り口がある。そして、学校までは前の道をまっすぐ行くだけでいい」


「ずっと違う通りを使って登下校してたのか。なるほど」


「たぶん、そういうことだ。ただ、昨日の銭湯は南側の通りにある。だから帰り道が被ったんだ」


「はえ~~~」


 恭弥はひどく感心した声を上げた。

 そして、すぐに品の悪いニヤけ顔になる。


「つまり、だ。橘さんと仲良くなるチャンスは、まだまだあるってことだよな?」


 ガバッと無理やりに肩を組んで、ひそひそ声で恭弥は言った。

 相変わらず距離が近い。


 それにこいつ、まだ諦めてなかったのか……。


「ないよ、チャンスなんて。それに、そんなチャンスはいらん」


「嘘つくなよ。なら、なんでその話を俺にしたんだ?」


「うっ……」


 答えに窮する俺に、恭弥は全てを見透かしたような嫌らしい視線を向けた。


「それになぁ、廉。『性格悪いとは思わない』なんて、ある程度好意を持ってないと言わないんだよ。橘さんはお前に恩を感じてるわけだから、悪しからず思っててもおかしくない」


「その貸し借りはもう解消した。終わった話を持ち出すなよ」


「無くなったのは貸し借りだけだろ? 一度変わった人の気持ちは、そう簡単には消えないよ」


 そう言った恭弥は、腹が立つくらいに満面の笑みだった。


 わかったような口を……。

 俺に無用な期待をさせて、こいつはいったい何がしたいんだ……。


「俺はな、廉。お前とダブルデートをするのが夢なんだよ」


「……本気で言ってるなら相当気持ち悪いぞ、恭弥」


「キモくねぇよ! それに、本気だぞ俺は!」


「ならその一生叶わない夢、ずっと見てろ」


「ああ、見てろよ! 絶対に実現してみせる!」


 屈託のない笑顔で恭弥は笑った。

 こいつはやっぱりアホなんだろう。

 何を言っても無駄らしい。


「でもさ、廉だって橘さんと仲良くなれたら嬉しいだろ?」


 恭弥の言葉に、俺は自然と橘の顔を思い浮かべてしまった。


 恐ろしく整った無表情な顔。

 幸せそうに寿司を食べる顔。

 首を傾げながら眉を寄せる、困ったような顔。


 どの橘も、底無しに綺麗だった。

 橘と仲良くなりたくないなんて、そんなことが言える男がこの世に存在するのだろうか。


「……」


「ほら、否定できない」


「ちっ……違うって。ちょっとぼーっとして……」


「どうだか」


 恭弥の人を食ったような口調が、どうにも気にいらない。


 違うんだよ、俺は。

 お前みたいに、ちゃんと他人と向き合えるような、そんなできた人間じゃないんだ。


 期待して近づいて、失敗して嫌われる。

 それが俺の、いつものパターンなんだよ。


 それでも相手に無理に合わせるストレスに耐えられないから、こうして割り切って諦めてるんだ。


「まあ、べつに俺だって、無理にとは言わないよ。廉が嫌なら、潔く諦める」


「……ホントかよ」


「もちろん。でも、もしも橘さんと仲良くなりたくなったら、その時は俺を頼れよな! 全力でサポートするぜ!」


 恭弥はそう言って、右手の親指をグッと立てた。

 それと同時に、昼休み終了を告げるチャイムが鳴る。


 恭弥は立ち上がると、さっさと自分の席に戻っていった。


「勝手なやつ……」


 けれど、そうでなければ、俺と友達なんてやってられないのかもしれなかった。


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