③ 「また明日、です」



 そうして、長い長い一日が終わった。


 号令に合わせて最後の礼をして、放課後になる。

 クラスメイトたちがぞろぞろと教室を出て、部活や自宅へ向かっていった。


 中にはちらちら俺の方を振り返っているやつもいるが、当然ながら、俺を部活に誘ったり、一緒に下校しようとしているわけではない。

 なぜなら俺は帰宅部だし、ぼっちだからだ。非常にわかりやすい。


 連中の興味の対象は、俺と橘理華の関係の真相だ。


 あの後、俺と橘は移動教室の際に廊下ですれ違った。

 橘は俺に小さな声で「放課後にそちらの教室で」とだけ言った。

 どうやら、俺の意図は理解してくれているらしい。

 朝のあれも、悪気があったわけでなさそうだ。

 まあ、今さらだけれども。


 考え事をするフリをして、人がいなくなるのを待つ。

 最後の一人が教室を出てから数秒後、案の定、見計らったかのように橘理華が現れた。


 相変わらず、冗談みたいに可愛い。

 が、今はそんなことは関係ない。

 俺の目的は、彼女との関係を断ち切ること、それだけだ。


 だから断じて、見とれてなどいない。

 ちょっとしか見とれてない。


「先ほどはすみませんでした。たしかに、あなたの都合を考えられていませんでした」


 第一声が謝罪とは。

 やっぱり、悪いやつではないのだろう。


「いや、わかってくれたらそれでいい。で、例の見返りのことだけど」


 一気に本題へ。

 こんな話はすぐに終わらせてしまって、また平和な生活を取り戻すのだ。


 橘は無表情のまま、まっすぐ俺を見ていた。

 あまり愛想が良いとは言えないが、それでも充分すぎるほどに可憐だ。


「明日の昼飯、奢ってくれ」


「……昼食を?」


「ああ、パンと飲み物だけで良い。昨日の貸しなんて、それくらいのもんだろ」


「……いえ、それでは足りません。せめて、もう少し」


「だめだ。これ以上増やしたら、 貸しと借りのバランスが崩れる。お互い、この件は早く帳消しにしたいだろ」


 俺が言うと、橘はわずかに頬を膨らませたように見えた。


 どう見ても可愛すぎる。

 冷たい印象から一転して、この子供っぽさ。

 ギャップ要素まであるなんて、完璧かよ、この女子。


「……ならせめて、ご馳走するものは私に決めさせてください。もちろん、常識の範囲に留めます。パンと飲み物だけでは、私だって納得できません」


「えぇ……いや、でもなぁ……」


「早く帳消しにしたいなら、多少対価が大きくてもあなたが折れるべきです。私は別に、そんな風には思っていませんので」


 ……ん?


 なんだか、意外な発言だな。

 俺はてっきり、向こうもこんなモブぼっちとの貸し借りは、早々に解消したいだろうと踏んでたのに。

 やっぱり、思ってたより義理堅いやつなんだろうか。


「……まあ、たしかに橘さんの言うことは正しい。わかったよ。じゃあ、さっさと決めてくれ」


 言いながら、俺は橘に向けて右手を差し出した。

 だがそれを見て、橘は不思議そうにコクリと首を傾げるだけ。


 いちいち可愛すぎるだろ……。

 調子狂うからやめてくれよ、ホント。


「……なんですか、その手は」


「いや、だから、橘さんが納得できるものを決めて、その金額を渡してくれってことだよ。そういう流れだったろ?」


「……なぜそうなるのですか。金銭でやりとりなんて味気ない。無粋です」


「なんでだよ! 買ったものを渡されたって、手順が違うだけだろ!」


「そんなことはありません。私はご馳走をしたいのであって、お金を渡したいわけじゃない」


 くそっ……。細かいことを気にする美少女だこって。


「それに、そのお金が本当に私が決めたものに使われるのか、わからないじゃないですか」


「絶対に、橘さんが決めたものを買う。そのまま懐に入れたりなんてしないって」


「信用できません」


 ……だめだ。

 やっぱりこの美少女、かなりの強情だ。


 このまま言い争っても、無駄に体力と時間を浪費するだけだろう。

 事実、一歩も引かないという意思が目に表れている。


「……わかったよ。じゃあ明日の昼、橘さんから直接、それを受け取る。これでいいか?」


「……はいっ」


 そう言った橘は、意外にも満足そうな顔で薄っすらと笑った。

 初めて見る、超絶美少女の笑顔。


 ああ、これは、目に毒だ。


 昨日のあの男子の気持ちが、今分かった気がする。

 こんな顔見せられたら、男なら誰だって……。


「それでは楠葉くすばさん、さようなら。また明日、です」


「あ、あぁ。……また、明日」


 今朝と同じように、橘はスタスタと教室を出て行った。


 また、明日。


 口の中で繰り返すその言葉に、胸がときめきそうになる。

 が、選択的ぼっちである俺は、その感情を冷静に打ち消した。


 ただ、明日また会うことが決まったから、そう言っただけ。

 それ以上でも以下でもない、言葉通りの挨拶だ。


 そういう期待はしない。

 その期待が、落胆と挫折を生むんだ。

 俺は、自分の身の程を知っている。


 明日の昼、橘から食い物を受け取って、それで終わり。

 それが現実であり、俺の望みでもある。


 まあ、一つだけ言うなら。


 橘の笑顔を見れたのは、ラッキーだったかもしれないなぁ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る