③ 「言いたいことはそれだけですか?」


 翌日になっても、頭の中にある正体不明のモヤモヤは晴れなかった。

 とはいっても、べつになにか生活に支障をきたしているわけでもない。

 俺は特に気にすることもなく、この日も適当に授業をこなした。


 放課後、担任教師にドヤされた俺は、校外学習のレポートをだらだらと書き終えて、職員室へ提出した。


 水族館の水槽しか見ていないうえに、あの日はあんなことがあった。

 とてもじゃないがまともなレポートは書けない。


 だが、口から出まかせを書くのは俺の得意とするところだ。

 たぶん、怒られない程度の内容にはなっただろう。


 普段あまり通ることのない廊下を通って、昇降口を目指す。

 部活時間中ということもあってか人気ひとけはなく、静かだった。


「ホント、調子に乗らないでくんない?」


 だから、その声は俺の耳にもよく聞こえてきた。


「一ノ瀬くんに告られたからって、良い気になってんじゃないわよ!」


「そうよ! 一ノ瀬くんのこと好きだった由美ゆみに謝りなさいよ!」


 耳障りな声だった。

 相手を傷つけることを第一に考えたような、幼稚で悪意に満ちた声。


 それらの声にも、一ノ瀬くん、とやらの名前にも聞き覚えがない俺は、なるべく関わり合いにならないように足を早めた。

 ここからでは姿は見えないが、おそらくすぐそこの階段の、下の踊り場からだろう。


 通り道だったのに……。

 しょうがない、多少遠回りだが、違う階段から降りよう。


 それにしても、どいつもこいつも色恋沙汰に夢中らしい。

 つい最近まともに友達が増えてきた俺には、恋愛なんて全く関係ないけどな。


 さっさと通り過ぎよう。そう思ったとき。


「言いたいことはそれだけですか?」


 今、一番聞こえてきて欲しくなかった声がした。


「私はあなたたちが、用がある、と言うから来たんです。なら、早くその用を言ってはどうですか。自分の気持ちと私への恨みを、叫ぶばかりではなくて」


「なっ!! なによあんた!!」


「ひどっ!! 由美はこんなに傷ついてるのに!!」


 いや、声だけじゃない。

 この口調、台詞……間違いない、橘だ。


 状況から察するに、昨日のリア充イケメンが一ノ瀬で、その取り巻きの逆恨みで呼び出された、ってとこだろう。

 イケメン本人はまともそうなやつだったけれど、周りが厄介だったか……。


 状況は決して良くはない。

 というか、かなりマズい。


 声を聞く限り、相手は少なくとも二人以上。

 だが当然、橘は一人だろう。

 だからといって、橘はこういう理不尽を押し付けられて大人しくしているやつじゃない。


 これは……キレるな、相手が。


 くそっ、ついてない……。

 橘がいるなら、スルーするわけにもいかないだろう。

 あいつには恩も義理も、告白を覗いた負い目もあるからな。


「あんたみたいな、顔だけの根暗女に騙された一ノ瀬くんがかわいそう!!」


「そうよ、やっぱり性格は最悪ね! 一ノ瀬くんにも謝ってよ!!」


「私の内面、外見をどう思おうと勝手ですが、彼と私の間で、既に話は終わっています。第三者のあなたたちに、とやかく言われる筋合いはありません」


 橘は怯まない。

 それどころか、相手の二人の方があきらかにたじろいでいた。


 これはもしかすると、助けはいらないかもしれないな。


「ひ、人のこと傷つけておいて、そんなこと言うなんて最低!!」


「傷ついたでしょうね。ですが、彼はそれを承知の上で、私に気持ちを打ち明けた。私は自分の思うまま、彼に答えを返した。そして私たちは、お互いに納得して会話を終えた。これが、昨日起こったことの全てです」


「なっ!! ……なによ!! なんなのよあんた!!」


「あなたたちの方こそ、なんですか。私のことが気に入らないなら、的外れな正当性を主張するのではなく、正面からそう言えばいい。それ以上の権利はあなたたちにはない。ましてや自分の憎悪に、人の気持ちを利用するなんて」


「う、うるさい!!」


 パチン!! という音がして、下からの声が止んだ。


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