②「おかげで、友達になれたでしょう?」


 最初は理華と私、それから千歳も、べつに友達じゃなかったわ。

 険悪だったわけでもないけど、まともに話したこともなかったと思う。


 ほら、そもそも私たちって、みんなどう見ても違うタイプでしょ?

 まあ、あんたにはそういうの、ピンとこないかもしれないけど。


 とにかく、それぞれ普通に、自分とペースが近そうな子とグループになって、しばらくは過ごしてた。

 少なくとも、私と千歳はね。


 理華は、たぶんひとりだったと思う。

 でも、あの子は気にしてなさそうだった。

 慣れてたのかもね。

 敵を作ってたわけじゃないから、平和だったわよ、クラス自体は。


 化学の実験、あるでしょ。

 それで、一緒のグループになったのよ、私たち。七人一組かな。

 他はうるさい男子三人と、やんちゃな女の子がひとり。


 ……いや、私じゃないわよ。失礼ね。


 化学って、うちのクラスはあの、怖いおじいちゃん先生が担当だったのよ。

 だからいつもはみんな静かにしてたんだけど、いるでしょ、実験とかのときに騒ぐやつ。


 その四バカ……え? だから、男子三人とやんちゃな女の子よ。

 もともと仲よかったみたいで、クラスでも目立ってたんだけど、ホント騒がしくて。

 しかも物の扱いも雑だから、けっこうイラついてたのよね、私。


 千歳はどうかしらね。

 今なら顔見ればわかりそうだけど、あのときはまだよく知らなかったから。


 で、その日は顕微鏡使ってたのよ。

 ただ七人もいたから、自然にグループの中でもふたつに分かれたの。

 四バカが遊んでる間に、こっちの三美女でさっさと自分たちのスケッチ終わらせて、あとは勝手にどうぞって感じで。


 でも、そしたら急に『パリッ』て音がして。

 見たら、あのやんちゃな女の子が割ってたのよ、顕微鏡で見るあのガラス。


 ぷれぱらーとだっけ? カバーガラス?

 まあなんでもいいわ。


 顕微鏡のレンズが、そのガラスにぶつかったせいみたいね。

 先生が口すっぱく「離しながらピント合わせろ」って言ってたから、ほかにそんな失敗してるところはなかったけどね。

 たぶん、聞いてなかったんじゃない? 四バカは。


「なにやってんだ‼︎」


 もう、超怒ってたわ、先生。

 今思い出しても最悪な空気だった。


 でも男子三人は全員、その女の子だけが悪いってことにしようとしてた。

 まあ、たしかに実際にやったのはその子だから、自分たちは関係ないって言いたかったんでしょうね。

 薄情なやつらだわ。


「バツとして、一週間放課後に実験室掃除だ! このことは通知表にも書くからな!」


 うわぁ、って思ったわね。

 その子も泣きそうになってた。

 まあ、通知表は本気だったのかどうかわからないけど。


 それで、ますますその子だけのせいにする空気になった。

 でも、急に隣にいた理華が言ったのよ。


「グループ全員、責任があると思います」


 四バカも、それから先生も、驚いてたわ。

 もちろん、私もね。

 千歳は……わからないわ。


「協力するべきなのに、みんな注意できませんでした。私も含め、全員が悪いです。すみませんでした」


 そこまで言って、理華はまっすぐ先生の目を見てた。


 私はなにも言えなかった。

 男子三人は、理華のことをすごく睨んでた。


 先生も、そう言われたら納得するしかないわよね。

 「なら全員で掃除しろ‼︎」って怒鳴って、その場はそれで収まったわ。


 千歳が割れたガラスを片付けてくれて、「怪我がなくてよかったわね」って言ったのを、よく覚えてる。


「意味わかんねーよ」


 授業が終わってすぐ、男子のひとりが言ったわ。


「俺らなんもしてねーじゃん。なんで巻き込まれなきゃいけねーんだよ」


「だよな。わざわざ連帯責任にする意味なくね? 成績下がったらどうすんだよ」


「俺ら、掃除なんかしねーから」


 理華はなにも言い返さなかった。

 割っちゃった女の子も、謝ったりもせず黙って帰っていった。


 それで放課後、掃除するために、私は実験室に行ったわ。

 理華と千歳もいた。

 でも、四バカは来なかった。


 そう、その女の子もよ。

 まあ、気まずかったんでしょうね。

 気持ちはわかるわ。

 だからって、来なくていいとは思わなかったけど。


「橘さん、だっけ?」


 掃除が終わってから、私は理華に声をかけた。

 聞かなくちゃいけないことがあったからよ。


「はい」


「……あんた、なんであんなこと言ったの?」


「あんなこと、というと」


「全員が悪い、って」


 理華はちょっと迷ってるみたいだったけど、すぐに答えた。


「本来なら、実験はグループでやるものです。私たちが三人と四人に分かれたのは、コミュニケーションを怠って、勝手に楽な道を選んだだけ。なにも、それで責任が分断されたわけではありません。ちゃんと助け合っていれば、ガラスが割れることもありませんでした。全員に非がある。違いますか?」


「違わない。そんなのわかってるわよ。でも……」


「……」


「……でも、根本的にはあの子の自己責任でしょ。先生だって、そう思ってたかもしれない。なのに、なにも自分から言わなくてもよかったんじゃないの」


 私だって、自分も悪いと思ってたわ。

 だからまとめて怒られたって、文句は言わない。

 でも怒られなかったんなら、自分で反省するだけでも充分だと思った。


 それに反省してるぶん、もっと悪かったくせに反省もしないで、バツの掃除も人任せにする四バカより、ずっとましだとも思ってた。


 普通こんなもんじゃない? って。

 これくらいなら、充分まともなモラルなんじゃない? って。


 私のこと、情けないと思う?

 ……ふぅん。ま、楠葉はそうよね。……ありがと。


「べつに、文句言ってるわけじゃないわ。恨んでもない。あいつらには、ちょっとムカついてるけど」


「……そうですか」


「ただ、なんでそこまでするの? それで、なにか得する? これは単なる質問。それから、もっとうまくやれば? っていう、アドバイス」


 私が言ったら、理華はまた迷ってるように見えた。

 でも、やっぱりすぐにいつものまっすぐな目に戻った。


 そのときね。初めて理華を、カッコいいって思ったのは。


「もしあの場で怒られず、うまくやり過ごしたとして」


「……」


「その後、やり過ごしてしまったことを、ずっと心の端で後悔しながら生きていくんですか」


「……えっ?」


「それとも、そんなことをしたのに、ずっと後悔せずにいられる自分として生きていくんですか」


「……」


「私は、どちらも嫌でした。いえ、そうなってしまうのが怖かったんです。あの場でちゃんと叱られて、謝って、前向きに消化して生きていく方が、ずっとよかったんです」


 すっごくびっくりした。

 理華らしいって?

 そうだけど、あの時はまだあの子のこと、知らなかったもん。


「でも……そんなの」


 うまく言い返せなかった。

 私が黙ってたら、それまで静かだった千歳が、いつのまにか私たちのすぐそばに来て、言ったの。


「あなたの言ってることはわかるわ。素敵な考え方だと思う」


「……」


「でも敵を作っちゃったら、それはそれでしんどいんじゃない? 実際ほら、グループの子たちはあなたのこと、たぶんよく思ってないでしょうし」


「……それは」


「少なくとも、これからグループが変わるまでは、居心地が悪くなるかもしれないわ。それだって、同じくらいつらいと思うけど」


 千歳がそんなふうに話すのを聞いたのも、このときが初めてだった。


 もっと、穏やかな子だと思ってた。

 ううん、穏やかなんだけど、でも……。


 まあいいわ。

 うん、今は理華の話よ。


「……そうかもしれません。ですが、他人にどう思われようと、たとえそれでつらくても、いつかはどうにかなるものです。今は近くにいても、いずれは離れる関係でしょうし」


「……ふぅん」


「でも、自分で自分を嫌いになってしまったら……それは、本当に悲しいと思います。自分とは、一生付き合っていくんですから」


 理華の言ってること、私だってちゃんとわかった。

 共感もした。

 だけど、賛同はできなかった。


 綺麗事だって思ったし、人生そんな甘くないでしょ、とも思った。


 ホントにヤバい敵を作った経験も、これからそういうのができるかもしれないっていう実感もないんだろうなって。

 今にしてみれば、私何様なの? って感じだけどね。


 で、正直呆れてたわ。

 あのときは、さすがの千歳もそうだったと思う。


 でも、理華はまだ喋るのをやめなかった。


「……それに私は、ただでさえこんな性格ですから」


「えっ……」


「……きっとこれからも、たくさん人に嫌われます。だけど、好かれるために自分を変えようとは思えない。だからせめて、私くらいは、私のことを嫌いになりたくないんです」


 泣きそうになってたわ。

 でも、泣かなかった。


 え? いや、私じゃないわよ。理華がね。

 私は……まあ、私もそうだったのかもしれないわね。


 それで、私、思っちゃったのよね。


 ああ、私が想像してたより、この子はずっと自分のことをよくわかってるんだなって。


 それから、じゃあ、私がこの子を、好きになってあげればいいんじゃない? って。


「理華って呼ぶわ」


「えっ」


「ふふっ。それじゃあ、私も」


 だって、可愛かったんだもん、理華。

 それに、やっぱりカッコよかったから。


 こんな子がちゃんと好かれないなんて、愛されないなんてダメでしょ。

 だったら、私が守ればいいのよ。


「今日から友達ね、私たち。文句ある?」


「で、ですが……」


「いいじゃない。どうせしばらく、ここの掃除で毎日会うんだし、ね」


「そうそう。一緒にいて、気に入らなかったら、そのときやめればいいわ」


「……は、はい」


「じゃあ決まりね。まっ、そんなことにはならないと思うけど」


 それから? べつに、普通に毎日掃除して、終わりよ。

 そして今に至る、ってやつね。


 四バカ? ああ。私と千歳がついてるのに、理華に手を出せるわけないでしょ。

 出してきたら、思い知らせるだけだしね。


 そういえばあとで、理華はこんなこと言ってたわ。


「あのときは、すみませんでした。ふたりをバツに巻き込んでしまって……」


「え、あんたそんなの気にしてたの?」


「だ、だって……冴月は部活もありましたし。私ひとりのこだわりのために……やっぱり、勝手だったんじゃないかと……」


「はあ。今さらなに言ってるんだか」


「そうよ理華。私たちは、そういうあなたが好きなんだから。それに」


 千歳ってずるいわよね。

 こういうとき、いっつも綺麗にまとめちゃうんだもん。


「おかげで、友達になれたでしょう?」

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