⑥ 「この話はもうやめろ」


『橘理華が、楠葉廉につきまとわれている。』


 そんな噂は、おおよそ一週間で鎮静化した。


 人の噂も七十五日。

 それどころか十日ももたないあたりは、さすがモブぼっちの俺のなせるわざ、と言えるだろう。


 連中がこの話題に飽きたのには、おそらく理由がある。

 それは、続報が皆無だったことだ。


 俺と橘理華は、二人で踊り場で弁当を食ったあの日以降、一度も接触していなかった。

 会話もしていないし、目も合っていない。

 下手をすれば、半径3メートル以内に近づいたことすらないかもしれない。


 まあさすがに、遠くからチラッと姿が見えたことは何度かあったけれど。

 なにせ、美少女は目立つからな、俺と違って。


 だがむしろ、それが俺と橘の正常な関係だ。

 あの時は、お互いの人生のレールが少しだけブレて、たまたま重なっただけ。

 それが終われば、すぐにすっかり元通りだ。


「と、いうわけだ。いい加減、この話はもうやめろ」


 放課後の教室の中、俺はいら立ちを隠さず、向かいの席に座る相手にそう言い放つ。

 が、そいつはニカッと無駄に眩しい笑顔を作って、あっさりと答えた。



「やだね!」


 予想通りのその言葉に、思わずため息が出る。


「あの橘さんとお近づきになれるチャンスなんだぞ? こんな機会滅多に、いや、もう二度とないかも知れないじゃん!」


「二度となくていいんだよ。お近づきになりたいなんて、思ってないんだから」


「またまたぁ」


 俺の唯一の友人、夏目なつめ恭弥きょうやは無理やり肩を組むようにして顔を近づけてきた。


 このスキンシップ、距離感、エネルギー。

 そのどれもが、俺とは真逆のものだ。


「……ところで、『あの橘さん』ってなんだよ」


「あぁ、そりゃ廉は知らないか」


 恭弥は納得したようにぽんっと手を叩く。

 さすが、良くも悪くも俺のことをよく理解しているらしい。


「橘理華。とにかく可愛くて、しかも勉強もできる、学年でも有名な女の子だよ。華奢なのに凛としたクールな雰囲気が、その手の趣味の男子に超人気。でもその性格からか、男友達は一人もいない。いわゆる、高嶺の花ってやつだな」


「……ふぅん」


「興味無しか!」


 無いな。

 俺はそれよりも、こんな説明文句がスラスラ出てくる恭弥の方に感心したくらいだ。

 他人への興味が、相変わらず強い。


「絶対もったいないって! ちょっと頑張ってみて、それでダメでも、べつにどうってことないだろ?」


「だから、頑張る理由が無いんだよ俺には」


 俺の言葉にも、恭弥は嬉しそうなニヤニヤ顔をやめなかった。

 相変わらず、食えないやつ。


 恭弥は世に言うリア充だ。

 それも、筋金入りの。


 爽やかイケメン、スポーツ万能、コミュ力高し、彼女あり。

 当然友達も多く、クラスでも常に中心にいる。

 俺とは似ても似つかない人種。対称的な人間だ。


 ではなぜ、そんなリア充と俺が友人なのかと言えば。


「誤魔化すなって。10年以上の付き合いなんだ。廉の考えてることなんてお見通しなんだよ」


「うるせえ。お見通しならなおさら察しろ」


 つまり、そういうことだ。

 単純に、付き合いが長い。


 小学生なんて、家が近いだとか、親の仲が良いとか、そんな理由で友達になれる。

 当人同士の性質なんて、あまり関係がない。


 だが、恭弥は持ち前の人懐っこさで、俺との関係を今までずっと維持し続けていた。


 大したやつだと思う。ありがたいことだとも思う。

 それでも、たまにこうして無理やりリア充思考回路を押し付けてくるところはいただけない。


「どうせ、期待して凹むのが嫌だ、とか言うんだろ」


「そうだよ。落胆と挫折は、期待から生まれる。最初から諦めて、挑戦もしなければ、穏やかに生きていけるんだ」


「でも、どんなボールも振らなきゃ打てないじゃんか」


「それは打席に立ってるやつの理屈だろ。俺はベンチどころか、球場にすらいないんだよ」


 やれやれ、というように、恭弥が両手を広げて首を振った。

 それこそ長い付き合いなんだから、いい加減わかってるだろうに。


「でも俺は、廉のおかげでこの学校に受かったし、彼女も出来たんだ。なにか恩返ししたくなるのだって当然だろ?」


「そう思ってるなら、大人しく放っておいてくれ。それが最高の恩返しだから」


 彼女はともかく、受験とは。

 また古い話を持ち出してきたもんだ。


 恭弥は、勉強だけはあまり得意ではなかった。

 逆に俺は、勉強だけが唯一の取り柄だと言ってもいい。


 勉強を教わりにわざわざ俺の家に訪ねてくる恭弥を追い返すほど、当時の俺には気力が無かった。

 ただ、それだけのことだ。

 なにも恩を感じられる筋合いなんてない。


「後悔すると思うけどなぁ。橘さん、可愛いのに」


「可愛いから余計、ダメなんだよ」


 俺だって、恭弥くらいのスペックがあれば、きっと何事にも積極的になれるんだろう。

 だが、俺は身の丈に合った人生というものをわきまえている。


 高望みはしない。

 それが、俺が16年の人生で導き出した結論だ。


「恭弥、いる?」


 突然、教室のドアが勢いよく開け放たれ、一人の女子が顔を出した。


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