② 「お返しをさせて欲しいのですが」


 妙な人助けをした翌日。


 俺は二限の日本史を、優雅に居眠りして過ごした。

 授業終了のチャイムで目を覚まし、身体をほぐしながら無気力な礼をする。


 業間の10分休憩は、クラス中が喧騒に包まれる。

 仲のいい友達と雑談に花を咲かせるやつ。

 恋人と嬉し恥ずかしの会話を楽しむやつ。


 俺のところにも、「お前、さっき寝てただろー」と茶化しにくる友人が……。


「……ふぅ」


 もちろん、そんなやつはいない。

 俺の唯一の友人は今、俺の方には目もくれず、部活仲間たちに囲まれて楽しそうにしている。

 そうなると、当然俺は完全に孤立する。


 だが、それでいい。

 これは俺が選んだ道。

 気楽で平穏なぼっちライフだ。


 友達ができないんじゃなくて作らないんですぅ。


 と、わざと僻みっぽく言ってみたが、本当にそうなのだから仕方がない。


 「高二の夏ともなれば、作ろうと思わなくても友達くらいできるだろ」。


 そんな心ないことを言われたこともあるが、その時は「うるせぇ、黙れ」と返してやった。心の中で。


 眠気で細まった目を、ぼんやりと教室中に巡らせる。


 もう一眠りするかな。


 そう思って目を閉じた時、突然俺の耳に、眠気を吹き飛ばすような鋭い声が聞こえてきた。


楠葉くすばれんさんはいらっしゃいますか」


 ……楠葉廉さんは今、口を開けて目を見開いていた。

 誰とも話さず、一人で自分の席に座って、頬杖を突いたまま呆気に取られていた。

 すなわち、俺だ。


 声の主は俺と目が合うと、スタスタとこちらへやってきて、俺の目の前で立ち止まった。

 その間、俺は一歩も動けずに、その場に固まっていることしかできない。


 そいつはどこからどう見ても、昨日のあの美少女だった。

 不安そうだったあの時とは違い、凛々しく、芯の通った佇まいで俺を見下ろしている。


 相変わらず、抜群に整った顔立ちだ。

 超のつく美人。そう言って差し支えないだろう。


 俺だけでなく、クラス中がこの美少女に目を奪われ、教室は静まり返っていた。


「2年5組のたちばな理華りかです。昨日は助けていただき、ありがとうございました」


 美少女改め橘理華は、淀みなくそう言ってぺこりと頭を下げた。


 ありがとう……?


 まさか、昨日の礼を、わざわざ言いにきたのか?

 名乗ってもいない、面識もなかった俺の名前とクラスを調べて?

 しかも、こんな目立つ方法で……?


「つきましては、何か形のあるお返しをさせて欲しいのですが」


「い、いや待て! お礼もお返しもいらない! だから、帰ってくれ!」


「そういうわけにはいきません。受けた恩をそのままにしておくなんて、気持ちが悪いです」


 明らかに、この会話はクラス全体に聞かれていた。


 こんな美少女とこんなぼっちが、いつのまにか貸し借りの関係になっている。

 そんなことが知れたら、確実に俺の平穏ぼっちライフはこなごなに砕け散ってしまう!


 恩を返すなんて言いながら、とんでもないことをしでかしてくれたもんだ。

 こうなったら話がややこしくなる前に、帰らせるしかない……!


 できるだけ周りに聞こえないように、俺は橘にだけ届くくらいの声で言った。


「それはそっちの都合だろ。俺はもう関わりたくないんだよ……。いいから帰ってくれ」


「元はと言えば、あなたが自発的に売った恩です。なら、あなたにはその対価を受け取る責任があるはずです」


「そんな責任はない!」


「あります」


 だめだ……全然引き下がろうとしない。

 なんて義理堅い……というか、強情なやつなんだ。


 だがこのまま口論を続けていたら、ますます周りの興味を集めてしまう。

 ここは、とにかく橘を帰らせることが先決だ。


「……わかった。なら後で、こっちからその対価とやらを指定する。頼むから、今は帰ってくれ。目立ちたくないんだよ、俺は」


「……信用できません」


「信用しろ! それにあんたのやってることだって、昨日のあいつと同じ、俺にとっては迷惑なんだ……。わかったら、頼むよ」


「……」


 迷惑、という言葉が効いたのか、橘理華はそれ以上何も言わなかった。

 クルッと向きを変え、スタスタと歩いて教室を出ていく。


 彼女の姿を追っていたクラスメイトたちの目が、いっせいにこちらを向いた。

 思わず、俺はガバッと机に顔を伏せてその視線を切った。


 くそっ、完全に悪目立ちだ……。


 伏せていてもわかる、自分に向けられる好奇と嫉妬の目。

 言い訳や弁解をしたところで、かえって興味を煽るだけだろう。


 高校生というのは、得てしておもしろいことが好きだ。

 そしてひどい時になると、実際にはおもしろくもなんともないことでも、都合のいい憶測や決めつけでおもしろくしようとする。

 俺にだって、そういう部分が無いとは言えない。


 だが、自分がその対象になるのは絶対に嫌だ!


 完全に、あの美少女に対する認識を間違えた。

 というより、あの美少女は普通じゃない。昨日の告白の断り方からして、予測しておくべきだったか……。


 こんなことなら、やっぱり人助けなんかするんじゃなかった……。


 俺はクラスメイトたちのひそひそ話を聴きながら、三限開始のチャイムが鳴るまで必死に寝たふりを続けた。


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