② 「俺と付き合って欲しい」


 俺は、『ぼっち』という言葉が嫌いだった。


 『ぼっち』とはつまり、友達がいなくていつも一人でいるやつのことだ。

 『ひとりぼっち』の略。

 なんともわかりやすい。


 なぜ嫌わなくなったのか。

 理由は極めてシンプルだ。


 どうでもいい。

 これに尽きる。

 たとえ『ぼっち』が悪口であっても、そう思うやつは思っていればいい。


 ぼっち気味の俺にも、それなりに受け入れてくれる友達がいる。

 そう思うと、他人がぼっちのことをどう見ていようが、俺には関係ない。


 こう考えられるようになったのは、間違いなく橘のおかげだった。


 だから俺が今、体育館裏を通って帰ろうとしているのは、本当に近道だからなんだ。

 今度は正真正銘のマジなんだってば。


 ……ん?


「ごめんね、急に呼び出して」


「いえ。それで、私に用とはなんでしょうか」


 おいおい、マジかよ……。


 反射的に物陰に身を隠す。

 いつかと全く同じ状況。

 おまけに隠れている場所も同じだった。


 今回は声でわかる。

 返事をしたのは橘だ。

 相変わらず、愛想の無い口調。


 しかしあいつ、やっぱりモテるんだな。

 もしかして俺が知らないだけで、もっといろんなやつに告白されてるんじゃなかろうか。


「ずっと、橘さんが好きだった。俺と付き合って欲しい」


 前回のあいつとは違い、相手の男子生徒は落ち着いているらしかった。

 その余裕と自信に、俺のセンサーが敏感に反応する。

 おそらく、こいつはかなりのリア充だろう。

 恭弥と似たような雰囲気を感じる、気がする。


 俺はなぜか前回とは違って、チラッと物陰から外の様子を覗いてしまった。

 よくないこと、だとは思う。

 ど、仕方ない。

 偶然居合わせただけだし、不可抗力だ、不可抗力。


「申し訳ありませんが、お断りします。それでは」


「……そっか」


 前回と寸分違わぬ一刀両断。

 さすがは剣豪、橘理華。


 だが俺は、妙に自分がホッとしていることに気がついた。

 なんだ、この変な気分は。


 ああそうか。

 前みたいに相手の男子が逆上しなくて、安心したんだ。

 そう考えるのが一番、自然だろう、うん。


「……もしよければ、理由だけ教えてくれないかな?」


「私はあなたを好きではないから、です」


「チャンスも貰えない? 友達から始めてくれるだけでも、俺はすごく嬉しい」


 粘るリア充。

 しかし、物腰は柔らかく、終始穏やかだ。

 やっぱり、前回のあいつとはものが違うらしい。


 それにしても……くそっ。

 早く切り上げろよ。

 断られてるんだから、潔く諦めればいいんだよ。


 ……いや、何言ってるんだ俺は。

 それを決めるのは橘だ。

 俺には無関係。

 なのにいったい、なにをイライラしてるんだか……。


「すみませんが、お断りします」


「……そっか。わかった。考えてくれてありがとう、本当に」


 意外にも丁寧に頭を下げた橘に、相手も深い礼を返した。

 ほとんど同時に頭を上げたあと、相手はくるっと向きを変えて、しっかりした足取りで去っていった。


 去り際に、そいつの顔がちらっと見える。

 けど……めちゃくちゃイケメンじゃねぇか……。


 橘のやつ、本当に良かったのか……?


「……楠葉さん」


「なっ!」


 急に名前を呼ばれて、俺は思わず短い叫び声を上げてしまった。

 さすがにしらばっくれるわけにもいかず、おずおずと物陰から出る。


「……なにをしてるんですか。たちが悪いですよ」


「気付いてたのかよ……」


「もっと上手く覗いた方がいいですね」


「わ……悪かったよ、ホントに」


「べつに構いません。一度、見られていますし」


「……そうかもしれないけど」


「今から帰りですか? もしそうなら、ご一緒に」


「お、おう……」


 気まずさを隠せない俺とは正反対に、橘の態度はあっさりしたものだった。

 こういうことに、そもそも慣れているのかもしれない。


 二人で校門を出て、並んで帰路に着く。

 俺はなんとなく、橘よりも少し遅れて歩いた。


「そういえば校外学習のレポート、ちゃんと提出しましたか?」


「え? あ、あぁ……まだだけど」


「面倒なことは早めに終わらせておいた方が、あとあと楽ですよ」


「……おう」


「……」


「……」


「……なにか、様子が変ですね。どうかしたんですか」


「あ、いや……」


 橘にそう聞かれて、俺はわかりやすく困ってしまった。

 特に、何かあるわけではない。

 ただ、なんだか気持ちが落ち着かないのだ。


 自分でもわからないことは、相手にも説明できない。

 俺はとりあえず、誤魔化すことにしておいた。


「……なんでもないよ」


「……それならまあ、いいですが」


「……ところで、あいつ知り合いか?」


「あいつ?」


「ほら、さっきの……」


「ああ。少しくらいは話したことがありますが、まったく親しくはありません」


「そ、そうか……」


「それが、なにか」


「いや……なんだ、よかったのか? 前のあいつとは違って、良いやつそうだったろ。イケメンだし」


「あなた、覗いていたんでしょう? だったら私が断った理由も、聞いていたはずです」


「聞いてたけどさ……」


「……むぅ。いいです。もうこの話はしたくありません」


「な、なんでだよ?」


「だって……なんだか、嫌な気持ちになるんです」


「嫌な気持ち? なんだそれ」


「知りません。もういいです」


 橘はそう言ったきり、頬を膨らませて黙ってしまった。


 俺はなんだか追求する気も失せてしまって、まだ一文字も書いていないレポートのネタを、ぼぉっと考えることにした。


「……楠葉さん」


「……ん?」


「……いえ、やっぱりなんでもありません。忘れてください」


「……はいよ」


 忘れられるわけはない。

 けれど俺にはなぜだか、忘れてしまった方がいいような気がしていた。


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