⑤ 「途中まで、一緒に帰りましょう」


 夜の道で俺と向かい合いながら、橘は自虐的な苦笑いを浮かべていた。

 おそらく、俺も似たような顔をしていることだろう。


「……いや、まあよく考えれば、行きつけの銭湯が同じって時点で、その可能性もあったな……」


「……たしかに、そうですね。つけ麺屋さんも、近所でなければ歩いて来たりしませんし」


 少しの沈黙。

 それから、俺たちはなぜか、一緒になって吹き出してしまった。

 あの大人しそうな橘が、腹を押さえて笑っていた。


 どうやら俺たちは、かなり近くに住居を構えているらしい。

 今までの出来事を踏まえればまあ、当然と言えば当然なんだけれど。


「わかりました。途中まで、一緒に帰りましょう。なんだかもう、馬鹿らしくなってきました」


「だな。わざわざ片方が遠回りするのもおかしな話だし」


 呆れたように頷き合って、俺と橘はまた歩き出した。

 横に並んで、ペースを合わせて、のんびりと歩く。

 この先どうなるとしても、今日くらいは橘と関わってしまっていいような気がしていた。


 ふと、緩やかな夜風が吹いた。

 隣にいる橘の髪がなびく。

 その様子は、まるで映画やドラマの中の光景のように、とんでもなく綺麗だった。


「楠葉さんは」


「えっ?」


 突然の橘からの呼びかけで、俺はハッと我に帰った。

 俺の妙な反応に、橘は少しだけ首を傾げる。


「楠葉さんは、どうして友達がいないんですか?」


「なっ……なんでそれを」


 オーラか?

 ぼっちのオーラが出てるのか?


「一緒にご飯を食べる相手がいないと、言っていたでしょう?」


「あ、ああ、そういえば言ったか、そんなこと」


 よかった、オーラじゃなくて……。


 橘にバレないように、俺はホッと胸を撫で下ろした。


「俺は友達を作ってないだけだ。できないわけじゃないんだぞ」


「はい。だから、なぜいないんですか、と聞いているじゃないですか」


「あ、はい」


 なんだかそう返されると、逆に情けない気がする。

 先に予防線を張ろうとした俺、ダサすぎるだろ……。


「一人が好きなんだよ、俺は」


「それは、なぜですか」


「一人の方が、気楽だからな。人付き合いは疲れる。一人なら、誰かと仲がこじれたり、喧嘩したりしなくて済むだろ」


「楠葉さんは、よく喧嘩するんですか?」


「しないよ。友達いないからな」


「なら、本当にそうなるか、わからないのではないですか?」


「わかるよ。昔からそうだから」


 中学までは、俺にだって友達と呼べなくもない連中はいた。

 けれど、一緒に遊んだり、話したりしているうちに、みんな俺から離れていった。


「何が原因なんでしょう」


「俺の性格が、人付き合いに向いてないんだろうさ。性格が悪い、と言ってもいい」


「性格が悪い、ですか」


「端的に言えば、な」


「……私は、そうは思いませんが」


「え?」


「……」


 そこまで言って、橘は黙ってしまった。

 綺麗な形の顎にピトッと指先を当てて、難しい顔をしている。


 俺も、それ以上は何も言わなかった。


「じゃあ、俺ここだから」


 言って、自分のマンションの前で立ち止まる。

 これでまた、お別れだ。


 が、なぜか橘は、気まずそうな顔でジッと俺を見つめていた。


「な、なんだよ……?」


「……このマンション、裏にもう一つ棟があるでしょう」


「あぁ、あったな、そう言えば。B棟だろ。それが?」


 まあ、ほとんど存在を意識したことはないけどな。

 向こうの住民と交流があるわけでもないし。


 しかしなぜ、橘がそんなことを知っているのだろうか。


「……そこが、私の家です」


 橘はそう言って、渇いた声で少しだけ笑った。


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