第12話 少年を待ち伏せる
①「告白されたそうね」
五日ぶりに我が家に着いた俺は、余韻に浸るのも風呂に入るのも忘れて、そのままベッドに倒れ込んだ。
帰った時間が遅かったというのはもちろん、長距離の移動や慣れない環境のせいで、心身ともにくたびれていたのだ。
次に目が覚めたのは翌日の昼過ぎで、適当に腹を満たして一日中ぼーっとしていた。
『今日からしばらく、実家に帰ります』という理華のメッセージに『はいよ』と返事をした以外には、本当になにもしなかった気がする。
それからは数日間、夏休みの課題を黙々と進めた。
理華もいないし、予定もない。片付けるなら、このタイミングがチャンスだったのだ。
しばらくずっと誰かと一緒にいたせいか、ひとりの時間はかなり気分がよかった。
擦り減った精神が回復していくのを感じながら、俺は課題の大半を一気に終わらせた。
だが残念ながら、これで残りの休みはのんびりできる、ということでもなかった。
非常に憂鬱な予定が、間近に迫っていたのである。
『十八時に視聴覚室集合だから、よろしくね』
部屋で昼飯のカップ麺ができるのを待っていると、メッセージが届いた。須佐美からだ。
『はい』
『不満そうね』
『いえ、そんなことないです』
『そう。それじゃあ、待ってるから』
それっきり、須佐美はもうなにも送ってこなかった。
思わずため息が出る。
が、こうなった以上、もはや逃げることはできない。
予定とはなにを隠そう、『修学旅行お疲れ様会』のことだった。
修学旅行委員と生徒会で、学校の教室でメシを食いながらダベる、というシンプルな集まり。
そしてだからこそ、かなり行きたくない。
そんな催しがあるというのは前々から聞かされていたが、もちろん参加するつもりはなかった。
なのに須佐美のやつが「陽茉梨が頑張って幹事してくれたから、来てあげて」なんて言って、俺を逃がそうとしなかったのだ。
たしかに、それで押し切られてしまったのは、ひとえに俺が悪い。
だが須佐美に頼まれて断れるほど、俺の立場とメンタルは強くないのだ。
「……ふぅ」
長めのため息をついて、俺は天井を見上げる。
諦めて覚悟を決めよう。
タダメシを食えると思えば、まあメリットもあるだろうし。
……それにしても。
「……」
思えば、この手の集まりに参加するのは、初めてかもしれないな……。
妙な感慨深さに包まれながら、俺はカップ麺をすすった。
しかも、知り合いが四人もいるなんて。
これも進歩、なのだろうか。
まあ、だからって楽しみになったりはしないけれど。
ちょうどいい時間になり、俺は適当な服装に着替えて部屋を出た。
ちょっとぶりの通学路を歩き、校門を抜ける。
時間を少し遅らせたおかげで、他の修学旅行委員の姿はなかった。
代わりに、部活をやっているらしい生徒の声が、遠くから小さく聞こえていた。
校舎に入り、重い足を引きずって階段を登る。
視聴覚室に近づくと、陽気な騒ぎ声と明かりが、廊下に漏れていた。
「あぁーっ! そこにいるのはっ!」
後ろのドアをできるだけ静かに開けて教室に入った俺を、突然デカい声が襲った。
当然ながら、先に集まっていた連中の視線が、一気に俺に集まる。
見ると、生徒会の那智が得意げにこちらを指差して、満面の笑みを浮かべていた。
なんなんだ、いったい……。
「『モブの凱旋』のモブこと! 楠葉くんじゃないかっ!」
「おまっ! ばっ!」
完全に意表を突かれ、俺は取り乱しまくった声を出して、その場で固まってしまった。
こいつ、一発目からなんてことを……っ!
「影の薄さを利用して、抜け駆けで橘ちゃんをゲットした感想、聞かせてよーっ!」
失礼極まりないことを言いながら、那智は俺の方にバタバタと駆けてきた。
そのまま腕を引っ張られ、教卓まで連行される。
正直、頭がまったくついていっていなかった。
そして、そこからはほとんど、那智の独壇場だった。
「楠葉くんから告白したの? へぇー! やるじゃん!」
「え、じゃあもう名前で呼び合ってるんだ! うひゃー!」
「だから前からたまに一緒にいたの? うわ、やっぱりーっ!」
嵐のような質問攻めに、俺は半分気絶しながらただ頷いていた。
その度に教室中が盛り上がり、「これからは背後に気をつけろよー!」とか、「よっ! モブの希望!」とか、そんな野次と歓声が飛んてきた。
しばらくサンドバッグにされたあと、ついに那智は俺を教室の隅に追いやった。
そして、テーブルに置かれたピザをかじりながら、「みんな色ボケしやがってー!」と勝手なことを叫んでいた。
疲れるだろうとは思っていたが、まさか、来て五分でボロボロにされるとはな……。
「楠葉くん」
壁にもたれて憔悴しきっていた俺は、その涼しげな声で意識を取り戻した。
声の主、須佐美千歳は俺の隣に来て、クスクスと笑った。
「お疲れ様。それからありがとう、来てくれて」
「……疲れたなんてもんじゃない」
できる限りの恨めしさを込めて言っても、須佐美は楽しそうにニコニコするだけだった。
両手に持っていた紙コップのうち、須佐美は片方を俺に渡して、コップ同士をコツンとぶつけた。
どうやら、乾杯のつもりらしい。
受け取った紙コップには、コーラが控えめに注がれていた。
「食べないの?」
「食欲は消え失せた」
「あらあら」
コーラに口をつけてから、俺は改めて部屋を眺めた。
意外にも俺への視線はほとんどなく、那智をはじめとした賑やかな連中が、真ん中でギャーギャーと騒いでいた。
「陽茉梨、許してあげてね」
「……事情によっては次は法廷だな」
「楠葉くんが変に詮索されないようにって、最初に目立つように話題にしたのよ。それに、オッケー出したのは私だから」
「お前かよ……」
「ごめんなさい。でもおかげで、みんなの興味も落ち着いたでしょ?」
須佐美は部屋を見渡しながら、安心したように言った。
たしかに、ずっと視線に晒されるより、ああやって一気に注目された方がマシだったのかもしれない。
要するに、今回もこいつの狙い通りってことか。
相変わらず抜け目ないというか、過保護というか。
「楠葉くんも来てくれるって伝えたら、陽茉梨が言い出したのよ。いろいろお節介だから、あの子」
「お節介なのはお前もだけどな」
「ふふっ。まあ、そうかもね」
須佐美はそう答えて、近くにあったレモンスカッシュのボトルを取った。
自分と俺のコップにそれを注いで、また元の位置に戻す。
そのとき、俺は反対側の壁に、見慣れた顔があるのに気がついた。
髪をサイドポニーにしたそいつは、俺と目が合うとすぐに顔をそらして、隣にいる女子と気安そうに話し始めた。
紗矢野美緒だった。
「告白されたそうね」
須佐美の声には、深刻な響きが少しも含まれていなかった。
そのせいか、俺もやけにスムーズに、返事が出た。
「ああ」
「嬉しかった?」
「……嫌な質問だな、それ」
「あらそう? 普通じゃないかしら」
そう言いながらも、須佐美はニヤニヤと愉快そうにしていた。
この場合、答えない、というのだって立派な返答になる。
俺は諦めて、素直に答えておくことにした。
今日に限っては、もうどうにでもなれだ。
「そりゃあ、まあな」
自分のことを肯定してくれたこと、好いてくれたということは、告白を受け入れるかどうかに関わらず、間違いなく嬉しかった。
もっといえば、ありがたかった。
「ただ……だからこそ、罪悪感はあったよ。半分騙してたみたいなもんだったし……」
「あら。だけど紗矢野さんだって、最後は理華との関係にも気付いてたでしょう。それでも告白することを選んだんだから、気にすることないんじゃない」
「それは……でも、もともと俺が理華と付き合ってるって知ってたら、紗矢野だって……」
「気持ちはわかるけど、意中の相手に恋人がいるかどうかなんて、わからないのが普通でしょう。あなたに直接聞かなかった紗矢野さんにも、責任はあるわ」
須佐美の言葉で、俺は自然、あのときの紗矢野のセリフを思い出していた。
『私が勝手に誤解して、油断して、モタモタしてたのがいけないのにさ』
……まあ、リア充ふたりがそう言うんだから、きっとそうなんだろう。
恋愛というのは、かなり残酷というか、シビアなものらしい。
「だけどそれは、彼女に対しては、よ。理華のことを思うなら、楠葉くんが早めに紗矢野さんの気持ちを察知して、うまく立ち回れば、結果は変わったかもしれない。それは理解して、ちゃんと今後に生かしてね」
「は、はい……肝に銘じます」
なんとも言えない迫力に満ちたその声に、思わず背筋が伸びた。
雛田といい須佐美といい、理華の味方は非常に恐ろし……いや、頼もしいな、うん。
「まあ、今回は夏目くんがちゃんと話してくれてるだろうから、私から余計なことは言わないでおくわ。それに、理華も悪いしね」
「お、おう……」
たしかに、恭弥も同じようなことを言っていた。
須佐美と結論が重なるとは、さすが恭弥だ。
いや、これは須佐美がすごいのか? もしかして。
「……なあ、須佐美」
「あら、なに?」
ふと、俺はとあることを尋ねてみたくなっていた。
ただ、聞きたいことはわかるのに、うまい聞き方がわからない。
こういうところに、俺の対人能力の低さが如実に表れているんだろう。
だが、今それを嘆いたって仕方がない。
こんなときは、直球でいいのだ。
少なくとも、今のところは。
「お前は、どうなんだ? その……」
「……」
「……恋愛、とかは」
須佐美は表情を変えず、短く息を吸った。
それから、コップの中のレモンスカッシュを少し見つめて黙っていた。
まるで俺に、この質問を取り消すチャンスを与えているかのようだった。
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